さて、ちょっと不快な話をひとつ前にしてしまいました。
不快なものを取り入れるのはあまり良いことではない。気持ちの悪いものを感じると気持ちの悪いものが内側に入ってきます。
しかし、それが広がるのを避けるためにも、今回も気持ちの悪い人の話を続けてしまいます。すいません。
私の人生には、家族や友人、恋人含めてたくさんの発達障害や精神の問題を抱えた人がいるのですが、そのすべてが気持ちの悪い人ではありません。
発達障害はおよそ一クラスに一人の割合でいるそうですし、昨今の社会環境から鑑みるにメンタルのトラブルで医療を活用している人も少なくないのは当然でしょう。
それらの人々は、二次災害で人格障害などを起こしていない限りは、おおよそまともな人であることも非常に多いと感じています。
ある人が片頭痛や腰痛に悩むように、不定愁訴や脳の構造上の不器用な部分に不得意があるというだけの人です。
なので、問題は気持ちの悪い人なのか否か、というところなのではないか、というお話をさせていただきたいと思います。
今回お話する人は、選良で世間的にはまともな収入のある独身男性です。
精神に問題を抱えて休業はされたものの、それまで勤めてきたのですからキャリアからみても十分に常識人として知られていた人でした。
態度は控えめで、おとなしい人という印象を与えます。
この男性には一つ悩みがあって、それは女性を少し苦手としているというものでした。
そのような悩みのあるところで私のところに来てくれたのですが、私たちのタオイズムでは、陰陽を思想の中核に置いていますので、男女の和合(陰と陽の調和)をとても重視しています。
なにせタオの巨人である老子様は、財産や政治よりも、女性器こそが世界を動かす力の真実だと言っているくらいですから、命の成立とその健康の保持として性は当たり前に尊重されているのです。
古代社会において豊穣の象徴として女神が祀られたり、母系社会が形成されていたというのも同様のことでしょう。
そのようなわけですから、私はこの男性に女性とうまくいくように取り計らいました。
少しづつ時間をかけてその重要性を話しつ、実際に女性と接点のできるところに案内し、うまく接触ができるように労力をかけてレクチャーをしました。
しかし実際に知らない女性と接することができる社交の場に行って促すと彼は「お、おれは……いいよ……」などと言って前に出ることをしません。
私も無理強いはしませんが、この人は本当に理解して自分の問題を癒す勇気がない人なのだなあとは思いました。
それから少したって、この人の行動がおかしくなってきました。
公然と風俗通いをさも武勇伝のように吹聴するようになり、また公衆の面前でわいせつな言葉を無意味に大声で連呼したり、SNS上でなんの意味もなくただ卑語を繰り返すだけの更新を始めたりするようになりました。
その一方で、私が引き合わせた周りの女性たちに対しては卑屈な態度をとり続けています。
もうお分かりだと思います。抱えているコンプレックスに対してまっとうに向き合うのではなく、自分のプライドだけを重視して対象に攻撃性を持つことで自分を甘やかして保護しようという防衛行動です。
よけいな自己愛をゆがんだ形で保存せずに、すなおに女性に向き合えば済むところを、よけいな見栄で負債を押し返そうとして問題を深刻化させてしまっています。
これが気持ちの悪い人の特筆すべき一例です。
周りの女性たちからも、あの人は気持ち悪いというクレームが相次いだので、私も何度か諭したのですが、そうされるほど彼は引っ込みがつかなくなるという悪循環を自ら選んだようで、結局は世話を見切れなくなりました。
大変に不幸な話です。
気持ちの悪い人になるというのは、自分で自分を不幸にする選択をしているということです。
目先の自分のゆがんだプライドを得るために、大切な実の部分を捨てているのです。
こういう人になってしまうと私としても心が痛むので、タオによって幸せになるためには注意しなくてはならない例として挙げさせていただきました。
このような人は、エゴが肥大しているのにその物差しが他人からの借り物であるというアンバランスによって制御が利かなくなっているのでしょう。
ですので、エゴを小さく、物差しは自前のしっかりしたものを用いるということをお勧めいたします。