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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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技の世界、功の世界

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 昨日はグランド・マスターから直々の指導を受けることが出来、非常に勉強になりました。

 面白いのは、グランド・マスターからの注意点として、スタンス(立ち方)は後ろ重心の平馬だと言われたことです。

 フットワークをしやすいように自分流で立っていいと言われることが多くのフィリピン武術では多いと思われますが、これは面白いところでした。

 蔡李佛と同じ要訣なので、私には大変むいています。

 とはいえ、これはあくまで技の世界なのです。

 きちんと立ち、猛烈に打ちまくることを重視しながらも姿勢が崩れることを戒めている珍しいタイプのフィリピン武術ですが、やはりそれでも技の世界の範疇の武術であることには変わらないのです。

 術の世界とはしていることが違う。

 私のしている蔡李佛では、術を尊び功を基準とします。

 変化に富んで他者との競り合いに優るという技ではなくて、たった一つの中核を深めてゆきます。

 この二つは、決して混同してはいけない部分です。

 功は言うならば信念に似ています。

 あっちにもこっちにも行く信念などと言う物はもう信念ではない。

 技は変化して良いが、信念は一つです。

 キリスト教の司祭であり、仏教の阿闍梨であり、ユダヤ教のラビであり、回教のアホンであるというような人は居ません。

 そのような、及び腰で安全なところに重心を置いた選択は不可能なのです。

 そして、技と功を分明せずにいることは非常に危険なことです。

 私がアルニスとカンフーを両方行うのは、それぞれが非常に似た形でいる物の、同根から別々に進化してきた別物であるからです。

 功を持ってアルニスの練習をしのいでしまえば、一向に技は上達しないでしょう。

 技で人と競り合ってごまかしてしまっても、カンフーの功はまるで深まりません。

 そのために、これらを別々に学んで身につけてゆくために、我々はそれぞれを学ぶ土壌を作ってきているのです。

 帰国すれば、日本で唯一のラプンティ・アルニス・デ・アバニコと蔡李佛が学べるクラブになります。

 大変に楽しみなことです。

 

 

 

 


武術における到着点

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 フィリピン修行もあと十日ほどで終わりです。

 先日、マスタルから「次は銃の使い方を教える」と言われました。

 軍隊所属のグランド・マスタルのグループですし、実際町では銃を持った人もフツーに見かけるお国柄のためか、銃器類も得物の一つに数えられているそうです。

 ダン・イノサント先生によるフィリピン武術の兵器のカテゴライズにも「ハンド・キャノン(小銃)」という物が入っていました。

 しかし、訓練期間に限りがあるため、大変に無礼なのですがそれはお断りしてしまいました。

 銃器が規制されている日本において、安全な中でそのような物をもてあそんで喜んでいる虚弱なオタクと一緒になりたくなかったのです。

 ここで自分の内に疑問がわいてきます。

 では一体、なぜ私はフィリピン武術をするのでしょう。

 もう十五年ほど前から行っているので、ほとんど習慣のようにはなっているのですが、初期衝動は確か、やはり映画などで見ていた物を経験してみたいということだったと記憶しています。

 私には別に強くなりたいという欲求もないし、そもそもこんなことで戦いたいとも思わないし、こんなんで闘って勝つことが強いとも思わない。

 では一体、どうして?

 どうもエゴの働きとして、何かを獲得したいと言うものがあるのではないかと思い至りました。

 その何か、というのが武術であったり、武術をマスターした自分という存在であったりするのだとは思います。

 ブランド好みがあるつもりはないのですが、せっかくやるのだからマスタルになりたいという意思はありました。

 これはおそらく、一定のところまで学習してアウトラインを掴みたいと思っているからです。

 日本武道などでは「わかることなど一生無い! 慢心するな喝!」というような考え方があるようですが、これはおそらく明治の近代化の中で生まれた独特の階級制度保持のための封建的な因習のように思います。

 逆に、中国武術では明確な正解があるにも関わらず、それを公開することを避けて厳選した者にだけ真実を伝えるというしきたりが一般的です。

 いずれにしても、どこまで言ったら自分があるていど分かったか、というのを理解するのは容易ではありません。

 そこまでの道のりが往々にして長く厳しいので、たいていの人はかなり早い段階で分かったことにして辞めてしまったり向上を辞めてしまったりするのでしょうが、出来れば私はもう少し先まで言った見たかった。

 少なくとも先生から「あなたがある程度分かったことは私が認めるよ」と言ってもらえる程度までは行ってみたかったのです。

 この気持ちは、うちに来てくれてるみなさんに対する私の気持ちにも反映しています。

 ほとんどの中国武術では、一般の学生はどこまで行っても本当のことなど教えてはもらえません。

 師父になり、後継者候補となって初めて本当の稽古が始まります。

 十年やろうが二十年やろうが、お客さん扱いの学生はお客さんのままです。

 伝統継承者の世界の内側に入らないと、身内にはなれません。

 その敷居があまりにも高いので、せっかく来てくれてる人達も本当のことが知りたいだろうから、許されるところまでは公開しようじゃないか、というのが私の運営方針です。

 そのレベルで物を知ることが出来れば、あぁ人間というのはこんなことが出来るのだ。歴史はこのような積み上げをしてきたのだ、と言う風に人間や世界を受け取ることができます。

 何も知らされないまま安易に低く物を見積もってきたなら、自分や世の中の真実を知らないまま物事を下に見誤って生きてゆくことになるでしょう。

 人間の精神においては非常に良くないことだと思われます。

  もちろん、何かを知りたいと囚われるのもエゴの妄執たりえます。

 そのような妄執の解決法として、願いをかなえる、と言うのはタオの考え方にあるものです。

 

