中国の古い兵書にこのようなことが書かれてあるらしい。
敵味方の兵が互角であれば帰れ。
勝ち難かったら退け。
有徳の人を敵にするな。
中国では徳と言う言葉にはいろいろな意味がある。
タオで言う徳と儒教で言う徳は少し色合いが違うように思う。
普段は、仏教とタオの思想が融合した禅の思想について語ることの多い南派少林拳の私たちですが、今回は儒教で言う徳をフィーチャーしたいと思います。
儒教での徳というのは比較的日本でもおなじみの、道徳のようなニュアンスのもののように思います。
仁義礼智忠信考悌、という奴ですね。
この内、礼というのは儒教における非常に独特な意味を持っているように思います。
と、いうのも、礼と言うのは文字通り儀礼を含む言葉だからです。
孔子教団の特性は形式主義(スノビズム)にあります。
結局、他の徳を持つことは心の底からは誰にでもはできなくても、持っている人のまねをしていればいずれそれが心にフィードバックするようになる、と言う考え方をしているのです。そのためのツールとしての儀礼です。
そして、そのような儀式を取り仕切ることの出来る身分の人のことを大夫といい、それをまた君子とも言って、儒教における実践の目標としていました。
古代社会におけるこの思想の影響力は非常に強く、孔子様をDISりまくっている老荘のタオ勢にしても、そもそもは儒教の発想のかけたる部分を補うためにブラッシュアップの形で形成されてきたとも言います。
大夫というのは役人ですから、当然政治や軍事の実践にもこの儒教思想が強い力を持ちます。
こと、兵法においてこれは強い拘束力を持ったとも言います。
礼を持たない物は戦において勝つことが出来ないとも、また戦うことすらできないとも言ったようです。
礼なんか要らない、勝ちさえすりゃいいんだ、という発想はそこでは通じません。
実際、漢族の礼に則らない騎馬民族たちの侵攻に中華の人々は苦しめられ続けるのですが、なぜか彼らもまた中土を支配するとこの儒教思想に逆に染められてしまいます。これを漢化と言います。
清朝を打ち立てた女真族も、なぜかハーンでは無くて中華帝国の皇帝を名乗ってモンゴルを離れて北京で中国様式の生活を始めます。
言語も漢語を用いるように自分たちが変わってゆくのです。
このような、敵さえ飲み込む儒教の礼の威力。
一体一ではなく、様々な方向に多様な敵が現れうる中華においては、礼を破った者は全方向に危険視されて消し去られる可能性にさらされます。
秦の始皇帝がどれだけ土木工事で人を使役して恐れられても、それが国益のためであればそこには義と礼が立ち並びます。
その場合、逃散や反抗はあっても革命にはつながらない。
しかし、皇帝が礼に反した時は易姓革命が行われます。皇帝のリストラです。
この場合の礼は、人に対したものであると同時に、天に向けられたものでもある、というのが現代日本人が見失いがちな礼の本質です。
現代人は礼という物を人間関係における功利的な目的に向いたものだと考えがちですが、そうではありません。礼とは人以外の物に向けられることにそもそもは大きな意味があったのです。
儒教においては祖霊が信仰されています。
先祖を信仰するがために、先祖が造った自分を尊重します。
身体髪膚を傷つけず、という儒教の教えはそのような思想を現しています。
そのために、自分の生き方を尊重しないといけませんし、自分を活かしている万物にも敬意を表します。
そのために儀式としていろいろなことを祀る訳です。
そして、天と国そのものを祀ることが許されているのは直接天と繋がっているとされる天子、すなわち皇帝のみだったと言います。
なので、山河の形を変える治水や土木は皇帝の儀式として執り行われる必要があります。
つまり、礼とは祖先や天地自然と繋がる行為です。決して有力者や厄介者のご機嫌を取るための物ではない。
この視点から戦を改めてみてみると、礼を執り行うことが出来る者は諸侯と言った人のみならず、天地を活用できる者といったことになります。
これを「天人合一」と言います。
中国の高等な武術とはこのような思想を体現しています。
孔子様は孔子六芸と言って、戦車の操縦や弓などの技術がプロ級だったそうですが、みなこのように天の運用の正しさに則っていたためでしょう。
少し長くなってきたので一旦稿を改めて、お話を続けたいと思います。
つづく