さて、前の記事で南進した中国武術であるラプンティ・アルニスのルーツが蔡李佛拳にあるらしきことを書きました。
その時に提示した資料がこちらです。
https://lapunti.org/about/lapunti-arnis-de-abanico/
ここに登場するマスタル・ジョニー・チューテン(チウテン?)のことは以前から聞いては居ましたが、その拳法の由来が分からなかったのです。
今回、その存在が分かったことによって、彼が蔡李佛拳師であったことが分かり、さらにはその師がラウキム老師だということが判明しました。
https://www.youtube.com/watch?v=kirt_zWvoV8
ということは、このリンクがおそらくは最も古くまで辿れたラプンティ・アルニスの母体の一つの動画だと言うことが出来そうです。
これらの説明では洪拳の師父として書かれているので、洪門拳法の師父だったのだと思われます。
マニラの中華街に居たそうで、そうなるとラプンティ・アルニスはセブだけがルーツではないということになります。
劉老師は晩年は香港に行かれたと言います。
劉老師の系統らしく、ジョニー・チューテン師父の関係者らしき方がやっている、カンフー・フィリピネスというところのサイトも発見できました。
ここもやはり蔡李佛の武館であるようなのですが、そこで目にした動画が衝撃的でした。
これは十字拳であるようなのですが、注目すべきはまっすぐに突くチャプチョイの握りが豹拳ではないところです。
現代蔡李佛拳の看板技と言えば、姜子錘で握ったチャプチョイなのですが、これは三世の譚三大師がもたらしたもので、大師を祖とする北勝館から始まったものです。
それ以前の、太平天国の乱のときには用いられてなかったのですが、のちに逆輸入する形で私たちも使うようになったものです。
その後世に作られた看板技をしていません。
だとすると、相当古い風格の套路であるという想像ができます。
さらに驚かされたのがこちらの動画です。
これも蔡李佛の動画として挙がっているのですが、起式で心意把と洪門武術の系統にある符牒を行っていながら、中身はどう見ても福建鶴拳系の武術をしています。
もっというなら、これは白眉拳にそっくりです。
この拳法をする人は日本にはほとんどいませんが、私自身三年ばかりかじったので間違うことはありません。
あちこちに独特の動作があふれています。
特に特徴なのがちょこちょことした小さいジャンプと両手で地面を叩く排打功、そして両手での同時攻撃です。
両手同時攻撃は福建鶴拳類の特徴なのですが、この下への排打功などは実に独特です。
元々、福建鶴拳類と白眉拳は拑羊馬(姿勢の高い並行立ち)系の拳法で、きわめて似通ったところがあります。
面白いのは、白眉ではその立ち方を平馬と呼んだりすることで、逆に白鶴拳ではものすごく広い明らかな平馬を拑羊馬とよんだりします。
ホントに高くて拑羊馬と呼ぶのは、現代詠春拳と洪拳、蔡李佛拳で、この辺りから詠春拳の出自がうかがえます。
実際、古伝の永春拳を動画で見ると白眉拳に非常に近いのです。
そのような古伝のマジで反乱結社の強豪が使っていた白眉拳なのですがこれは中国の分類では四川にルーツがあるという独特の出自を主張しています。
そっくりな福建鶴拳とは少し地理的な開きがあります。洪拳や蔡李佛の本場である広東とはさらに遠い。
実はここに重要な真実が隠れているように思えます。
この四川と言う地は、清朝期に戦乱で一度ほぼ無人の地となったのだそうです。
そこに移住して住み着くようになったのが客家と言われる人々でした。
彼らは中国の歴史上何度も行われた騎馬民族からの侵攻などによって流浪の民となった漢民族の人々です。
その歴史の中には、以前に倭寇の記事の時に書いた南宋滅亡の時に南まで追われて行った人々も含まれています。
そのような経緯のため、彼等は民族自体が騎馬民族への抵抗勢力化してゆきます。
彼等から発生したのが、天地会や小刀会、三合会や哥老会という秘密結社です。
そして、これらは洪門と同一視されることもあるのです。
その視点から見ると、本来四川にルーツを持つ人々の白眉拳ら客家拳法が洪門を通して普及したことが想像できます。
福建の鶴拳類も同様で、これらのルーツをして南少林寺と称する伝説があります。
この南少林寺こそが洪門組織そのものです。
これらの組織が集結して決起したのが太平天国の乱です。
客家人である洪秀全が始めた革命運動で、各地の客家組織と合流し、洪門勢力とも全面的に融合して、中国武術史上最大規模の反乱運動を長期間に渡って展開しました。
この、フィリピン蔡李佛拳の中にある明らかに白眉拳の套路はその歴史の碑そのものであるように思えます。
昔、白眉拳をかじっていた時に師から「白眉と蔡李佛は絶対に併修してはいけない。一定の功夫が出来て固まる前にやると、やってることがまったく違うから体の中で喧嘩をして何も身に着けることができない」と言われました。
そのために三年経ってから蔡李佛をやり、その後は白眉に戻ることはなかったのですが、なぜそんな禁忌まで設定して両者を一つの門で行っているのかが非常に不思議でした。
その答えがいま改めて見えてきた気がします。
蔡李佛の名のもとに行われる勇猛なる白眉拳からは太平天国革命で活躍した客家拳法の雄姿が浮かび上がってくるようです。
中国大陸における長い長い歴史、およびアジアでの展開がそこには詰まっています。
改めて、本物の伝統武術を受け継ぐということは歴史の最前線に生きることを選んだということであり、これが自分自身の生き方、ライフスタイルであるということを強く感じます。