マギンハワ通りで荘子

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 本日は英語の授業も無く、朝食後は目の前のマギンハワ・ストリートに出ております。

 この通りは朝が遅めらしく、開店しているお店が少ない。そこで結局いつものカフェTHEO‘Sに参りました。

 荘子を紐解きながら人々を見ていると、こちらの人々のおおらかさがやはり強く感じられます。

 カフェの店員さんには男性なのか女性なのかわからない人がちょいちょい見られます。

 店一番の美人がエプロンを外していたら男性だと分かったことなどもあります。

 公園に寛ぐカップルの数組に一つは男性同士のカップルです。女性同士のカップルはちょっと目にしないような気がするから、そういう意味ではそこはポリティカリティー・コレクトではないのかも。

 とはいえ、ここの人々が他人に対して足を引っ張りたがっていないことは感じられるように思います。

 自分に関わりの無い人々のスキャンダルやお祭りを貶めてやろうと活発に活動する日本の人々とはちょっと違う気がします。

 やはり私には日本の社会は息苦しい。

 荘子にはよく、病気を得た人々の話が出てきます。

 道を志すある学者が病気になり、その学友が見舞いに尋ねたとき、あろうことか彼は「君はそれが嫌かね?」と問答を仕掛けます。

 病床の者は答えて曰く「天が私の左手を鶏に変えようと言うなら、私はその声を聴こう。右手を弓に変えようと言うならそれで矢を射よう。尻を車にして心を馬にするというなら、私はそれに乗るだろう。別の馬車を用意しなくてすむよ。この世に生まれたのは生まれるべきときに巡り合っただけだし、生を失って死ぬときでも死ぬべき道理に従うだけのことだ。自然の道理に従って生きるなら、感情の入り込む余地はない。すなわち、束縛からの解放ということだ。自分で解放することのできない人というのは、外界の事物がその心の中で固まっているのだ。外界の事物が自然の道理に勝てないのは昔からのことだというのに」

 ここで言う外界とは、自然界に対して社会というようなことを言っているのでしょう。

 社会の価値観に身を任せて生きたり、自分への執着に凝り固まって生きる人は自由になれない。

 だとしたら、一体日本の社会でどれだけの人が本当に自由を求めているでしょうか。

 社会の価値観に身を任せていれば自分に責任を持たずに生きられます。

 スピリチュアルやコーチングなど、まさにそういう人のためにお金を払って管理を任せられるサービスでしょう。

 誰も初めから覚悟を持って望んで生まれてきている訳ではないので、そういう人に世話を焼いてもらいたいというニーズがあるのは理解の範疇です。

 逆に、自分自身への愛着にしがみついて生きる人は、一切の変化や他人の価値を認めることが出来ないでしょう。

 どちらにせよ、自分が寄る辺とする物を自然の働き以外に求めている。

 地に立脚して天に背筋を伸ばして立っていない。

 本当に自分の心と身体でそのように生きることを自由というのでしょう。

 そのような道を、一体どれだけの人が求めましょう。

 私はその極少数派のためだけに、この仕事をしています。

フィリピンの記 9 いくつかの流派について

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 本日も、グランド・マスタルの指導を受けてまいりました。

 途中から雨が降ってきたので、木立の下で雨粒をよけながら練習。

 ドセ・マノスというシナワリを始め、何種類もある複雑なシナワリに、さらにいくつもあるシンゲル・バストンのサヤウの数々……。

 もう二十以上は習ってます……。多い……。ラプンティ百套だ。

 それでも雨を避けて木の下で稽古なんてなんだか幸せだなあと思いながらやっていると、公園で遊んでいた十人ほどの中学生くらいの集団も雨宿りにやってきました。

 やることもないらしく、私の練習を眺めながらグランド・マスタルと話をしていた彼女たちですが、その内に日本人でカンフー・マスターだときいたら珍しがったらしく「彼女等がカンフーを見たいって言ってるからやってやれ」と指示が出ました。

 套路を打つとそれなり喜んでくれたのですが、いやー、どうもフィリピンでもカンフー映画はよく流れているらしく、どうも関心はあるようです。

 練習が終わった後、グランド・マスタルから「フィリピンには、いろいろな外国の武術が来て土着化した」と言う話を聞かせてもらいました。

 グランド・マスタルは、カンフーとラプンティは似てるだろう? と言って、あの独特の姿勢や足さばきを使ったマノマノ(徒手武術)を見せてくれました。

 それは基本は同じなのですがアルニシャー(棒のこと)を使ったアルニスとは別に、モンゴシと呼ぶのだそうでした。モンゴシ・スタイル・マーシャル・アーツだと言っていました。

 コン・プー(タガログでのカンフーの言い方)がモンゴシになったようでした。

 また、韓国のテコンドーはフィリピンではシカランという物になり、タイのムエタイはヤウヤンとなったと言っていました。

 日本ではフィリピン式レスリングとみなされていたドゥモグは、柔術だそうです。

 現地のマスタルからの、非常に貴重な見解が聞けました。

マスターの資質

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 荘子を読んでいると、どうも道を知ったとしても、すべての人がそれを得られるわけではないと言うことがうかがえる気がします。

 これは道教で言う仙骨が無いと言うヤツかもしれません。

 もちろん、道を得る素質が無くても、道を知ることが出来ればその意味は十分にあると書いてはありますが、この辺り、やはり人を選ぶというシビアさはまるで消されたわけではありません。

 また、何かを得ようとか何かになろうとして頑張りすぎることそのものが否定されており、あるがままの自己を維持することが是とされているので、あるいはそのような一定内の努力による獲得が話の前提とされているのかもしれません。

