これまで、紀元前から20世紀までに至る東南アジアの歴史をかいつまんで眺めながら、その民族史の趨勢における武術史を伺い見てきました。
インド武術の影響力の大きさや、その筆頭としての中国武術のUターン的な再伝播の過程が見えたことは大きな収穫であったと思います。
というのも、これまでにあまりにもこの分野に関するある程度まとまった見解と言うものが日本においては存在していなかったからです。
こういう話があります。
20世紀初頭、ビルマがイギリス領となったときに、イギリスからインド統治の経験者たちが官吏としてやってきました。
彼らはインドの時のノウハウを買われて派遣されたのであり、その通りにビルマも統治しようとするのですが、それは上手くいきませんでした。
ビルマはインドの中の一つの州として扱われていたのですが、現地のビルマ人からすればまずインド人のヒンディーが支配階級としてあり、仏教徒の彼らに対して抑圧的だったうえに、さらにイギリスが現れてそのインド文化の重圧を加重したことになったためです。
やがて彼ら仏教徒の中から反対運動が起こり始めました。
この出来事のきっかけは、イギリス側の「インドもビルマもおんなじようなもんだろ?」と言った姿勢にあります。
そこにある民族という物や宗教と言う物を観ていない。
ここまでなぞってきた東南アジアの歴史の中で、これでもかとばかりに繰り返されてきたことです。
フィリピンでは、繰り返された現地人同士の大規模な階級闘争の末、マルコス政権が立ち上がります。
彼らの政策では、国民への教育が遅れ、富裕層だけが搾取した利権をむさぼりました。
現在に至るまでもフィリピンが言語統一をされていないのは(かなりの高学歴者でさえ、英語を使わなければ出身地以外のフィリピン人との会話は出来ないのが当たり前)、当時発令されていた言論弾圧が影響しているのは明らかです。
初めから彼らに対して、世界は口を閉ざすようにと仕向け続けてきた。
そのような中で、ねつ造されたカリという言葉が西欧圏で広められました。
「フィリピンもインドネシアもおなじようなもんだろ?」という無理解がこの土台にあるのは、ここまで読んできてくださった方々には明白であることだと思います。
その中で、やはり唯一独立国としての歴史を確保してきたタイのムエタイは圧倒的な差別化の印象を与えます。
ですが、それを覗いては中国武術、インド武術、シラット、フィリピン武術などの区別がつく人はあまり多くないのではないかと思われます。
日本統治による尚武の結果としてシラットがカラテをベースに再構築されたことや、南ベトナムがアメリカの管轄の元でボクシングやレスリングなどを取り入れた結果、ボビナムという武術が生まれたことなどはそのような混交の歴史を象徴する物でしょう。
これらのブレンドの多様性をそのままに受け止めて観察してゆくことが、武術を通した歴史や人類学上での諸外国への理解に繋がるものだと信じています。
先日、うちの学生さんでこの武術の流れの研究に熱心な方が、今回の記事のきっかけとなったシラット、パリサイ・ディリのルーツが、中国の武術家、盧清池という人にあるということを掴んでくれました。
南京の武術大会に関わったり、インドネシアに移住してからも現地で学校を拓いたりと、知る人ぞ知る高名な剣士であったと言います。
こういった事実を発掘し、彼等先人が国や文化の壁を越えて交流しながらのちの私たちに遺してくれた遺産を引き継いでゆくことが、21世紀に活きる我々後継者の役割だと思って日々このようなことをしています。
長い記事群をお読みいただきありがとうございました。
この度はここにてひとまず筆をおきたいと思います。
翆虎