先日のアルニス・サンデーではエスクリマ初心者のために、他派でもやるループ・トレーニングの要素を入れての練習をしました。
これはお互いの技の交換をいつまでも続けるという、現代エスクリマの一番面白いところの練習です。
しかし、伝統エスクリマではこういうことはしないのです。
古いタイプの俗に言う「つまらないエスクリマ」では、攻撃を受けたが最後、即座に受け返しを成功させたならそのまま一気に勝ち手にもっていって止めを刺してしまうので、技の交換などはないのです。
このあたり、伝来の刀剣術になじんだ我々日本人には感覚的に理解しやすい気がします。
とはいえ、必勝殺法に持ち込んで一刀入魂、一撃必殺ではフィリピン武術らしくない。
変幻自在の手数というのが現在のエスクリマのイメージでしょう。
そこを目的地とするのなら、ループするトレーニングはいいエクササイズになるとは思います。
ですが、これにはループそのものが目的のキャッチボールになる可能性があります。
もちろん、だからこそ現代エスクリマではそれでいいのですが。
古典のような勝つためだけにやっているような体系では、相手に反撃を出させる攻撃をさせる意味がない。
古いエスクリマで行っていた対人練習には、我々も含めたドセ・パレス派ではタピタピと言い、バリンタワック派ではパラカウと言います。
これは片方が師匠役で弟子役の方に攻撃を加えてゆくところから始まります。
師匠の攻撃に対して弟子は最適な防御を行い、それに紐付けられた必殺技の攻撃を放ちます。
上記の一撃必殺系の秘太刀で返すのです。
それに対して師匠は返し技で応えます。
その攻撃を弟子はさらに防御して秘剣を持って……と言うような形です。
これはあくまで師匠が優位であって、弟子を可愛がって鍛えるという構造になっています。ループ・トレーニングのようなタイの関係とはイニシアチブが違います。
師匠の要求したレベルを弟子が越えで弟子が必殺技をマスターしたとき、新しい技を身に着けたことになるのでしょう。
しかし、古伝とは違って現代では師匠が常にマンツーマンで弟子を鍛えるというようなマイスター制度で訓練が行われているとは限りません。
多くの場合、同門同士で役割を分担して練習をします。
その時、弟子役のほうが試練を乗り越えたら、そのまま攻守交替して今度は師匠役にスライドして練習を続けます。
これ、よく考えたらある意味でループしているとも言えます。
趣旨は違うのですが、結果として同じようなことをしている訳です。
これによって、古伝のエスクリマでも応用力とグルーヴ感を得ることが出来ると思っています。
そうやって面白く練習して、かつ、往時はそのままただ一方的に勝つためだけの愛想のない技術を磨いて行ったのでしょうね。