 私自身、あまり他の欲はないのですが、何かになりたいという欲求が幾分あるようです。

 何か興味のある物事に出くわすと、それの本物になりたくなってしまう。

 もちろんそこにはエゴという物の危険さがあると認識します。

 その一端として、私は詐称をする人や自己流に対して抵抗感が強めにあります。

 何者かになる、ということに対する思い入れのせいでしょうね。

 せせこましいポジション・トークかもしれません。

 ただフィリピンでのアルニスのレッスンでも「NO LICENSE NO TEACH」と言う言葉が出ました。

 この折り目はそれほどに間違ったことではないのではないかと思います。

 そもそもが、なにがしかのライセンスが欲しければ正当な訓練を積んでそれを認められるというのはそんなに不思議なことではありません。

 もちろん、不正な手段や義理や経済事情によってライセンスが発行されることは十分にあるため、ライセンスがあるからと言って何もかもがつつがないとは言いませんが、それでもだからと言ってそのような物が無い方がいいということにはならないと思います。

 なので、なにがしかの師範や実力者になりたければその手続きを正統に踏めばよろしい。

 それで力が及ばなければ、自分が成れるものになっておればそれでよろしいのではないでしょうか。

荘子の中に“もし鋼が自分は名剣になろうと言う意思を持っていたなら、創造主はそれを不吉な鋼とみなすだろう”という著述があります。

分不相応であったり不実であるような欲を持つならば、それこそはまごうことのないゆがんだエゴそのものであり、自分の命の本来ある価値を損なう物となるのではないでしょうか。

私の周りにも何人か、師から指導許可を得ながらも、人に教えることなんかよりも自分の練習の方が大切だと、教室などは開かない人が居ます。

そのような方が、資質のあるがままにマスターとなった人々なのだと思います。

フィリピンの記 10 アイゴ―

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 昨日も朝から昼間での外稽古。

 現地の皆さんと一緒に練習していた処、ばっちり熱射病になってしまったようです。

 稽古あとから具合が悪く、夜は早々に睡眠をとったのですが、起きても後頭部に痛みがあり、朝からの授業はスキップしてしまいました。

 どうも頭は打たれまくってきたので大変に弱い傷め処となっております。

 ところで、こちらでの英語の授業というのは、現地でのネイティブの人から教わるというような日本の英会話学校のような物ではありません。

 きちんと教育を受けたプロフェッショナルの講師から、ものすごく正しい英語を学びます。

 なので、ブリティッシュだとこうだけどアメリカではこういう言い回しをして、一般には発音もこう、というようないわゆる「きれいな英語」を学べます。

 そのため、ブロークンな会話の英語というのは否定されています。

 昔の私の日本でのフィリピン武術仲間にはうさんくさい外国人のようなのが多かったのですが、その中にはやはりいい加減な英会話講師のような者もいました。

 彼にメソッドを聞くと「来る人はみんなしゃべれるから何も教える必要はない」とのことでした。

 どうやらただ会話の相手をするだけの英会話講師というのが日本には非常に多かったようです。

 私もそんな仲間たちと話してはある程度通じるような気になっていたのですがとんでもない。

 本当の文法というのを学びなおしては目からうろこが落ちる日々です。

 中学校一年生レベルの英語、ホントに一つも間違えないで話そうと思うとものすごく難しいですよ。

 そのレベルを、正しく話せるまで何度も繰り返させられます。

 THEが抜けた、そこはSは要らない、Aを忘れている、というようなことを指摘されては修正を繰り返します。

 また、特に気を付けなければならないのがIS、Areと言ったbe動詞です。日本人はこれや主語を忘れて会話をしてしまいます。

 それをひたすら「plactice!」と反復します。

 これがいいのでしょうね。

 多くの日本人は、こういうのが実は苦手なのではないでしょうか。

 基礎を反復させられたり間違いを修正されると、自己の存在を否定されたように怒り出す人が多いように感じます。

 日ごろから彼我を比較して、他人の足を引っ張って自己の優越性をねつ造しているヒトが陥りがちなことに思います。

 日本というのは間違いをすることがすなわち人格の価値の否定につながってるという考えになりがちな社会だと常に思っています。

 仕事でバイトさんなどに指示を出すと「アタシのやり方に文句があるのか」と言わんばかりに怒り出す人がたくさんいます。

 挙句には「バカだと思ってるんでしょう!」などと言いだしたりします。

 おそらく、自己の価値の基準が、無根拠な自己愛のほかにないまま着てしまったのではないでしょうか。

 人間は過ちをするのが当たり前だと思っている私からすると、その偏った完璧主義がまったく理解できず、大変に悩まされます。

  過ちをまず出して、それを変えないことには改善というのは成り立ちません。それがすなわち、学習をするということです。

 英語の勉強をするのも、武術を学ぶのも、エゴが邪魔をすることが十分にあると思います。

 そのような部分に囚われることなく、虚心に事実、真実に自己を照らし合わせて合わせてゆくことが、タオの思想では語られています。

 そのため、当然私たちの武術の稽古というのはそのような物になります。

 稽古中に自己に囚われている暇はありません。ただ目の前に展開される事実の中にある真実を解析することだけを考えるべきです。

 すると気が付いたとき、自分がエゴを克服している時間を持てていたことに気が付くのではないでしょうか。

 それが、武術が瞑想たりえた瞬間ではないかと思います。

フィリピンの記 11

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 昨日の稽古で日射病にかかったようで、一晩寝ても頭痛に悩まされていたのですが、午後になったあたりで気づいたら頭痛は消えていました。

