前の記事でクンタオについて書きましたが、それで思い出したことがあります。
ミンダナオにおいてどの段階でクンタオが部族の文化となったかはわかりませんが、それが20世紀初頭以前かもしれないと考えると、地理的にちょっと面白いことが見えてきます。
フィリピンの文化圏は大きく三つに分かれていて、一番北のルソン島、中部ビサヤ地域、そして南にミンダナオ諸島があって、そのすぐ下はもうインドネシアです。
東南アジアの歴史シリーズで書いているように、北部ルソンには南宋の時代から中華系の都が造られていました。
中部ビサヤはセブ島のあるところで、ここが現代エスクリマの発祥の地です。
そしてミンダナオはイスラムとインドネシアの地域だったのですが、この図式からは、中部のエスクリマが上はルソンの支配階級が持つ中国武術、南はミンダナオのクンタオと、カンフーに挟まれていることが分かります。
中部の剣士の家系の人の中には、セブ各地やミンダナオに廻国修行に出ていたという人のエピソードが多い。
我々ラプンティ・アルニスのフェリモン・カブルナイ先生という方もそのようなことをしていたと言います。
となると、中国武術の影響はジョニー・チューテン師がルソンはマニラのトンド(東都)ルートから公式に持ち込む以前から実はあったのではないかと想像もできます。
多くのエスクリマに伝承されているマノマノ、モンゴシと呼ばれている中国武術要素は、南北両方のルートからの伝播の結果かもしれない。
あぁ、これは面白い。
この分野ももっと研究されていってもいいと思います。いずれもう二十年、三十年経って、より深みを、より正伝の武術の奥を求める人が増えたおりには追求されてゆくことでしょう。
私は現代武道や総合格闘技などから入って、アジアの伝統武術の世界に至りました。
現代武道や総合格闘技をしてゆくうちに、日本人の武道観というものがみな明治になって近代化の折に設定された物だということが分かってきて、その西洋的な動きに対する違和感がどんどん強くなっていました。
おそらく、そこから先に小笠原流などを学んでゆけばどんどんと日本の身体への理解が深まったのではないかと思われます。
しかし残念ながらいまのところ縁がなく、私にはそちらの方向性を追求することは出来ていません。
いまやすっかり中国式の身体観にスライドしており、それがインドに由来することを理解してそれらのアジア的体育の伝播の研究グループを運営している次第です。
身体の使い方というのはアジアの考え方で言うならスポーツをするという意味ではなく、ライフスタイルそのものであり、生活哲学のような物となっています。
現在の日本では西洋体育式の身体の使いが当たり前に教育されており、その学校体育に矛盾しない形で現代武道は設定されています。
また、隣の中国でも本物の古伝武術を継承したいという若者は減っており、逆に共産党は唯物主義と伝統否定の姿勢から西洋の体操競技の身体の使い方を土台として作った表演競技を「武術」と呼んで普及させています。
アジア北部において、伝統的な身体の使い方はどんどん消えてゆきつつあるのです。
私がフィリピンでグランド・マスタルに引き合わされて、そこでマスタルに任命されたのは、伝統的に伝わるアジア式の身体の使い方が出来たからではないかと思っています。
西洋的なスポーツの身体であったら、教わった武術を受け継ぐことは出来なかったかもしれない。それはモダンではOKかもしれませんが、伝統的なファミリー・アートの剣術の物とは違うのです。
これまで書いてきた、東南アジアの歴史と武術の混交の過程の中で、二度の大戦にも触れました。
その結果、アジアでは色々な武術が様々な民族間で大いに行き来した訳ですが、
西洋では近代オリンピックが発生しました。
「参加することに意義がある」オリンピックは、西洋諸国間の軋轢を越えて同じ種目を行って共同でイベントを開くという理念のもとに運用されてきたものです。
これによって世界各地で大々的に平和が進んだものだと思われます。
多くの国や地域が発展したことでしょう。東京オリンピックによる戦後日本の発展はとても有名です。
この一方、最近すこーしだけ気になるのが、西洋式体育の過剰な普及によって、各地域での部族の身体観が塗りつぶされてしまう部分もあるのではないか、というところです。
民族に伝わっている動きと言うのは、文字などで残すことが非常に難しいものです。そもそも文字がない部族もあるし識字率が低いなんてのは珍しくもない。
また、ある地域では当たり前になっている身体操法などはしいてこと挙げされずに命名などもされていないことも多い。
そのようなものが、自然に伝わってきたように、自然に消滅してゆくことはごく当たり前にあることなのでしょう。
武術の正統な後継者と言うのは、そのような物を保存して体現し、のちに引き渡してゆくことが存在意義です。
我々のところにはいろいろな民族武術の探究者が集い、その連続性を追求していますが、決して適当にミックスをして創作をするようなことはしない。
それをしてしまっては、自らの存在そのものを否定することになります。
特に何の世間的なメリットもなくひたすらに古伝を体の深いところに受け継いで暮らしてゆき、ある時どこからか志のある人に出くわしてやって見せてくれと言われたらホイとしてみせる。そのようなことがこうしてただこの世界で生きているだけの我々伝承者の在り方なのでしょう。
このような者を武林隠者と言います。
私が現世と半歩離れた身と標榜しているのは、かような理由がある次第です。
世間での利だけが利ではありません。
このような生き方が出来ることそのものが私にとってはこの人生における素晴らしいギフトです。
おそらく、このような努力も私たち過渡期の世代独特のものなのでしょう。
もう少しすれば、古くからの老先生方の動きと、これからの時代を情報化社会の技術力で保存することが出来ます。
ネットの世界に残すことが出来れば、あとは百年でも二百年でも遺せることでしょう。そうすれば、清の時代までと未来を身体の遣い方において一つに繋げることが出来る。
いまはその作業の途中です。
遺りさえすれば、いつか才能のある人が現われ、人類をさらなる高みにまた進歩させることもあるかもしれません。