この週末も何人かの人に気功をする者として会ってきました。
百人の人に気功を施してこいというのが師父から与えられた今の課題なのですが、一朝一夕にゆく物ではありません。
現代人に気功をしてきて感じるのは、やはり忙しすぎることで神経がくたびれているなあということです。
ここで心と簡単に言ってしまうとスピリチュアルやコーチングの類になってしまうのですが、タオイズム、東洋医学のアプローチではそれを肉体との一体性という観点から見立てます。
心の疲れは神経の疲れ。
神経を慰撫することが一定の対症になりえると思います。
忙しいと、本来の肉体の生理機能に無理をさせることになります。
本当はそこで休みたいのに、あと少しだけやってから休もう=休むことを動機付けとして肉体に無理をさせる。というようなことをよくやってしまいます。
しかし、これはスピリチュアル的な心の上だけの気休めにはなるのでしょうが、着実に心身を蝕む要因となってしまいます。
ではなぜそのような無理が実際には利いてしまうのかというのを神経の面からアプローチすると、交感神経の興奮状態が加速しているからです。
そうすることで疲労や苦痛を感じにくくなり、誤魔化せてしまうのです。
目を向けないようにしているだけで、借金を雪だるま式に増やしているのと同じです。
いつかまとめて取り立てが来た時に破滅します。
典型例として、交感神経の興奮状態に頼っていると、休んだ時に溜めていた疲れを一気に自覚することになります。
そうすると、それが辛いので気を抜かないようにしてしまう。
これでまた苦痛を感じにくくなりますが、当然の雪だるまです。
LET IT GO~などとうたっている場合ではありません。
少しも寒くないのはマヒしているからです。
この段階になると、その苦痛を反射的に避けようとして、神経が張りっぱなしになります。
興奮状態に慣性がついて原則が出来なくなっているのですね。
こうなったあたりから、未病状態に入っていると考えていいのではないでしょうか。
これを副交感神経主体の状態に切り替えるには、結構思い切ったブレーキングが必要になります。
それを手伝うのが気功療法です。
気功と言うのは、少なくとも私が現状で考えるには、オカルト的な力や念や祈祷の類、超能力ではありません。
いうなれば、リラクゼーションであり、まぁ温泉療法のような物だと思っています。
気功を施すがわはまず自分の内側に温泉を掘って行き、それで身体を安らがせることを覚えたら、自分を通して人にも温泉をおすそ分けするわけです。
疲れた心身を温泉で寛がせます。
そうすると、神経の緊張状態を加速させることで取っていたバランスの張りが緩んでいきます。
肩や腰、首やこめかみにはいっていた力点を緩めてあげます。
昔、ヨットの選手は力を使っているときの力みで奥歯が知覚過敏になるというコマーシャルがありましたが、その場合の顎のような、副産物的に力んでいるところを楽にしていってもらいます。
気功を学び始めるとは、自分で自分のそういったポイントを見つけて緩ませてゆくことなのですが、次は他人にも同じことを出来るようにしてゆく、ということですね。
忙しさや緊張には慣性がつきます。
どんどん加速して行って、事故を起こすか故障が起きるまでは減速をしないというのが現代社会にありがちなことなのではないでしょうか。
特に、男性と比べて体力が低く、かつ感性の繊細な女性には非常に酷な世の中です。
そういった人々の神経に接して、本来持っている柔らかさを思い出していただけるようにすることは、非常に価値のある活動だと思っています。
今回は神経の加速の話をしましたが、次は心の加速について書きたいと思います。