 そしてこみあげてくる気持ちよさ。

 これは、日本に居たときまで私がいつも感じていたのと同じ、気功の実践者の常態の物です。

 脳波や体内の分泌物の関係なのでしょう。いつもじんわりと気持ちよくあれます。

 思えば、フィリピンに来てからいままでこの状態にはありませんでした。

 午後のレッスンでケゾン・セルケル公園に来てからも、気持ちよさがわき続けています。

 日陰で座っていると風が気持ちよく、そのまま気功瞑想に入ると、完全に「つながった」感触が戻ってきました。

 内側にある固まった物がほどけて、解けてゆく感触です。

 これによって、内外が溶けあって一呼吸ごとに寛いだ穏やかな充足に満たされてゆきます。

 思い起こせば、飛行機で到着したときも左耳を中心に頭が痛く、数日それが続いていました。

 それはおそらく、外部の環境の変化を異常と捉えた肉体の防衛反応だったのではないでしょうか。

 それが三週間たち、暑い国でとどめの熱を食らって、外部の方が正しいのだと肉体が認めて適応をしたのではないかと思います。

 こうなると身体は安心して外に調整してくれて、その結果そこで一番気持ちの良い状態が取り戻せます。

 いまは非常に気持ちの良い状態です。 

スタンスについて

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 本日のレッスンで教わった重要なことが、まずはフットワークの問題でした。

 多くのエスクリマでは高めに構えて、格闘技的な、相手に対して斜めになるスタンスを取ります。

 そこから左右を転換する凹上のフットワークを、グランド・マスタルがして見せてくれました。

「これはモダンのスタイルだ」と言って、その後、足を前後の直線状に入れ替えるフットワークを教えてくれました。「これがライトニング」。

 そしてその後「うちはこう」と教えてくれたのが、蔡李佛で言う紐馬のように足をねじるスタンスです。

 基礎のスタンスが、相手に対してほぼ完全に真半身を切った低い姿勢なので、相手が背中側を打ってきたときなどは身体をねじって対応するのです。

 それを前提に、左右非対称に技術が組まれています。

 その後、トライアングラルというサヤウ(舞の意味だそうで、中国武術でいう套路に当たる)の復習をしたのですが、それはほかのマスタルが教えてくれた動きの解説で、詳細を聞くほどに相手に対して左右で入ったときの対応が変わると言うことを練習している物なのだと言うことが分かってきました。

 これは非常に珍しい動きです。

 中国武術の師父としても、大変に興味深いものでした。

 例えば相手の兵器による攻撃をさばくにしても、自分にとって左側に防いだなら手でチェックするという選択がありますが、では右にはじいた場合はどうしましょう。

 そのままだとまた戻って攻撃をしてきます。

 そのために独特の無力化のための対応があるのです。

 これは非常に面白いものでした。

 グランド・マスタルは身体をねじるスタンスをしながら「だからこれはコンプー(功夫)なんだ」と言っていました。

 確かにグランド・マスタルが見せてくれると、サヤウは完全に中国武術のヴァイブスになります。

 そして、片足立ちで立つ姿勢を取るたびに「コン・プー!」と強調していました。

 まさか独立馬と心意把との関係という私の研究のテーマが直結している訳ではないのでしょうが、実にちょうどいい物に出くわしてしまったと感じています。

 南の武術を研究するサウス・マーシャル・アーツ・クラブ、だいぶん南までフィールド・ワークに来ています。


フィリピンの記 12

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 本日、無事一通りの稽古が終了した模様。

 ものすごい数のサヤウをひたすら反復し、ディスアーミングを一回りこなし、そして27動作という恐ろしい長さのサヤウを最後にいただきました。

 後は自分で勉強してゆけという指導を受けました。

 日本ではどういうスタイルのアルニスがあるんだ? と訊かれて、私の周りではモダン・アルニスとPTKが盛んだと答えました。

 すると、あぁ、あれか、と言う感じだったのですが、「あと、JKD」と言うと「なんだそれは?」と言うので「アメリカン・スタイルです」と答えると「あーあー」と首を横に振っていました。

 やはり、国技の継承者としては少し遺憾があるという表情でした。

 まぁアメリカの創作スタイルは別として、日本の現在比較的盛んなPTKやモダンなどのスタイルが、練習内容においてタピタピやパラカウという組稽古に力を入れるのに対して、ラプンティではひたすらにサヤウです。

 そういう意味では、非常に孤独なスタイルです。

 人同士のコミュニケーションの要素が薄く、ただ自分のストライクを磨いてゆく。

 もう私も手首が腱鞘炎を起こすんじゃないかというくらいひたすらバストンを振りました。

 そういう意味では非常にプリミティブなバストン術なのかもしれません。モダン・スタイルとはまったく違う物として、このような物に遭遇できたのは非常な行幸でした。

 中国武術の南進の結果としても、大変に貴重な物です。

アルニス・マスター

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https://www.youtube.com/watch?v=f0dPWIM4Qws

 私のマスタルの、GMペピートです。

 公園での練習の模様の動画のようですね。

 はじめにやっているながーーいのはフリーフロゥではなくてサヤウです。一つ一つ手順が決まっています。

 このようなのを延々と何種類も行います。

 足さばきや方向なども決まっていて、真反対に向きを変えたり、斜めに進行方向を変えたりするサヤウもあります。

 GMペピートの団体は、THE POWER OF BRAVE FIGHTER ARNIS KICKBOXING と言って、アルニスと刀やナイフ、およびキックボクシングを練習しているようです。

 このキックボクシングとは、日本人が作ったスポーツの名前ではなく、徒手の格技はフィリピンではみんなキックボクシングかレスリングと呼ばれるようです。

 ムエタイやテコンドー、カンフーもキックボクシングで、柔術やアイキドーはレスリングのようです。

 他にドゥモグもやっているようでした。

 キックボクシングとしては、モンゴシという土着化したカンフーを少しだけ教えてもらいました。

 これは徒手でアルニスを行うような動きの物で、基礎は同じだとのことです。

 カンフーが土台になっているという考えは強いらしく、団体のマークにも陰陽マークが遣われています。

 また、アルニスはラプンティ・アルニス・デ・アバニコという中国拳法色の強い物で、バストンを持った時を狭義でアルニスと呼んでいました。ブレード・テクニックのことはアルニスとは呼んでいませんでした。

