歴史と言うのは、次々に資料が出てきて定説が変わってゆく物です。
私たちが義務教育で習った歴史上の出来事は、いまではだいぶ変わっているようです。
今回の倭寇についての記事のために参考にした資料も、いずれ変化が起きるかもしれません。
ときに私は、忍者不在論者です。
というか、個人的な物ではなくて存在の歴史的証拠が一切ない。
そこで時々、忍者に関する新しい資料に目を通して、何か進展がないか確認します。
先日、最近の忍者研究の第一人者の本でそれをしました。
この方はそれまでの忍者関係の本の執筆者にありがちだった自称忍者当人などではなく、誠実な歴史研究家の方で、冒頭からまず忍者とは何かという定義づけ、およびフィクションの忍者と歴史上の実在の記録についてから著述していました。
要約してみます。
まず忍者という言葉そのものは昭和30年代に入ってからの創作であるということ。それまではシノビノモノと言う言葉が使われていたことが書かれていました。
ただ、シノビノモノというのは単に潜伏をしている人、という意味でタームであるという保証はありません。
このシノビノモノ、古い記述では南北朝の時代の記録に見られるそうです。
もちろん、まじめな研究家の人はこれが=忍者を示しているとは明記していません。
実際に、いわゆる忍者に触れた物ということになると、やはり16世紀に書かれた「万川集海」によることになるそうです。
これでは昔と変わらない。この書は「いまはもういないのでここに書かないと話が消えちゃうから書き残すけど、昔はこういう人たちがいてこういうことをしていたらしいよ」ということを書いたものです。
この後の、18世紀になってからみられる資料でも、やはり「昔はシノビノモノというものがいた」という話ばかりが出てきます。
つまり、いまもいるとかいまもこういうことをしているという歴史上の資料はいまだ確認されていないのです。
それが二十世紀になって突然「俺のうちは忍者だ」「おれも忍者だ」と言う人たちがわらわらわいてきたのだから不思議です。
まぁ本物なら少なくとも忍者と言うマスコミが作った言葉は使わなくてもいいような気もしますが。
このように、常に懐古調で書かれてきたシノビノモノですが、これらの振り返りの多くは中国の逸話を元ネタとしており、孫子の兵法の活用だとされています。
これらのことから、前述の書ではシノビノモノというのは、南北朝時代の悪党と言われた地方勢力のうち、孫子を学んだ者のことではないか、と言うようなことを慎重に提示しています。
これはどうも、自称忍者業界では結構定番の意見のようです。
確かに、地元の悪党が傭兵集団として働いたことを「シノビノモノ」というのなら、忍者のイメージには近い感じがします。
ただ、そんな地方豪族のようなものがいつどこで孫子を学んだのでしょうか?
遣唐使や遣隋使を介して日本にきた異人からだ、というのがこれまで語られてきた説です。
そのために、空海が忍者の元祖だなんて説も聞きます。
しかし、それだけでそんなに孫子兵法が拡散するものでしょうか?
ここで私は、もう一つの中国とのルートを想像したのです。
それが、正使ではない海路の横行者、つまり倭寇です。
これなら、16世紀以前より存在していたことはもう証明済みです。
さらには、鉄砲の伝来と密接にかかわります。
中国式の兵法や、西洋からの鉄砲、火器の技術の専門家としての忍者像なら、鉄砲衆であった根来衆や雑賀衆が忍者だとみなされていたこととも合致します。
ここから広げると、忍者のトレードマークにも話が通ります。
忍者と言えば、火薬玉のほかに手裏剣に隠し武器にニンニンと組んだ手の印です。
手裏剣が、十字手裏剣のイメージになったのはまさに昭和の忍者ブームからだと言います。
それ以前の物は実在の流派に伝わっているような棒状のものです。
これ、中国で言う鏢です。
中国では本職の武術家は必ず持っていた隠し武器で、そのためにプロの傭兵武術家を鏢師と言うくらいです。
ほら、忍者と重なってきたでしょう?
このような隠し武器、暗器は中国武術家の専門です。いくたの面白忍者グッズや攻城兵器なども、中国では紀元前からおなじみのものです。孫子にルーツがあるなら当然すぎるくらいのものです。
さらにここで手の印に触れますと、これは小乗仏教に由来するものでしょう。
実際、忍者もののフィクションではこれを組んでマントラを唱えます。
となればこれ、まさに中国武術そのものではないですか。
忍者の看板すべてが中国武術とのつながりを示しているのです。
ここで私は、忍者とはすなわち、倭寇のその後なのではないかと考えました。
陸に上がったカッパならぬ、陸に上がった海賊です。
河童は山に入ると山童という妖怪に変わるそうですが、海賊は傭兵になったのではないでしょうか。
中国において、大倭寇の時代に武術のブラッシュアップが行われたように、日本においても中国武術の伝来がひそかに行われていたとしてもおかしくはありません。
そしてこれによって「忍者は潜伏するのが仕事だから戦わないだろう」というジレンマも解消されえます。
もしこれが立証されれば、インドから仏教と共に伝わってきた拳法が中国の少林寺で心意把となり、方やは太極拳に進化し、片方では南派となり、さらにはそれらが移動してフィリピン武術につながり、また日本にまで届いたという広範囲に及ぶ伝播の軌跡を証明するものとなります。
実に壮大な、いまだ解明されざる大きな歴史的テーマではありませんか。
ついでに言うと、現代でも忍者武術を称する派の中には水軍衆とのつながりを標榜する人たちがいて、彼らはものすごい効果の点穴を使うのだと聞いたことがあります。
以上を持って大倭寇の話は終了です。