人間一人の全体の内、ヒトゲノムが占めるのは43パーセントだそうです。
他は、体内のバクテリアや皮膚の表面の微生物などが47パーセントだそうで。
もちろん、47パーセント組はそれぞれ数パーセントたちが累計された結果であって、43パーセントのヒトDNAが与党であることには変わりないのでしょうが、それにしても野党勢が47パーセントもいると言うことに驚きました。
最近よく言われる腸活などは、この野党勢の活動を活発化させる物ですね。
腸内環境の改善は、脳に影響を及ぼす神経伝達物質の働きにも大いに影響をもたらすとされていて、性格や生活への反映が大きいと言われています。
この環境をかんがみると、やはり人間一人を一つの小宇宙とみなした老荘思想(タオイズム)は科学的にそう外れた物ではなかったのだなあという気がします。
その観点からの、人間を操作するのにエゴではなくて身体の自然の部分を活用するのだ、という気功的アプローチは、まさにこの47パーセントの野党と与党の内の半分を合同で働かせるものでしょう。
それは47パーセントのうちにいくらかだけで行うエゴ頼みの行動よりも大きな効果が出来ても不思議ではないのではないかという気がします。
普段の稽古においても、内はまるまる何もやったことのない初心者が来ることは残念ながらあまりなくて、なにがしかのベテランの人たちのたまり場となっているのですが、そこで繰り返し私が言うことは、「エゴに囚われないで」「執着しないで」「心の弱さに任せないで」そして「ただやってください」ということです。
いたずらに情感を働かせると、たいていの場合動きの邪魔をします。
一時的には勢を増すことがあっても、勢あるは尽きるの言葉通り、すぐに消耗してその状態は長続きしない。
なのでそこを頼まず、ただ淡々と無感情になって寛ぎ、動作そのものは身体に任せると勝手に上手いことやってくれたりするものです。
その任せ方が気功、内功という物です。
安心して任せてよいということが、稽古での体の働きから感じられるようになります。
そうして自分の中の自分ではない物たちへの信頼が強くなると、稽古以外の時でも安心して生きられるようになります。
自分の意思とは別のところにある命そのものというのが、まかせれば十全に生きてくれるということを理解できるからです。
このようなことを、安心立命と言います。
心を安らかに、命を立てる。
これが気功の大目的であり、それは武術として行ったときも決して変わることはありません。