 おそらくキックボクシングと併記してあるのはそのようなニュアンスのためなのでしょう。

 この団体はARNIS PHILIPPINESという何かフェデレイションのような物に属しているらしく、フィリピンのオリンピック委員会にも登録してあるようでした。

 いずれこのフィリピンの国技が公式協議になるように働きかけているのでしょうね。

 私個人としては、このような伝統流儀がスポーツ化されることが必ずしも良いとは思っていませんが、何かの大会などの折にはお声がかかれば日本からでも出来る活動をしたいと考えています。

 まずは日本での支部としてレッスンを行い、在日のフィリピンの子供たちに安価で国技を学べる機会を作って、フィリピンおよびアルニスへの恩返しをしたいと考えています。

 地元の山手の教会を当たるとコミューンにつながる可能性があるとは聞きましたが、もし情報などお持ちの方や、やってみたいと思われた方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけると幸いです。

  

ラプンティ・アルニス・デ・アバニコのアウトライン

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 日本ではまだまだ、エスクリマの情報が少ない。

 一部の取りつかれて現地に渡った人々のフィールド・ワークを頼りにするしかない。

 しかも、多くの俯瞰的情報はそのような過程を経た外国人の方がもっており、現地の人同士の間では実は情報の有機的結合があまり強くないというのが私の印象だ。

 いまだにフィリピン現地では、あまり書面などによる調査の発表が多くないような印象を受ける。

 書店に行ってもアルニスコーナーやアルニス雑誌を目にすることは無かった。

 なので、限られた情報を元に現地入りしたフィールド・ワーカーがソースとなり、それを手にした次のフィールド・ワーカーがまたバトンを引き継ぐという形でしか、この文化貿易は行われないのではないかと思う。

 そのような踏破される一情報としてこれもまた送りたいと思う。

 あくまで日本に始めてラプンティ・アルニス・デ・アバニコを持ち帰ったマスターとしての考察および推察なので、のちには必ず覆される過ちおよび不足があるであろうことを始めに注意しておく。

 まず、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコは、ドキュメント映画「エスクリマドールズ」によると、比較的最近命名された物のようであるようだ。

 グランド・マスターの家に伝わっていた物であるようだけれど、当時はただ「エスクリマ」と呼んでいたらしい。

 それがのちに、アバニコと呼ばれるようになってそうな。

 アバニコという技術名は多くのエスクリマにあるので、あるいはここが元祖で広まったのかもしれない。

 あるいは、広まり始めた流行り言葉をスタイルの名前に関した可能性もあるのだけれど。

 いずれにせよ、流派名にしたくらいあって、ここではひたすらのスナップを利かせたストライクを多用する。

 これを門内ではチョッピングと呼んでいて、他派で言うウィティックと同じものだと認識しているように伺えた。

 このチョッピングは、通常横方向に内側から外へと素早く打っては鞭のように引き戻す物で、縦のベクトルのアッパー・スプリングや、中段に打ち出すサイド・スプリングががあり、一般に言う振り抜くスラッシュはローリングやロング・レンジと呼ばれている。

 チョッピング系統の技法では威力を出すために腕を大きく振り回したり姿勢を変えることはあまり推奨されておらず、腕を動かさずに手首だけを動かして打てることや、肘までしか動かさずに上腕を動かさないことなどが要求される。

 この細かい動作で威力を出すために、フィリピンでおなじみのタイヤを叩いて打ちなれるようにするトレーニングがある。

 この段階では、パワー・ストライクというサヤウを行い、威力の要請する。

 このサヤウは16の動作からなっていて、一つ目の動作はチョッピングで、続いてとどまることなく前後に進退しながら連打を畳みかけてゆくという物になっている。

 これは、ライトニング・エスクリマの「相手が一打打ってきたらこちらは15打返す」という思想に共通の物が見られる。

 ライトニング・エスクリマはエスクリマ・ラバニエゴに引き継がれる体系だそうだが、ラプンティ・アルニスの足運びにはエスクリマ・ラバニエゴと共通の物が見られるため、あるいは成立の過程で入ってきたのかもしれない。

 またこのような技法は多く迎撃に用いられており、素早い攻撃で相手の攻撃を撃墜することが多用される。

 これをカウンター・ストライクと言う。

このカウンター・ストライクがラプンティの基本戦法であり、そのために他派で一般的に練習の多くの時間を締めるタピタピやディスアーミングと言った受け止めありきの技法をあまり重視していない。

