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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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心の加速

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 神経を交感神経にばかり活躍させていると、切り替えが難しくなって興奮状態が癖になります。
 神経が興奮しているので、心もはやってしまいますが、冷静に考えると特に主語の見当たらない、目的のない急ぎです。
 このような論理的な目的のない興奮状態を、上火と呼んだりします。
 また日本では、いそがしと言う人をはやらせる妖怪がとり憑いたのだと言ったりしたそうです。
 それくらい「正気を失った」状態であるということですね。
 しかし、考えてみればその状態は現代人にとってはいつものことだったりはしないでしょうか?
 だとしたらそれは、きっと不幸なことです。
 何より、神経に負担がかかっており、そのために肉体全般が消耗していくからです。
 こうなると休んだほうが良いのですが、しかし休むと疲労が突き付けられたり、あるいはまた急ごうとしてしまったりするために、うっかりエナジードリンクなんかを飲んだりしてしまう。
 余計に興奮させて急がせて、自分の状態に目がいかないようにごまかしてしまうわけです。
 現代社会には、こういう目くらましがたくさんあります。
 意図的に減速させて、命をスロゥダウンさせるのは、実はとても心の力の要ることです。
 そういう根気の要ることが、現代人はどうも苦手です。
 華々しくてわかりやすいことばかりを求めてしまう。
 まるで油と塩に満ちたジャンクフードです。
 じっくりとことこと時間をかけて煮込むということを避けたがる。
 ちなみに、中国ではそのような料理を功夫料理といいます。
 功夫とは時間という意味です。
 そのために、時間をかけて練ってゆく武術のことを通称として功夫と呼ぶようになったのです。
 カンフーでもっとも多くの人が悩むのが、放鬆(力を抜くこと)だと言うのは、なんでも勢いと力みで行おうとする日本社会の仕組みに由来しているのではないでしょうか。
 ある中国人の先生に至っては、日本人は気が短いし力が抜けないから、カンフーを体得することは不可能だとまで言っていたことがありましたが、いいとしては理解できます。
 武術において気を用いるというのは、決して力任せに暴れながら大声を出して人を威嚇するという意味ではありません。
 用意不用力という言葉があるように、意や気を用いても力は用いないことが中国武術では推奨されます。
 心の加速は、国民的な問題であるといっても過言ではないような気がします。
 車に乗ればスピードを出しすぎ、歩く時も周りを見ずにひたすら移動をしようとします。
 このような心の加速は、執着心にも影響を及ぼします。
 自分がほしいと思っていたものが、よく考えたらそれほど必要ではないことに気が付いた、ということはないでしょうか?
 それが、執着心に加速がついていたという状態です。
 そのように勢いづいた心は、得体も知れずしつこい割には、意外と折れやすくもろかったりします。
 つまり、目的があってそれへの欲求に憑りつかれながらも、それをかなえるための努力が意外にできないというような状態です。
 そして、そのような人がだいたい力んでいます。
 結論から言うと、取り組み方が全く間違っています。
 スピードくじをこするように手っ取り早くかなえられる目的ばかりではありません。
 心をじっと落ち着けて、腰を据えて取り組まないといけない問題も世の中にはあります。
 そうそう、そういう人はだいたい腰も据わっていなくてでっちりです。
 そして、結果腰痛を発症します。
 整体師の人の中には「腰痛は怒りの感情が肉体に出たものだ」という人が居るようですが、実情はこういうことなのかもしれません。
 このように、心をはやらせることには何もいいことがありません。
 あるカウンセラーの先生の心理実験を描いた本には、集中力を削ぐには自我を立ち上がらせればよいと書いてありました。
 つまり、何かを集中して作業しているときに、焦りや虚栄心、不安などを掻き立てるような言葉をそばでかけるだけで、その人はもう集中して作業を続けることができなくなるというのです。
 その理由は、自我が立ち上がると思考が近視眼的になるからだ、とありました。
 作業を通してしようとしている目標地点に意識がいかずに、もっとも近くにある自分に思考がとどまってしまうということでしょう。
 まさに執着です。
 そんなところにとらわれずに、さっさと目標地点にゆくべきです。
 歩みはゆっくりでも向かっていればいつかは着きます。
 しかし、エゴに囚われた人は目的地のことではなく、自分の感情のことばかりに執着してその場にくぎ付けになってしまいます。
 本来は移動に使われるはずの速度が、自分の内側にだけ向かってしまう。
 心の加速です。
 こうなるともうブラックホールのようなもんです。ひたすらに内側だけにエネルギーが使われて消え失せて行ってしまう。時間もチャンスもみんな同じところに消え去ります。
 そのようなことを避けるために、やはり人にはリラックスと、思考の相対化が必要だと思います。
 先に挙げたカウンセラーの先生の本には、自我が立ち上がって集中力がそがれた状態を、利己的な状態と書いてありました。
 第三者的な目的という現実、すなわち他ではなくて、己にだけうわべの利が働いているわけですね。
 そのような状態を、スロゥにすることは自分のためにもかかわっている他人のためにもなります。
 人類史の最も早い時代から文明国であった中国には、そのような文明病に対する深い見識の歴史があります。
 そこから珍重されてきたのが気功と陰陽思想です。
 呼吸を深くしながら体を緩め、相対的に物を見る習慣をつけて自分を客観視する。
 そろそろ日本でも、もっと自分をいたわることが許される空気が広まり始めてきたように思います。
 もしこれまでのいたずらに加速した生き方が労多くして実り少ないと感じるようなことがあれば、思い切って生活の速度を緩めてみることが、これからの人生を豊かにすることがあるかもしれませんよ。

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