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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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大倭寇の話 4・ザビエルと新世代の倭寇

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 朱紈将軍による倭寇討伐があったのが、1549年です。

 その翌年、日本にやってきた有名な異人がいます。

 フランシスコ・ザビエル。日本に初めてキリスト教を伝えることになる、イエズス会の伝道師です。

 ポルトガル王ジョアン3世の要請でインドのゴアに布教活動に旅立ったザビエルは、そこからマラッカに移動しました。

 あの、ポルトガルに迷惑をかけられていてチクったマラッカです。

 マラッカでザビエルは、ヤジローあるいはアンジロウと呼ばれる倭寇と出会います。

 元は鹿児島の氏族であったとされていますが、人を殺めて出奔していたと言います。

 誰でもおいそれと国外逃亡ができるという時代ではありません。つまり彼は、倭寇の一人であったと言われています。

 そんな彼もザビエルに教化されて洗礼を受けました。日本人初めてのクリスチャンは倭寇だったのです。

 ザビエルは彼の国に興味を持って、共に日本に向かいます。

 乗り込んだのは「アワン」という倭寇の船だったそうです。

 アワンとは阿王(王ちゃん)という中国名でしょう。

 倭寇ルートを活用して無事ザビエルは鹿児島についたのですが、ヤジロウはまた海賊行為をするべく海に戻り、そのまま亡くなったと言われています。

 このザビエルのポルトガル・ルートが確立されたことで、日本からの対外経済活動が一気に活性化されたことは当然の流れです。

 近隣の密貿易商たちは再び船島に集まり、倭寇活動を再開します。

 しかし、ここで問題が起きます。

 前の世代の大ボスたちは先の大襲撃で滅ぼされてしまったので、誰が場を仕切るかという問題をクリアしないとならないのが渡世のしきたりです。

 そこで頭角を現してきたのが、のちに海賊王と呼ばれる、安徽省出身の任侠であった王直です。

 時をさかのぼること1543年、五島列島を縄張りとして五峰と号していた彼が、船に乗せていたポルトガル人を介して日本に鉄砲を伝来させたと言われているような大物です。

 このため、五島列島にはザビエル像と並んで彼の像があります。参考画像→http://www46.atpages.jp/mzprometheus/wp-content/uploads/2014/02/wanchii-244x300.jpg

 この王直が五島列島を縄張りにしていたこと、石見銀山の経済を左右していたことも含めて、やはり彼ら次世代の海賊たちも「倭寇」と呼びならわされます。


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