今週末も練習がありました。
名古屋の学生さんがいらしたのですが、療養上がりのためか手抜きの癖が戻ってしまっていました。
実力はあるのですが、対人練習意外だとつい楽をして気や勁をおろそかにしてしまうのです。
套路でもただのルーティン・ワークにして形をなぞるだけ、兵器や拳足を決まったところに置くだけになってしまいます。
これは、カラテ経験者に非常に多い傾向です。
組手やミット打ちなどの対人練習でやっていることと、独り型でやってる体の動きがまるで違ってしまう。
中国武術ではそれでは意味がありません。
套路はただのカタではありません。
一つ一つの動きの運気、用勁が伴うからこその気功的な練功となります。
そのために、きちんと中身を分かっている師父から段階的な教授を受けることは必須となるのです。
学生さんが練習をしているところに私が手を突っ込んで自分を打たせたのですが、まるで勁が働いていません。気が抜けた錘です。
「そうではなくてこう」と学生さんに掌を出してもらって劈錘というビール瓶切りのような錘を当てました。
すると掌は吹っ飛び、上腕の方にまでシビレがはしったと言われました。
最近、私が発勁をすると打たれたところの周りが痺れると言われることがあります。
ここのところ姿勢を低くして練習しても、膝に負担がかからないことがあります。
うまく下半身の経絡を通る勁で体重を支えられて定力を作れているので、骨格に負担がかかっていないのです。これはうれしいことです。
健康にもいいし、骨に掛からない負担は経絡に行くので勁が鍛えられます。
そのような進歩があるからこそ、特別な特訓のようなことはしていなくても、自然に勁が強化されているのです。
正しく経絡内の気と勁の運用を行って、日常の一人稽古と生活をしていれば、自然に功夫は積まれるように、本来本物の中国武術というのは出来ているのです。