私は日ごろから、南派少林拳は少林寺から派生したものであり、瞑想であると言うことを訴え続けています。
日本では一般に北派の方が印象が強いため、少林拳だからと言って瞑想(禅)であるというのは安易なのではないか、という声があってもおかしくありません。
それも含めて今回は歴史的な視点から南派少林拳が瞑想であると言うことを書いてゆきたいと思います。
まずは北少林拳も禅ではないかということに対する見解なのですが、これは一言で云うなら、直系であるならそう、ということです。
少林寺で行われている物、および少林寺から在野の弟子に伝わっているものは当然瞑想でしょう。
しかし、少林拳というのは一般に中国の少林寺の遠縁にあたる拳法に至るまでが含まれる概念です。
あるいは内家拳法と呼ばれるグループ以外のすべてと言ってもいいくらいです。
そのため、中には単に太極拳などではないというだけで少林拳ということになっている物もたくさんある訳で、これは別に瞑想ではなくて防身術であったり戦闘術であったりするでしょう。
次にいま話に出た内家拳ですが、これらは少林の仏教に対して道教に由来する拳法群だと言う話があります。
その代表が太極拳であるのですが、どうもこちらの方が瞑想的な印象があって一般にはそれに対して少林は戦闘的な印象が強いかもしれません。
しかし、太極拳の歴史を振り返ると、そのルーツは少林寺にあります。
伝説にある張三宝創始説にしても、史実らしき陳家創始説にしても、どちらも少林寺から持ち出された少林拳がアレンジをされた物であるという内容は変わりません。
同じことに関しては内家拳と言われる形意拳に関しても言えます。
これも心意拳のグループであり、伝説によると姫際可という武術家が旅の途中で宿泊した寺で見つけた岳飛の武術書から復興したものだという話があります。
この寺というのが、少林寺の中の房の一つであったという話があります。
また、この説とは別に、少林寺では歴史上最初に行われ始めた武術の一手を心意把だと言う伝承があります。
この心意把が、現在に伝わる心意拳、形意拳と技術的に同様のものであることから見れば、それなりに信憑性の感じられる説であるとも思われます。
その上で云うなら、やはり形意拳も少林寺から伝わった拳法であると言うことが出来ると思います。
もう一つの内家拳の八卦掌ですが、これはルーツがよくわかっていないことで知られています。
確かに特徴的ならせんに歩く練習法は道教の瞑想法がルーツであると言われていますが、それは納得の行く物のように思います。
そして方やで、この拳もまた少林拳の影響が強いという話はあります。
しかし、先に書いたように、直系の少林武術以外は瞑想色が弱いということはありますので、ここに関してはどこまで少林系の流れの色合いがあるかは不明です。
これまでいろいろな武術家の書いてきた本を読んできたり、直接会って話を聞いたりしてきたのですが、我が拳はすなわち禅であるという生命は、南派の拳士から以外は聞いたことがありません。
これは、南派がもろに焼き討ちされた少林寺から落ち延びた武僧らによって広められたものであるという話のためであるかもしれません。
少なくとも、内家拳ではないから少林拳である、というような消極的な理由ではない、積極的な姿勢があります。
もう一つ、別の角度からも瞑想について触れてみましょう。
そもそも、少林寺が出来て禅というものが広まる前から中国には道教がありました。タオの思想です。
このタオの二大巨人が、いわゆる老荘。老子と荘子ですが、この思想が仏教に与えた影響が強いようなのです。
中国拳法のうち、ペルシャやインド、チベットに由来を持つものがあるように、シルクロード圏の文化というのはとても一体感が強いのです。
そのような背景の上で、老子がインドに渡ってお釈迦様になったという老釈説という物があります。
同一人物であるというところまで行くと首をひねるところですが、思想としての老子が仏陀の思想になったと言うのならばあり得る話ではないかと思います。
それくらい元から近しい思想であったタオと仏教が、その後達磨太子によって少林寺にて布教されたなかで、禅という思想へのアプローチが生まれてきました。
以上を踏まえたうえで、やはりタオイズムと仏教、とくに禅は極めて同一性の強いものであり、それらの瞑想の方法としての少林拳という形がとられたというのは、その後の中国武術の発展において大きな意味のあることです。
以上を持って、正当な少林武術とはすなわち禅であるということを改めて説明させていただきました。
これらのために私の拳とはすなわち、闘争のための訓練ではありません。
まっすぐに立ち、ゆっくり歩き、深く呼吸をして、静かな気持ちになり、豊かな心で、穏やかに生きる。
それが私の武功です。