現在起きている右下腿の変調を、初め気功のせいかと思ったと書きました。
というのも、換骨と言って、内功(気功)をしていると身体の内側が発達して骨格が変わるためです。
そうやって、中国武術や気功にあった身体になるからこそ効果がある、というのが中国式の考え方です。
よって、体型や相でその人の実力はある程度分かる、とされています。
この変化と言うのは恒久的な物もありますし、一時的な物もあります。
ある老師はこれから拳を打つぞと言う時に内意を巡らすとその途端背中が大きく膨らみだすそうです。これなどは程度問題はあれ、かなりの人に起きるものだと思います。
私の個人的なものとしては、功を巡らせると掌が肥大して変色してくるという物があります。
その状態が伝説にある毒手功みたいだとよく笑い話にしています。手の甲で波状の線を境に二色に分かれてるから、陰陽手くらいの呼び方にならないかなあ。
このように、ちょっと普通には信じられないような身体の変形というのは中国武術では功夫の有無を示すものです。
我々少林派においては膜騰起と言って骨膜や腱膜、筋膜が発達して厚くなり、あたかも骨格を膜が覆ったようになって身体が膨らむ現象がよく知られています。
これらの膜はそのままでいる物とは限らず、上に挙げたように使用時に活性化してさらに大きくなります。そのための下地を装備してゆくのが練功です。
日本では意味も分からず形だけ気功を真似事をしてなにかしたような気になって満足しているケースが多いようですが、中国武術はボクシングやカラテとは違うジャンルの物なのでそういうことではありません。気功はおまけではなくて中核なのです。そうでなければ正統な中国武術とはとても呼べない。
この度、うちに来てくれている、武気功をしている生徒さんに変化が出たので、その写真をお見せしたいと思います。
左右の手の大きさがまったく違う。
朝起きたらなっていたそうで、午後までには戻ったと言います。
眠っている時には自我が薄くなっているので、このような肉体の変化が起きやすいのです。
こうして気血水の徹りが良くなって身体の膜の伸縮幅が拡張されて行っているのでしょう。日本人はたぶん、意と気を誤解している。気は物理的に測れる力なので、正しい気功はこのように目で見えたり、触れたりする効果があります。
その気の巡りが盛んになってから、また通常モードに戻った後も、また内勁を巡らして拳を打てばこの膨張率の伸びしろ分、強くなった功が発揮できるはずです。
力を籠めると縮こまって固まってゆくという一般的なやり方とは真逆で、中国武術では組織が広がってゆくのです。
左右のアンバランスが心配になるのは当然なのですが、そこが中国武術の恐ろしいところで、このようなことは功があるとか奇功であるとして珍重される文化があります。
一指禅の有名な拳士などは、練った指一本だけが百匁蝋燭のように肥大しています。
もちろん、そのために全体の調和が乱れたりすることはあります。そのようなことを偏差と言って、非常によく起きることです。
だから中国武術は自己流では開花できず、きちんとした指導者の下で正しく行わないといけないと言われるのです。
原理原則への理解と、そして哲学を学ばないと体得は不可能です。
それをおろそかにして間違った道に踏み込んでいく人があまりに多い。
正直、私の今回の膝の変事もそうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、一歩進むごとに偏差の危険性に注意して慎重に進むことは常々促され続けています。失敗を認めて改める勇気は絶対に要るのです。
だから我々のところでは、学習志望者は一定の期間を設けてそれが可能な人かどうかを伺いながら練習をしています。
もし不可能なら、偏差でおかしくしてしまわないためにです。
昔の中国では見込みが無いとわかると「あぁ、あんたはもう卒業だ。練習にこなくていいから自流を興しなさい。立派に一人前の先生だ」と言ってその先の修行には進ませなかったそうです。
そのためにまともな指導を行えない先生が増えて行ったそうな。
なので、由来の分からない先生、自己流の先生というのはどのような手合いなのか、というのはみんなが暗黙に理解していたということです。
効果の見えない練習をいつまでもさせる先生、身体に功が見えない先生も同様の物だと思われます。