ここのところ、師弟のことについていろいろ書いてきましたが、物理的な距離が開いてしまったり、師範として支部を設立することになったりと、師から離れてやっていかなければいけない状況について、今回は書いてみたいと思います。
私自身もいろいろな先生方にお世話になったので、それだけの数の別れを経験してきたのですが、その中でも最も自分自身の人生の転機となったのは、ある中国武術の先生の元を離れたときのことです。
その先生はすごい功夫の持ち主で、自分もそれを身につけたくて長いことついていたのですが、どうも人に物を教えられるタイプの方ではなく、またその内容も普通の人にはとても伝えることのできないくらい難しい物だったため、私は一向に成果を表すことが出来ないどころか、はじめてから一歩も前に進んでいないまま年月だけが経っていました。
おそらく、日本的な考え方ならそのまま忍耐して続けてゆくべし、となるのでしょうが、しかし、私はこれ以上、自分の希望と将来への責任を、先生にゆだねてゆくことが間違っていると思うようになりました。
自分の人生に自分で責任をもって生きてゆく、という基本に帰ろうと思ったのです。
そのうえで修行をして行って、それで物にならなかったらそれも自己責任で、持たざる者として生きてゆくほかありません。
いずれ物にならないなら、せめて誠実な生き方をしたいと思いました。
そこで、先生の元を離れることにしたのです。
結果的に、私はいまにいたることが出来たのですが、あれはいまでも胸の痛むことでした。
ただ仲良くなれあって出来ない人間として生きてゆくという選択肢も、そこにはあったのです。
たまたまうまく行ったからよかったですが、すべてを捨てる決意が必要でした。
もう一つ、師から物理的に離れた話と言えば、このたびのフィリピンのグランド・マスタルから距離を経たというのもそうですね。
もちろん今でも連絡は取り合いますし、いずれまた向こうに行ったときに習うことの予定もうかがっています。
しかし、実際のところとして毎週稽古をつけてもらえる環境に居ないのは事実です。
それが前提で、グランド・マスタルは稽古をつけてくれました。つまり、自分で自分を向上させることが出来る自立した人間としてやってゆけるようにです。
いくつもの教えが心に残っています。
ことあるごとに言われたのが「REVEW REVEW」「PLACTICE」。復習をしろ。訓練をしろ。です。
一回目にやったときにイマイチだと思った動作を、二度目に行うときは是正する。三度目は別の場所を改善する。そうやって一人で上手くなれる姿勢を指示してくれました。
最後の日には「CONTINUE TRAIN.NEVER STOP」と言ってもらい、「もう大丈夫だ。これからは自分で学び続けるんだ。迷ったらタイヤを叩け。タイヤがお前に教えてくれる」と送り出してくれました。
ここでもやはり、自分自身への責任、自覚が出てきます。
仮にもマスタルとして基本を教わって送り出してもらうのですから、いつまでもおんぶにだっこというわけにはいきません。
教わったことに照らし合わせて何が正しいかを判断して、自分で責任をもって行ってゆかねばなりません。
そのようなとき、やはりエゴは邪魔になる物だと思います。
アルニスは中国武術ではありませんが、やはり同じように自分に都合の良いように理屈を曲げては、教わった物をそのままに向上させてゆくことは出来ないと思います。
与えてもらった術の命を、まっすぐに育ませてゆくことが、離れても師の代理人として活動してゆく人間の役割だと思っています。