 相手のバストンを受け止めてすぐさま打ち返すというよりも、打ち手をそのままカウンター・ストライクで迎撃することが推奨されている。

 その後で可能なら相手に接触しての技法を行ってゆく。

 接触技法で特徴的なのは、マグニートと言って相手のバストンを自分の体に押し付けるという行為だ。

 これは打撃には空間が必要であると言うことを利用した物で、中空にある相手のバストンに積極的に自分の体を押し付けて振るうことが出来ないようにしてしまう戦術だ。

 そうしておいて、自分は近距離で使えるアバニコ・ストライク、およびその延長にあるスピンと言う回転技法によって連打をし続ける。

短い距離で短時間での連打がそのために求められる。

このようなカウンター・ストライクのためのサヤウとしてドセ・ドセ・ケンシという物がある。

 ドセ・ドセ・ケンシは12・12・15の意味だそうで、その名の通り12動作のサヤウを二つを連続して行った後に、15動作のサヤウをさらにつなげて行うという物だ。

 合わせて39となる異常な長さの動作で構成されるサヤウは他ではなかなか見ないのではなかろうか。

 相手の攻撃をまず打ち落としておいて、そこを取っ掛かりに連打を打ち込んでゆくという構成が反映している物だと思われる。

 アバニコとスピンの連続により、アルニスダ―の周囲には常に高速でバストンが動き回っていることとなる。

 これは中国武術での刀の使用法にある、刀を身にまとう技法に相似した物を感じる。

 ラプンティ・アルニスの成立には中国武術が大きく関与しているそうなので、発想が持ち込まれたのかもしれない。

 一般にマノ・マノと呼ばれる徒手の技術は、ラプンティではモンゴシと言われる。

 これはまさに中国武術そのもので、渡来したものが簡化されて独自進化をしたもののようだ。

 これらの事情から、私はこのスタイルが南進した中国武術であると想定している。

 十世紀からマニラへの華僑の移民は始まっていたそうだけど、それがどの地域の人々なのかはまだ調査ができていない。

 東南アジアの定番からすると、おそらくは広東系か福建系ではあろうとは思うのだけれど。

 その上でラプンティのアバニコ技術を振り返るなら、それは棍法や傘などの暗器、あるいは本当にそのものの扇の技術であったかもしれない。

 南派拳法の鉄笛の技術などは、クルクル回すアルニスの動きにそっくりであったりもする。

 この辺り、各兵器を研鑽してゆくうえで研究したい課題であり、また相乗効果の期待できる部分でもある。

 もちろん、現在のアルニスの技術は、革命以降のデスマッチでの技法を想定した物が主であり、古伝の剣術そのままのものではない。

 よって、一撫でで致命傷を与えるような物ではないので、改変期に中国武術を吸収したと考えるのが分かりやすいのではないか。

 だとすると、前の世代まではエスクリマ(剣術)と言っていたということとも時代的に整合が取れるように思う。

 デスマッチを目的として暗器の活用法は発展し、結果中国武術が今の形になったものがラプンティ・アルニス・デ・アバニコの歴史なのではなかろうか。

 一般に、正統な中国武術家はあまりに沢山の兵器を練習しすぎるように感じる部分がある。

 フィリピン武術に高い評価をみなす中国武術家がままいるが、それは本来あってはならないことのように思う。

 エスクリマにおいては難しいことは何一つしておらず、ただ単調な練習を延々と行うことで習熟し、地力を高めているだけなので、それに瞠目するということは己の練習不足以外の何物でもないであろうと思う。

 とくに、ラプンティでは対人練習よりも一人稽古を重視している。

 マスターたちからも、復習をしろということと、タイヤを打てということをしきりに言われた。

 そのようにして一種類か二種類の兵器に絞って一意専心反復を繰り返せば、当然その技術はこなれてゆく。

 当たり前だ。

 その当たり前を、多くの正当な中国武術家は出来ていないように感じる。

 実際にデスマッチで勝たなければ痛い目に合わされるという状況と、生涯使うことの無いであろう兵器を知識としてなぞるという環境の違いではモチベーションが大きく違うのは当然だろうとは思う。

 そういう意味で、エスクリマのレベルの世界は、ある程度さらって乗り越えてからでないと、高級技法などはあっても意味が無いのではないだろうか。

 さもなくば中国武術は高級概念を持て余すばかりの机上の空論になってしまうように思う。

 このようなことは、私が先にエスクリマをしていた上で中国武術に行ったから思うのかもしれないけれども。

 土台があってこそ、精密な建造物が建てられる。

 高級武術を二十年やるよりも、五年を格闘技に使い、三年を高級武術にあてた方がより大成の近道なのではなかろうか。

 学問に王道なしというのは正論であるとは思うけれども。

 そんな訳で、我々もバランスよくアルニスとカンフーを共に学んでゆきたいとは思う。

12月からの予定

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 あと二日で、フィリピン武者修行も終わります。

 帰国後、できれば即いつも通りのスケジュールで練習をしたいと思っています。まずは土曜日の通常練習を考えています。

 第三日曜日の月一WSは帰国後予定を調整し、こちらで発表したいと思っています。

 湘南クラスも同様です。

 加えて近々、アルニスだけの練習会を企画したいと思っています。日曜日になるかもしれません。

 横浜、東京近郊でご興味のある方はお気軽に連絡ください。場所など相談の上決めましょう。

 

 基本的に我々SMACは正式に訓練を受けて指導資格を受けた団体のため、アルニスとカンフーを混合したりすることはありません。

 しかし、カンフーの練習の中でアルニスを行って速度の感覚を養ったりすることはあるかもしれません。

 また、蔡李佛の兵器は套路をして学ぶ伝統技法なので、功夫が適切な段階になっていない人には教授できませんが、アルニスはどの段階の人にもお譲りいたします。

 アルニスを専修したい方はカンフーをやる必要はありませんが、カンフー修行者には土台作りのためにアルニスをしていただくこともあるかと思います。

 アルニスはより多くの方にお手軽にしていただきたく思いますので、お気軽にお問合せください。

  

これからのSMACのカリキュラム

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 おかげさまで無事、日本初のラプンティ・アルニス・デ・アバニコのマスターとなることができました。

 これからは蔡李佛と併せてこちらにも力を入れてゆきたいと思いますが、どちらも正統に指導許可を受けた物なので、それぞれミックスしたりはせずにバラバラに教授は行ってゆきます。

 アルニスを専修したい方は、毎回のレッスンフィーのみで手軽にアルニスのすべてのカリキュラムをすることができます。

 カンフーを学びたい方は、2017年以後は入門費をいただきます。こちらはこれまでにすでに通常練習に参加されている方からはいただきません。

 その後、套路を持って段階としており、初級の拳術套路と兵器套路一つを体得した段階で初級とし、中級套路と中級兵器套路を一つ体得した段階で中級印可としています。

 段階ごとに拳術を研鑽しながら、兵器をいくつか練ってゆくという形になっております。

 套路ごとに相伝費が伴います。

 ワークショップにおいては、カンフーとアルニスがどちらも行われます。こちらは入門費等はないのでカンフーの初体験をされたい方、及び他派のエスクリマをされている方などに特にお勧めとなっております。

