さて、ここで、練功法が無くても弓を引いていれば勁が宿ることがある、ということから想像すると、日本では昔から武術のことを異称として「弓馬の術」と呼んでいたことが思い起こされます。
私は長い間、日本武術には勁力や練功法の要素が乏しいところがあると思っていたのですが、もしかしたら戦国期までの武者というのは弓を練習することで自然に体が練られていたかもしれない。
その上で刀を振ったり柔を取ったりしていたかもしれない。
そうすると、古武術にやり方が伝わってなくてどうしてもできないのだけどなぜか伝わっているような技があることも納得がいきます。
昔の武士には、現代人のような素人の身体の物は居なかったという前提の上で、片手で相手を掴んだままひょいと投げるような技が伝わって居た可能性はあり得ます。
これは現代人のデスクワーカーが、土曜日曜の稽古で形だけ技をまねていても永久にできるものではない。
さらに話を膨らませますと、弓馬の術として弓とついになっている馬も同様のことが考えられます。
私はよくカンフーの練習を、ロデオマシーンに例えます。軸を作っておいて、ガワ(外側)を振ることで身体を練るからです。
これ、実物の馬ならなおさらでしょう。ロデオマシーンで体幹が鍛えられるように、生の馬にまたがっていれば身体の内側は鍛えられるはずです。
弓と馬で鍛えていれば、整勁は自然と養われえます。
ここで中国武術を振り返ると、台湾の世界的組織の高名な先生が、中国武術の条件に付いて言ったことがありました。
「弓歩と馬歩があるのが(中国)武術だ。これを離れた物は(中国)武術ではない」
これは格闘技まがいの現代散打や喧嘩功夫に対する正伝の側からの批判だと言えますが、やはり、ボクシングまがいにスキップをしてパンチを打つ物と、しっかりと立って勁を発する物の違いをうまく表現した言葉だったのではないでしょうか。
そして、そう、その勁を発するのに必要な立ち方の基礎の立ち方の名前が、弓歩と馬歩です。
つまり、弓を引く時の立ち方と馬に乗った時の立ち方ということなのですが、個人的にはここに疑問がありました。
馬に乗っているときの立ち方は分かります。
鞍と鐙があるので、時に変則的な立ち方をすることはあったとしても、原則的な立ち位置は限られています。
しかし、弓歩とはどうでしょう?
弓で大鷲を射るという意味のタイトルの武侠ドラマを観ていて気付いたのですが、実際居弓を引く時の立ち方というのは、いわゆる弓歩とは前後が逆なのではないでしょうか。
何人張りという弓を引こうと思ったら、重心は前足に残しておいて後ろによっこらしょと体を退くことで弦を引っ張らないと無理だと思います。
となると、これは中国武術の弓歩ではなく、朴歩です。
実はこのことについて人に話したことがありました。
すると、ある武術研究家の友達が「いや、中国弓は弓馬でいいのだ」と言いました。
実際に自分で弓を研究していて、中国武術もしている方です。
ただ、彼が引くのは短弓です。
中国でも実用において普及していたのは、持ち運びによく、小手先で引けて鼻先くらいまで弦を持ってくれば矢が射れる短弓でした。
これなら確かに弓歩で打てますし、鞍上でも座っていても打てます。
しかし、だとしたらなぜちょっと無理繰りに基本の立ち方に弓歩などと言う名前を付けたのか、ということになります。
それはやはり、それだけこの立ち方と、そして大弓を引く時に使う身体の使い方が重要だったので、結び付けたかったということなのでしょう。
そしてこの発想は、おそらくモンゴルから来たものなのだと思われます。
昔の本を読むと、どうも空手のルーツはモンゴルにあったと書かれているものが多くみられます。
さかのぼるにまず大陸南方の福建省、そこから嵩山の少林寺、そして万里の長城を越えてモンゴルということなのでしょう。
モンゴルと言えば世界的に戦をして回った戦闘民族の土地であり、勇猛な彼らが肉体を鍛える三大要素は、弓、馬、そしてブフ(モンゴル相撲として知られる。要は徒手格闘技)です。