エスクリマのルーツを、もう一度話してみましょうか。
もともとは、スペイン侵略時代の15世紀くらいに、ヨーロッパのフェンシングが伝わったのがルーツです。
この頃はエスグリマと呼ばれていたそうです。
現代ではスペイン語ではフェンシングはエスクリムと呼ぶそうなので、これもちょっとフィリピンなまりがあるのかもしれません。
なにせアフタヌーンがアプタルヌルルン、ヒアがヘルになり、ワンピースの主人公はラピーになる国ですから。
その言葉の問題で言うと面白いのが、表記としてはアーニスなのですが、ルソンではアルニスと発音し、マスターはマスタルと発音します。そのため、インストラクターの使う用語によって習ってきた地域がフィリピンなのか欧米なのかが少しわかるということです。
文字だけで読んで得た知識だとクルバダなんて言っちゃいますが、本場に行かれた人の発音ではクルパタでした。
本当に知ってることってこういうとこから分かる気がします。手伝え、口伝えで伝えられてきたものはやっぱり一味違いがでます。
そんなエスグリマは、近隣のイスラム諸国や台湾経由の貿易船などを仮想敵として普及しました。
南国の諸島の文化と言うのは、ようは海賊たちの文化です。
フィリピンの英雄でありアルニスダーの象徴とされているラプラプも、別の視点から見れば現地の略奪者だと言う学者もいます。
そうした外部との軋轢においては、必ず武力と言うのが必要だったのでしょう。
ところが、植民地というのは根本的に支配者の方が数が少ないと言う構造があります。
まぁ当然ですよね。支配階級の方が多かったら儲からない。社会階層のピラミッド構造です。
そのために、防衛兵は現地で徴発しなければなりません。抗争でどんどん数が減って行ってしまってはいけない。
そこで、スペイン人たちはフィリピンで現地人に自警団を組ませて訓練を奨励したわけです。
この頃の植民地活動は名目としてキリスト教の布教として行われていました。
日本にも来たザビエルのイエズス会がそれです。
イエズス会は別名を戦う修道士会、教皇の精鋭部隊とも言われていて、その背景には創設者が元騎士であったことがあるようです。
そのような元騎士だったイエズス会の物を中心に、エスグリマは普及されていったようです。
結果、剣を体得した物の中から特に剣士という人々が現れました。
この人達は、20世紀まで存在し続けることになります。
その間に、エスグリマは独自発展を遂げて現代もまだ残る古伝のエスクリマとなります。
これらは前述の剣士の人達の家に家伝武術として伝えられてきた物です。
イラストリシモ家やサアベドラ家、カニエテ家など、剣士の名門の家と言うのが知られています。
我々の学ぶ物も、カブルナイ家という名門に伝えられてきた物としてフィリピンでは知られています。
我々の学ぶ物も、カブルナイ家という名門に伝えられてきた物としてフィリピンでは知られています。
これらの剣士たちというのは、さぞ現地の人々にとってはまぶしい存在だったであろうと思います。
街中で酔っ払いや荒くれ者が狼藉を振るったら仲裁に入り、ちょいちょい襲ってくる海賊との戦いには率先して出て共同体を守護し、みんなにも剣術を指導してくれる。ほとんど神話的なカッコよさと言ってもよいでしょう。
中には家伝の名剣を使うことが有名な物が居たかもしれない。
両刀が得意で名を知られた人も居たことでしょう。
カブルナイ家にいまでもあるような、必殺技を目撃したらきっと感激したことでしょう。
まるでアヴェンジャーズのようなヒーローです。
スペインから取り入れたかっこいい甲冑を身にまとったヒーローが居たかもしれないし、怒りん坊の巨漢が居たかもしれません(あれ? こういう剣士は心当たりがあるな)。
そのような背景が日常にあったためか、娯楽としての演劇でも剣術は盛んに扱われたようで、その殺陣は本物の剣術家が指導してそうです。そのような演劇での剣術を指してアーニスという言葉が始まったという話があります。
しかしのち、剣士たち、エスクリマドールズの時代は斜陽を迎えます。
