さて前の第三回までで、まず基本的なルールのような物を書きました。
ここでいったんこれまでのことを要約してみましょう。
1・自分を取り囲む他人の価値観に合わせるのではなく、相対的な価値観を自分の中に持つ。
2・目の前の快楽に飛びつかず、先を見たうえで判断する。
3・判断がきちんとできるように、自分の中に曇りのない公正な視点を持つ。
この三つを土台として、ここからは具体的なことに入ってみたいと思います。
その一つ目として強く推奨したいのが「気持ちの悪い人になってはいけない」ということです。
少し前だと「ウザい」いまだと「キモイ」というのはもうほとんど鳴き声のようになっていて意味が薄れてしまった言葉のようにも感じますが、この「気持ちの悪さ」ということを改めて見返すと、実はすごく重要な皮膚感覚だったりします。
例えば新聞やニュースで犯罪やよくない事件のことなどを見聞きすると「気持ち悪い」と感じることが多かったりします。
犯罪者や事件の加害者がロマンティックなのは映画の中だけで、実際には一言でいうなら「気持ち悪い」。
犯罪者の手記を読んだりテレビでのインタビューを聞いたりして「この人は高い知性のある人だなあ」とか「こんなに魅力的な人が犯罪なんて信じられない」などと思うことはほとんどありません。
まぁ中にはあるかもしれませんが、だいたいの場合は「うわぁ、気持ちの悪い人だなあ」と思うのではないでしょうか。
決して犯罪者だとわかってみている先入観のためだけではないでしょう。物腰穏やかで上品な犯罪者の告白、などというのはめったに見ることはありません。
挙動不審で変に表情がぐにゃぐにゃととらえどころがなかったり、どこか貧相な感じがしたりするのではないでしょうか。
身だしなみを見ても、派手ではないけど趣味が良くて端正な服装で連行されていて品が感じられる、という印象は少ないのではないかと思います。
たいてい、どこかみすぼらしくて薄汚いと感じます。
そのような犯罪者の部屋を見ると、ものすごく汚れていたり、信じられないくらいの数の特定の何かが積み上げられていたりと、どこかしら異常性が垣間見えることがあると思います。
つまり、内面でのバランスの不調和が外面にも出ているのです。
と、いうことは多くの場合、犯罪者というのはフランス革命時の政治的思想犯や泥棒紳士ということはなく、ただ生活でのバランスを失った結果犯罪に零れ落ちてしまった人たち、とみなすことができるということです。
つまり、誰だってそのような犯罪者になる可能性がある。
私だって同様です。
大切なのは決めつけないこと。その上で自覚的にバランスをとるということです。
そのバランスの指針として「気持ち悪い人になってはいけない」ということをお勧めしています。
例えば誰かに対して悪い感情を持ったり、あるいは誰かと敵対関係にあって対立をすることは必ずあると思います。
それ自体は当然のことだし、避けることもできないしその必要もないと思います。
大切なのは、その時に「気持ちの悪い人にならない」ということです。
気持ちの悪い感情を抱いて気持ちの悪い態度に出て、気持ちの悪い手段をとったら、その人は気持ちの悪い人です。
敵対行動そのものの良し悪しはおいておいて、気持ち悪いか悪くないかを注意してみるのは意外に大切だと思います。
正々堂々、公明正大に罵倒したりびんたをしたり、競合をしたりするなら、同じ対立でもまったく趣が違うことでしょう。
気持ち悪いことをするというのは、気持ち悪い人になるという支払いを受けもつことになります。
勝っても気持ちの悪い人です。
負けたら負けた上に気持ちの悪い人です。
そんなリスクの高いことをする必要はありません。
私の周りに何人かいる大きな問題を抱えている人たちの行動を挙げてみると、どこかで誰かが幸せそうだとそれを引きずり降ろそうとします。
また、誰かがSNSで何かを書いていると、それが自分にまったく関係ない物であったとしても、自分を見下して嘲笑っているいやがらせだと受け取ります。
そして、よせばいいのにそれに対して「私のことをそんな風にいって嫌がらせするなんてあなたは最低の人ですね。見てないと思って書いたのでしょうけど、おあいにくさま、お見通しですほほほ」などというようなことを書きつけてしまいます。アイタタタタ。
どうです、ぞっとするでしょう?
そんなことをしでかしてしまうような羽目になっては、もう負債が大きすぎて払いきれる見立てが付かない。
しかし、誰にとっても、決してそんなことにはならないという保証はないのです。
なので、決して「気持ちの悪い人になってはいけない」ということに注意をしていただく、というのは重要なことだと思います。
美しさを模倣しようとするとあまりにハードルが高いことがありますが、気持ちの悪い人にはならないようにする、というのなら比較的身近な指針であるという気がします。
そして結果、そうしていると端正でどこか好感の持てるような人になってゆくのではないかと思います。
気持ち悪い人になってしまう人生と、なぜか好感を持たれる人生、どちらが幸せかは明白ですよね。