春は存外に疲れる季節だというのが気功界ではよく言われます。
これは、活動期に入った外の世界の生命に力を吸われるからだという人もあります。
私個人の説からすると、気功はあくまで外部との協調のものであるために、活動期である春には自分もまた同じく活動的になるため、それによって消耗する部分が出てくるのではないかというのが私の意見です。
陰陽思想です。
盛んになればかならず消費される部分がある。
そういった原理原則、法則は老子や荘子が古典として残してきたものですが、では一体どのようにしてこれらは発見されたのでしょう。
ということを考えるに、おそらくは感覚が鋭い人々の経験の積み重ねによってきたものなのでしょう。
二千年以上の積み重ねによって、それらはアップデートを繰り返されて、スタート地点からはだいぶ離れたところまで来た部分も多々あるかと思われます。
そのような感覚の強い人はいつの時代も一定数いるかと思うのですが、しかし、基礎教養なく自分の感覚だけに任せていることはとても危険なこととされていて、禅病や偏差、魔境というものが厳に戒められているのはそのためです。
しかし、個人的に鋭い人の中にまた驚くほどの人がいることもまた事実です。
その中の一人が、明石家さんまさんなのではないかと私は思っています。
と、いうのも、さんまさんが良く言っていた話の一つに「みかん食べて日に当たってれば風邪にはならない」と言う物がある、というのが一つのきっかけでした。
ちょっと風邪気味だなあと思うとみかんを食べて日向に行くのだそうです。
気功とは、元々動物として持っていた本能の部分での生命活動の営み方を体系化したものです。
どうもさんまさんはその生命力の強さに異常な物があるようです。
誰も寝ているところを見たことがないというレジェンドがありますが、実際に娘さんのIMARUちゃんも、さんまさんが眠っているところを見たことがないそうです。
この辺りからさらにすごいエピソードして、長男のにちか君が病気になったときに「そんなんオレがなおしたる」と言って一晩抱きしめて治したことがある、という物があるのです。
我々が言う処の気功療法です。
また先日もある番組で、ひどい腹下しを起こした時のことを語っていたのですが、「体の末端を全部ひっぱってみたんだけど効果が無かったんだけど、耳だけやってないことを思い出して試したら一発で治った」ということを話していました。
それを聴いていた後輩が「なんで末端引っ張ろうと思ったんですか?」と当然の疑問を口にして笑いになって終わっていましたが、具合が悪い時は末端を引っ張る、という謎のルールが、果たして誰かから教わった物なのか、それとも自分の感覚で湧いてきた物なのかは非常に気になるところです。
80年代くらいに、上方芸人の元桂三枝さんが気功をやっていて、楽屋に気功師を呼んで導引をしたりしていたというから、もしかしたらそこらから影響を受けたのかもしれません。
いずれにせよ、見事な経絡理論にかなった療法です。
このように、具合が悪い時は自分の身体と相談して治してみようとする、という意識自体がすでに気功をする人間としての生き方に実にかなっているように思います。
もちろん薬を飲むのも大切なのですが、ちょっと具合が悪い時にあちこちを伸ばしたり身体が欲しがっているものを正しく感じ取って補給したりして回復させられるというのは、とても大切なことだと思いますよ。
思えばIMARUちゃんの命名の由来である「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘も、非常に老荘思想的。
さんまさんはかなり出来るって感じがします。