 

 また、ご希望の方のみ、特別年会費をいただいております。

 こちらをいただいた方は、毎回通常レッスンのおりに500円の割引が行われます。長期的にいらしてくださる方はぜひどうぞ。

 外国人の方は、500円にて練習に参加できます。

 この他に、出張プライベート・レッスン、グループ・レッスンも承っております。

小周天と武術

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 私がアルニスのマスタルに認定してもらえた理由の一つに推測されるのが、バストンの振りの速さです。

 結構これは驚いてる人が居てくれたました。

 実はこれ、別にすごくもなんともなくて、私は蔡李佛の無尽勁ってのを使っていただけだったりします。

 地元のアルニスダ―達は速いのだけど、ほとんどの人は一発ごとに溜を作ってしまってる。

 だから単発ならまだしも、連続してストライクしてゆくサヤウになると、私の方が早く終わる。

 体重移動とかもしないから、姿勢も崩れない。

 なので複雑なスタンスをとるラプンティでも、体制を立て直したりする必要がない。

 これこそが内勁による軸、つまり整勁で、私が言う「立ててるか立ててないか」という問題になります。

 大振りの搥を全力で加速しながらかつ連発をするという蔡李佛の動きは、立てていないと身体全体が振り回されてしまいます。

 逆にむしろ、軸を強化するためにあえてわざわざ負担をかけるような大振りを練習ではしているのではないかと思っています。

 特に兵器になどなると、実に内勁と兵器の遠心力のせめぎあいの要素があり、自分の軸への良い可愛がりとなります。

 無尽勁とは、そのようにして単発ごとに姿勢や勢を切れさせずに、打ったらそのまま次の内につなげる用勁のことです。

 そのため、アルニスにも応用ができましたし、アルニスもまた内功になりました。軸、主に腎の勁が相当鍛えられました。

 このような全身を統合して切れないようにすることを整勁と言いますが、蔡李佛ではこれを強くすることが練功の中核になっていると思います。

 勁力の圧の詰まった巨大な鉄球をイメージしろと教えられます。

 この用勁を掴むには、まず勁力を持って行う八段錦で始めて、小周天で一応の完成を見るのではないかと思います。

 この、内功を行うことでしか基本至ることはないと思います。

 たまたまアルニスやほかの武器術などの天才がたまたま軸の強化に発想が行くことはあるでしょうが、 能動的にその内側の強さを鍛えることは難しいと思われるからです。

 そのためには、内功をしっかり行うしかない部分があると思います。

 つまり、この内功が伝わっていないのであれば、その門派は内側の勁を用いる武術ではないのです。

 その門の中核がどこに置かれているのかを判断する重要なポイントです。

 そして――ここからが大切なのですが――そのような内功武術を本気で行おうと思ったら、一年間は小周天の体得だけに専念するのが、実は回り道に見えて一番早くて確実なのではないか、というのが私たちの現在の見立てです。

 これは、高名な気功家の謝明徳師父も明言されているそうです。

 勁で行う八段錦もかなりの部分までつかめるのですが、やはり動功です。本当に分母の部分を強化しようと思えば、必ず静功が必要になります。

 私自身も、一年かけてじっくりと小周天を学びました。

 初めの数か月は、小周天に入る前の土台作りに費やしました。

 そのようにして全身に勁が回るようになると、いわば渾身がすべて丹田であるような状態になると言われています。

 これが勁力の鉄球です。

 これは真面目にやれば誰にでもできます。

 勢いや器用さを用いる物ではないので、愚直に練功をしていれば可能なことです。

 ただしかし、実際には一年間、黙って静功に専念しようという真面目な人は中々いない。

 平素の練習でも、動功には小器用さを見せるけど、静功には興味を示さずやる振りだけをしている人がどうしてもいます。

 そのような人は、本質的に内功の武術に向いていないのでしょう。

 この部分での向き不向きが問われます。

 静功に向いていない人がいい加減なやり方で適当に行えば、まず偏差を起こしたり魔境に堕ちたりします。

 それを警戒して私は常々繰り返し警告をし、また自分自身も常に再調整をしてきているのですが、どうしてもそのような話を聞き流す人は聞き流してしまいます。

 こうなると、こちらとしても危険なので提供ができなくなってしまいます。

 いうなれば何度行ってもお尻が出てしまう人に長時間の平馬での練功を強いるような物で、身体を壊すだけでまったくの無意味に終わってしまう。

 なので、真剣にフラットな心で行ってくれる人だけにしか、勁で行う小周天はお伝えしないことにしました。

 これさえできれば後の動きは何拳でもいいんだと有識者は言います。

 それは、内側の勁はもうあるので、使い方の形が変わるだけだからです。全身のどこからでも発勁できます。関節の運動に頼る必要はありません。

 拳術の形式を十年もなぞり続けるよりも、全身を丹田にする功を一年で行うほうが確実です。

 しかしこれは、いい加減に扱ってよいという物ではありません。

12月の関内ワークショップは11日です!

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 会場都合により、12月のWSは11日の第二日曜日に行います!

