最近、アルニス班のみなさんがだいぶサヤウ(舞の意。中国武術の套路的な物)を覚えたので、コンポというカテゴリーの技術群を練習ですることが多くなりました。
フィリピン訛りなのでコンポと言っていますが、普通に言えばコンボのことですね。コンビネーションです。
具体的に説明すると、ある攻撃からそのまま返す刀でこう変化して撃つ、というような日本武術の秘太刀のような物がコンポです。
そういう定石みたいなコンポがいくつかあって、さらにコンポとコンポが連なって複雑なコンポになっている、というようなのが12個ほどのやはりサヤウ的な物になって伝承されています。
これらの技なのですが、ちょっと動きに癖があります。
秘太刀なのだから癖剣なのは当たり前だろうという思われる方もおられるかもしれませんが、そういう意味での癖ではありません。
動き自体がちょっと古いのです。
一般のサヤウがバハド(一対一の決闘)や中国武術の影響、ゲリラ戦の戦術の痕跡が感じられるのに対して、コンポはスペイン時代のエスグリマの匂いがすごくある。
ブレード・ファイティングと現地で呼ばれる西洋剣術のコンビネーションの色がすごく濃く感じられるのです。
おそらく、カブルナイ宗家に伝わって居た剣術の要素が保存されているのではないかと憶測しています。
話に聴くには、フィリピン南部の剣士の家に伝わるファミリー・アート系のエスクリマは、十本とか二十本のこうした必殺技みたいな物があるだけで、基本の動きや技同士の共通した関係も薄く、本当にたまたまそういうトリック技で昔の人が勝ったことがある、という物が継承されているそうなのだそうです。
それらの剣術はコンセプトの思想が甘く、ゆえに発展の仕方が難しいことからか19世紀末の段階で完全に時代遅れになって、滅びるばかりの物となっていたそうです。
実際、これらの物は通称「つまらないエスクリマ」と呼ばれたりもしていて、奇特な外国人が学びにいってもやっぱり、何をしてるのかよくわからないしつまらない、とされてしまうことが多いそうです。
このような散文的な物を体系づけるための運動として生まれたのが第一次ドセ・パレスだったのですが、そこから決闘の時代が始まってしまい、全体に技術が決闘向けにブラッシュアップされていったというのがフィリピン中部ビサヤ地域のエスクリマの歴史です。
その後、マニラではゲリラ戦のエスクリマの歴史があったり、またいまは現代体育としての歴史が始まっていたりするのですが、それらの時代の裏側で保存されていたのが上記のファミリー・アート系の剣術で、コンポはそれらの動きがすごく感じられます。
シンプルなX状の軌道を描くコンポや、それからさらに逆軌道を描くコンポ、またブロックからいきなり足の甲と股間への連続攻撃を仕掛けたりしてゆく小手先の切り返しは、カコイ・ドセ・パレスのクルバダに似たちょっといやらしいだまし技のような生生しさがあると同時に、質朴な剣術の気配も感じられます。
アバニコを中心とした中国武術色の強い動きとはまた違う趣があります。
スペイン剣術と洪門の中国武術が融合され、バハドとゲリラ戦を想定して編纂されてきた歴史の重層性が、この家伝武術の一つの味わいでもあります。