前回まで、唐の時代の武術について書いてきました。
すると反応してくださった方から「李白は若いころ武術の修行をして仙人になりたかった人だ」ということを教えてもらえました。
これはすごいことです。
と、いうのもしこれが当時から合った概念だとしたら、武術の修行で精神的に至るという考え方が当時から道教系武術としてすでにあったと言うことになります。
これは、少林武術が瞑想としての武術を始めたよりも先行しているかもしれません。
現在一般に道教系武術だと言われているのは清朝末の内家三拳が中心であるのですが、この新派の系統とは別の道家拳法の存在が証明されることになります。
調べてみると、いまだはっきりしたことには出くわせなかったのですが、確かに李白は武術が達者だったのではないかと思わしきことがあります。
どうやら父親を敵と討ち取りに来た四人組の刺客と戦って、その内の三人を仕留めたという話があるのです。
前に書いた李賀と同じく、彼もまた、仕官して軍事を指揮しようと志していたと言います。
化仙の意図についてはまだ調査中ですが、相当な腕であったのはうかがえるところです。
おそらく、唐詩に詳しい人からすれば、李白の遺作のうちにそんなことは沢山書いてあるよ、ということでしょう。
当時の道家武術とはいったいどのような物だったのでしょう。
仙道の行の中に武術があったということなのでしょうか。
こればかりは、道教というのが布教宗教では無く民俗信仰であるために、我々外国人には少し知りがたいところでもあります。
このあいだ、その土俗信仰から布教宗教への国教の転化を描いたのが西遊記だということを書きましたが、今後、これまで書きたかったのに寝かしておいた中国四大怪奇小説における、武術と道教、仏教のお話を書いてみたいと思います。
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