 テーマは「日本初公開! ラプンティ・アルニスとは何か!!」特集です。

 これまでの蔡李佛の流れと、中国武術から発展したというラプンティ・アルニスの比較検討企画を行いたいと思います。

 

 会場はいつもの関内はフレンド・ダンス教室さん。

 時間は18時からおよそ20時まで。

 エントランス・フィー

 一般       3500

 事前申し込み 3000

 準会員     3000

 外国人      500

 

 です。

 日本初のラプンティ・アルニスとカンフーのWセミナー、ぜひいらしてください。


ラプンティ・アルニス 初伝来感謝祭 第一弾

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 この度、無事マスター・ライセンスが取得できまして、公式に日本初伝来に成功しましたラプンティ・アルニスのお披露目をする企画を何度かに渡ってお送りしようと思います。
 まず第一回は、とり急ぎ12月11日に、横浜は山下公園でお送りしようと思っております。
 雨天の場合は中止になってしまいますが(11月29日現在の予定。変更の可能性あり)、14時から三時間にわたってお送りしようと思っています。
 ご希望の方はお気軽にお申込み、お問合せください。
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エントランス・フィー
 
 一般  3000
 外国人  500
 肉文祭関係者 0
 
 この企画は数度にわたりますので、肉文祭関係者および、フィリピン渡航にご協力いただけた方は遠慮なくいらしてください。
 持ち帰ったこの宝を、みんなで共有したく思っています

12月4日 湘南クラスの練習予定日です

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 12月の湘南クラスは4日です。

 茅ヶ崎駅は鉄砲道のダンス・スタジオ、YOU&MEさんhttp://members3.jcom.home.ne.jp/yamashita.y/:83:41:83:4e:83:5a:83:58.htmlで朝の10時から行います。

 日本初公開の本場フィリピン直輸入、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコや気功を中心に行います。

 

 一般 2500

 外国人 500

 

 ぜひお気軽にお問合せ、お申込みください。

1月の湘南クラス

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1月の湘南クラスは15日です。

 茅ヶ崎駅は鉄砲道のダンス・スタジオ、YOU&MEさんhttp://members3.jcom.home.ne.jp/yamashita.y/:83:41:83:4e:83:5a:83:58.htmlで朝の10時から行います。   

 日本初公開の本場フィリピン直輸入、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコやカンフー、気功を行います。

 

 一般 2500

 外国人 500

 

 ぜひお気軽にお問合せ、お申込みください。

吾が見たるフィリピン武術博物記 1

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 フィリピンの武術界においては、セブ地区が中心であるとされていて、マニラ・エリアはセブの武術が伝来しただけの場所であるとみなされています。

 事実、フィリピン武術が現在の独特の形に進化したのは、バリンタワック・ストリート周辺が派閥同士の決闘が盛んであったという特異点だからです。

 お互いに敵対派閥に負けたくない一心で古い戦争用の技術を捨てて、決闘に特化した技術を磨いて行った結果が、いまのエスクリマとなります。

 マニラにはセブの技術が流れてゆきました。大学のクラブに取り入れられてスポーツ化されたアーニスが生まれたりですとか、現在は最大派閥であるモダン・アーニスという現代流派の本拠地であって、現地のコワモテの間では今一つ「今出来」という印象があるようでした。

 実際、マニラにはエスクリマのジムなどは少なく、モダン・アーニスの本拠地であると言うアーニス・ヴィレッジにしても、実際はマニラの都心部などではないとんでもない山岳部にあります。

 良くも悪くもマニラは最大の都会であり、治安も比較的よい場所で、あまり武術をするような土地柄ではないのです。

 セブやほかの島々は、西部劇のワイルド・ウエストのような場所で、さすらいのガンマンよろしく剣客がうろついており、あちこちで刃傷沙汰を起こしてはまたさすらってゆくといった荒々しい土地でした。

 しかし、いち早く都市化が進んで国の中心地となったマニラには、また別のエスクリマの歴史があったのです。

 フィールド・ワークの結果としてこれからそれらをご紹介したいと思います。

 まずご覧いただきたいのが、マニラの国立博物館の前にあるこちらの巨像です。

 これはフィリピンの英雄、ラプラプです。 スペインがフィリピンへの侵略を始めた時代に、あのマゼランと海戦で戦い討ち取ったと言われている剣士です。 

 博物館の中には、このような物もあります。

 

 近隣のムスリム諸国に支配されていたスールー王朝時代の武器のようです。

 この後、フィリピンはスペインに支配されてアジアで数少ないキリスト教国となりました。近隣諸国ではいまでもイスラム国が多く、インドネシアなどはその代表です。ここのある武器はインドネシア武術であるシラットの古い形に関わりのある物と見えます。

 中央にあるのは指にはめる暗器のような物です。カランビットの原型の一つではないでしょうか。

 このように、古典のフィリピン武術には土着の部族武術と、イスラム文化から渡ってきた武術、そしてスペインから渡ってきたフェンシング「エスグリマ」という土台がありました。

 

 

 

 

 

 

吾が見たるフィリピン武術博物記 2

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 次にご覧いただきたいのはこちらの武器群です。

 

 お分かりになりますでしょうか? 下にある斬馬刀のような物に、穴が開いています。

 

 この穴には、環をはめたのではないでしょうか。

 もろに中国武術の兵器に見えます。

 これはなぜでしょうか?

 それは、この土地には十世紀からすでに中国人が渡来してきていて、最初期のチャイナ・タウンが存在しているからです。

 

 この写真は中国の貿易船です。スペイン人のみならず、中国人もここを貿易拠点として活用していました。

 貿易船の模型には、日本の侍の姿があります。

 中国の貿易船に乗って、武士たちもこの土地に来ていたのです。

 貿易をしていた海賊衆が居たり、国を追われたキリシタン大名の落ち延び先であったようです。

 注目すべきは、沈没船から引き揚げられたこちらの品です。

 お判りでしょうか? 刀と柄、鍔です。 

 日本が鎖国していた時代、マニラはこのように強国が行き交う世界都市であったのです。 

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