一つには支配者がスペインではなく、アメリカに換わったことがあるようです。
本身を持つことが奨励されないようになり、また治安維持も本土から派遣された兵士たちに任されるようになってきたのでしょう。
もはや、中世ではなくて法治国家の時代が始まったのです。
そこで剣士たちはそれぞれの名門同士のライバル意識を超えて共同で剣術を存続させるべく普及組織を作ります。
それがラパンゴン・フェンシング・クラブです。
この頃にはスペイン語由来のエスクリマではなく、フェンシング、という言葉を使っているところに、彼らの剣術に対する意識が見えます。
この後、世界大戦がはじまります。
アメリカ領となっていたフィリピンでも徴兵が行われ、剣士たちは戦場に派遣されます。通常のアメリカ兵であれば銃剣で行う任務を、普段から使い慣れている刀剣を支給されて戦場に送り出されたとのことです。
いまでも言い伝えられる話では、この頃の剣士たちに対する信頼はかなりの物だったとのことです。
しかし、そうなると当然最も危険な先頭に出る役割を任されることが多く、結果、多くの剣士が命を落としました。
そのために、戦後のフィリピンに戻ってきた剣士たちの業界では、再度のテリトリー配分が行われることになるのですが、そこで下剋上やお家騒動が発生してしまいます。
これが、剣士たちの時代、大戦の時代に次ぐ、バハドの時代の始まりです。
剣士たちは世界中で行われるマフィアの闘争のように、派閥に別れて勢力闘争に奔走することになります。
街中で違うグループ同士が出くわすと乱闘が始まり、遺恨がある相手には決闘を申し込むという時代です。
この決闘をバハドと言います。
このバハドが剣士たちの目的化してゆき、同時に彼らは国のために戦った英雄であると同時に、荒くれた厄介者とみなされるようになってゆきます。
この印象は21世紀になってアルニス・フィリピネスがイメージアップ活動をするまで続きます。
このバハドの時代は、先のアヴェンジャーズのたとえを引き継いでいうならシヴィル・ウォーと言ってもいいでしょう。
ヒーロー同士があい闘ってしまうのです。
しかし、そのような闘いは同時にちょっとワクワクする側面もあります。超人オリンピックのようなもので、本物の英雄同士が戦ったらどうなるのだろうという気持ちは不謹慎ながらわいてきてしまいます。
そういうこともあってか、決闘は興業化されてゆきます。
フィエスタのイベントとして剣士同士が戦うのです。
このような企画は荘子にも出てくるしローマの剣闘でも有名なので、普遍的に世界中に見られたものなのかもしれません。
ただポイントは、これが古代ではなくて20世紀の話だと言うことです。
実際にこの戦いで命を落とす人も居たそうですし、試合後に遺恨から真剣による闇討ちなども起きたようです。
これまでの、剣士たちの時代から大戦の時代、バハドの時代、そして現代は、フィリピンにおいてはたかだか100年ばかりの間に起きた変遷です。
日本人の感覚では室町時代のような街中での本身での切り合いをしていた世代が、ついこないだまで生きていたのです。
そのような経験を生で経ている武術を、日本で直接学ぶことはおそらく不可能でしょう。
江戸時代の段階ですでに日本武術は一旦現代武道化してすでに幕末には競技が隆盛しており、さらに明治の近代化で一気に塗り替えられたためです。
本当の合戦、決闘をしていた古武術を手伝えに教わるということはまずない。
古伝のエスクリマを学ぶということは、そういうことです。
私が伝承を受けたカブルナイ家の剣術、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコの稽古を通して、時代ごとの動きとその思想を身体に通すことができます。
これは決して、平和な現代人のコンビニエントな感覚で簡単に改変したりしては、取り返しのつかないものではないかと思います。
そのために、これを慎重に次の人々に手渡してゆくことが、我々のアルニス普及活動の重要な目的となっています。
剣士たちの息遣いを、一つ一つの練習から感じ取る日々を送っています。