Quantcast
Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

勁力の種

$
0
0

 年末から練習している、平馬での発勁強化を試みているうちに、太平天国拳の一つ、太字拳が面白いことになってきました。

 平馬での挿搥はもちん、抛肘などの肘打が大変強くなってきました。

 ここのところ、ジェダイと伝人を重ね合わせて観ることがことさら多いのですが、まさに套路を正しく学べば、歴史上のマスターたちとつながって教えを受けるのと同じことになります。

 しかし、それは誰にでも出来るわけではないことが最近分かってきました。

 それは、功夫の程度によって変わるからです。

 基礎の功夫がある人間にだけしか出来ない動きと言うものがあります。

 たとえば、両手に体重を同じ重さの荷物を持って、そのまま階段を上がったり引き戸を開けたりできるのは、ある程度力に余裕がある人だけです。

 これがもし、持ち上げるのが精いっぱいだったら運ぼうとしてあることした途端にバランスを崩して支えきれなくなってしまうことがありえます。

 功夫も同じです。

 一定以上の馬や整勁など、定力の強さが無いと、行うことの出来ない操作があるのです。

 基本、うちは進捗が大変に速いので、これまでにあまりにも秘伝を早急に人に伝えすぎているのではないかと悩んできたのですが、実はその心配はほぼ無用でした。

 なぜなら、実直にあたえられた練功を行い続ける人にしかそれは身に付かないからです。

 ここが「秘伝はまつ毛のようなものだ」と言う日本古武術の最大の違いです。

 中国武術の秘伝は練功法であり、直接使う技ではありません。

 なので、行い続け効果が出るまでの期間が必要になります。まさに功夫(時間)です。

 腕立て伏せのような運動でも、やり方を教わった瞬間から力が付くわけではありませんね。

 仮に腕立て百回を目標にしていて、出来るようになったとしても、百回目が終わった途端にファンファーレが鳴って力が強くなることはありません。むしろ直後は弱り切っている状態でしょう。

 その後で休息時間を経て、筋繊維が回復してから強い力が手に入ります。

 練功法にはその熟成時間が必要です。なので不心得な人は真伝を得ても本当に自分の物にすることは不可能だという風に思うようになってきました。

 そして、これが術と技の違いです。

 技であるなら、自己流でもなんでもある程度でなにがしかの形にして結果を出さなければなりません。

 フェイントを行ったり避けにくいコンビネーションを工夫したり、また最大限加速をしようとしたり。武道や格闘技のトレーニングとそうして技を磨くものだと思います。

 偉大なチャンピオンや実戦で知られる剣士などは、他人と同じことをしても真似のできない、その人だけの特徴を活かした技の持ち主が多いように見えます。誰もがアリや一刀斎になれる訳ではありません。

 彼らの技を真似すれば真似するだけ、同じように真似をする他の才能のある人にはかないません。

 しかし、術はそのような枝葉の部分ではなく、根や幹にあります。

 それを可能にする自分自身の生成にこそが大切です。。

 どれだけ水や光を与えても、種をまかなければ芽は出ません。

 その種となるのが練功法です。

 この種は、捲いて育てさえすれば誰にでも成果が得られます。 

 その種は、私が預かり、お分けしている物です。

 これを育てることの出来る人を、いつでも私は待っています。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>