中国武術では、大形と小形というものがあります。
これは単純に動作の外見的な大きさを示すものだそうで。
この文脈で考えるとちょっと疑問があることが私の門派にありました。
それは、套路の名前の「大○○拳」とか「小○○拳」という物です。
別に中身の動作が大きくなったり小さくなったりしている訳ではありません。
暗勁で打っても低架で打っても大〇〇拳、小〇〇拳という名前は変わりません。
少なくともそう思っていました。
ではどこが違うのかと言うと、礼式の違いなんじゃないかな、と師父に教わったことがありました。
礼式は大礼と小礼があり、小から入って練度が認められると大礼で行うことになります。
このため、打つ人の階級によって大小の差が出ているのだとずっと思っていました。
しかし最近、海外の師父で「小○○拳」を大礼で行っている人を見つけてしまいました。
あれ? そうなの? と思ったのですがあまり気にしてはいませんでした。
ただその方の套路の打ち方がものすごくよくて気に入っていくつかの動画を見つけて何度か観ていました。
すると、おかしなことに気づきました。
私の知っている大○○拳と動作が少し違う。
これは派によってよくあることですのでそれだけなら特に気にしなかったのですが、その無くなり方に法則性があったのです。
それは、その場で小さく独立馬を一瞬作って足を踏みかえる動作と、進退連環をする部分です。
どの套路を見ても「小○○拳」と言っているところではそれをやっていない。
それをやる動作のところで、ふつーに足を置いているし、進退連環があるパートは丸々カットされている。
これはつまり、心意把の動作をしていないということです。
すなわち、先に書いた暗勁で打っても名前は変わらない、というのは実は詳細を求めるなら間違っていたのです。
段階が進んで、暗で打つことを練る段階で設定された時に、小〇〇拳たちは大〇〇拳になるのでしょう。
中身の勁が違ったのです。
暗で打つなら動きが小さくなるから大から小になる方がわかりやすい気がしますが、この場合の大という言葉は、BIGではなくて、GREATの意味だと解釈するならこれで成り立ちます。
ちなみにこの先生、起式の動作のところでは他の先生ではみたことが無いくらい、心意の動作で鶴形を行っており、確実にそちらの動きが出来る人だと思われました。
それがわざわざ内容を踏まえた上で要点を隠して小〇〇拳の方を公開していたのです。
いかにも中国武術らしい話です。
余談ですがこの先生のする起式の中の心意系の動作、回族系の心意六合拳の起式になっているのですが、ある特殊な系列の形意拳では普通の無極式、太極式、三体式の起式の流れの中に追加されています。
套路は暗号に満ちている。
きちんと伝統武術としての伝承を受けていて、歴史にも造詣がないとこの暗号は見えてこない。