倭寇についてちょっと閑話を。
今回の企画のために調査をしていてたまたま発見した下の絵ですが、どうやら倭寇、林鳳のマニラ襲撃時を描いたもののようです。
下にはスペイン人らしき騎士が倒されて突破されています。
私はこの絵を、最近読んだ本に習って「騎士団長殺し」と名付けました。
実際のところこれが、当時描かれた物なのか、当時を想像して後に描かれた物なのかわかりませんが、大変に読み解きがいのある絵です。...
まず、最初にわかりやすいのは、左手にいる辮髪の倭寇です。
持っているのは明らかに中国刀ではありません。
これこそが倭刀だと思われます。当時の中国の倭寇図にもそっくり同じ形で描かれています。
次に中央下の「騎士団長」を見てみると、頭のわきにサーベルが転がっています。
騎士団長の右手がからであるのを見るに、これは彼の得物だと思われます。
ここで注目したいのは、このサーベルがしっかりとした護拳のあるものであるということです。
これはつまり、片手使いの物であり、陸上での防衛側とは言え、両手持ちの大きな刀剣を所持していなかったことを想像させます。
大砲や小銃を併用するときに邪魔だったからかもしれません。
そして、彼の右手にもう一度注目すると、しっかりした革の手袋をしていることが描かれています。
これこそがフェンシング・グローブで、考証の上で非常に重要なものです。
団長もまた左手が見えませんが、おそらくは左手にも同じものをはめていたのではないでしょうか。
そして、左手にもまた短剣を装備していたかもしれない。
左右の手に長さの違う剣を装備するのが、もっとも古いエスグリマのスタイルである、エスパダ・イ・ダガと言うスタイルです。
もし仮に左手が無手であった場合は、このフェンシング・グローブで相手の刃物をあしらいます。そのためにこれは必要だったのです。
現在みられるような真半身に構えるフランス式フェンシングとの違いは、ここに大きく現れます。
左右の手が出せるよう斜めに構えて、左手も相手に届くようにするのがエスクリマの特徴です。
そのような、両刀使いをしているのが中央の倭寇です。
しかしこの倭寇、右手には鎌のような刃物を持っています。
これは中国でも使われていたものなのでしょうか。あるいは、東南アジアの兵器を調達したのかもしれない。
鎌刃は船上でロープなどを切るときにも非常に役立ったのではないでしょうか。
そして左手です。
これは、どうも東南アジアの兵器、クリスのように見えます。https://ja.wikipedia.org/…/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9_(%E7…
となるとこの倭寇、中国人ではなかったのかもしれない。
クリスはベトナムやタイ、フィリピンに普及していたそうです。だとすると、そこのどこの国のひとであってもおかしくない。
倭寇が国境を持たない混成旅団であったことがよくわかります。
またもし、彼が中国系であったとしても、兵器の選択に対して実にフレキシブルであったのだとも思えます。
現代エスクリマからの視線で見ると、実は騎士団長よりこの倭寇の装備のほうがエスクリマっぽいのです。
つまり、この「騎士団長殺し」の絵は、西洋剣術の技法と東南アジアの環境がハイブリッドされえて現在のエスクリマになったという、交配の歴史を象徴しているものです。
そしてそこに中国武術の技法が入ると、我々ラプンティ・アルニス・デ・アバニコになるのです。
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騎士団長殺し
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