武術には、大乗の物と小乗の物があると聞いたことがありました。
これは、けっして優劣のことではありません。
なんでも大きければよろしいという物でもないのでしょう。
大乗の武術とは不特定の人が同じレギュレーションで色々なことが出来るように作られている物です。
少林拳がこの代表でしょう。
少林僧になれば、人種や体型は問わずに学べるものだったはずです。
対して、小乗の武術というのはもっとドメスティックな特定の環境の中で必要な形にできている物です。
中国武術で言うなら、○家拳や○氏○○拳などと言う物がそうです。
あくまで本来はその家の収めている地域の治安を維持するために伝えられてきた物で、その地域の環境で役立つように構成されています。
狭い都市戦で防衛を主としているのか、あるいは海岸線沿いの都市での海賊の襲撃を打ち払うために行われているのか。
馬がメインの砂漠の都市で、海戦用の技術が伝わっていても必要はないでしょう。
その、必要のない物が備わっているのが大乗の武術です。
誰かにとって必要が無くても、別の地域、別の条件では必要になるかもしれない。
それを想定して、技術の可能性を追求しています。
私たちの蔡李佛拳は、大乗の武術です。
失伝の危機に瀕しかけた少林武術を統合して遺そうという環境で本来は生まれました。
そのため、蔡李百套と言う言葉が生まれたくらい、沢山の兵器や拳法の套路を保存しています。
実際に百を超える数が伝わっています。
その後にそこから派生した私たちの鴻勝館派は、太平天国の乱での練兵様に再編された物です。
乱戦の技術を中心とし、合戦で使う兵器をメインとした戦い方とその練功を第一の目的にしました。
そういう意味では、小乗化したと言えるかもしれません。
しかし、その下地には大乗である少林寺の拳法の流れがあります。
少林寺というのは、学問や医療などの人々を救うための技術者の養成所であり、修行が終わった僧は下山すると遊行して各地を遊行しては救世の活動をしていました。
薬や鍼、気功などの知識や調理法を伝えたり、害獣や盗賊の出没地では武術を教えていました。
いまでは武術と禅ばかりが有名ですが、それらはそういった活動の一端でもありました。
なぜか日本の仏教からはこのような活動が失われていったように見受けられますが、実はまだ中国仏教がダイレクトに伝わっていた時代の空海上人に関しては、行っていた形跡が伺えます。
と、いうのも、日本のあちこちに空海に由来すると言われる温泉や井戸などがあるからです。
これらはおそらく、中国の仏教で学んできた学問で、灌漑や治水をしたことの痕跡なのではないでしょうか。
太平天国の乱への参戦もそのような活動の一つであったとみなすならば、武術の技法としては小乗的な部分があったとしても、本質はやはり大乗の物であったと言えると思います。
蔡李佛の名に入っている蔡家拳、李家拳などは両家の私的な財産であり、小乗であると言えるでしょう。
彼らの家とまったく関係のない場所や時代のことは想定していないと思います。
それよりは、実際に必要ないわば家業の一部であるところの方が必要なところでしょう。
エスクリマで言うなら、総合流派であるモダン・アーニスなどは大乗の物でしょう。
あらゆるエスクリマの技法を取り込み、さらにそれらを応用した技術の開発をし続け、さらにはそれらを最も使いやすい心兵器の開発までしています。
それに対して、軍隊用のPTKや私たちのラプンティ・アルニス・デ・アバニコは小乗です。
特定の目的を特定の人だけがやるように作られています。
これら小乗の良いところは、目的と手法が明確化されていることです。
特定の技術を持って特定のことをするというコンセプトが明確であるため、理解がしやすく体得への道がまっすぐです。
あれもこれもというところがない。
なので、何をするための物なのかわかりにくい部分が少ないし、出来ないところも多くないことでしょう。
逆に、大乗の物は大衆化が進んで本来何をする物であったのかが見失われやすいところもあります。
柔道などはまさに、それまでの特定の武装支配階級の専門職技能であった術を一般化した大乗の物であったのでしょうが(それを武道と名付けました)、すでに創始者の嘉納治五郎が存命の内には選手の試合を見て「これは私の創始した柔道ではない」と言われるくらいに多様化してしまって本質が失われていたという話もあります。
柔道と言えば、関係の深いブラジルの柔術もこの大乗、小乗の区別が明確化されていて面白い物があります。
元祖であるグレーシー柔術は蔡家拳、李家拳などと同じく家伝武術として創始された物で、紳士同士の一対一の決闘というものを目的として発展したと言います。
そのため「あんなに寝技に持ち込んで、相手が複数だったらどうするんだ」という質問にはまず「紳士同士の決闘でなぜ多人数戦となるのだ」という返答が返されます。
当然、グレーシー柔術は家伝の武術なので、外の人間には全伝が容易に知らされることはありません。極めて秘匿性が高いことで知られています。
その全伝が明かされていない人々がやりだした物が、ブラジリアン柔術と呼ばれています。
これは本質的にスポーツ競技として発展しており、様々な体形の人がそれぞれにわかれた階級で取り組むことが出来る試合が盛んです。
そこにおいては、ポイントを取るための技があり、ルール上否定されている展開への対応はありません。
ルール内の保護下でだけ可能な複雑化された技が開発され、さらにそれに対する返し技が研究されています。
グレーシー家の人々が言う紳士同士の決闘であれば、けっして使われることの無い技などが発展しているようです。
紳士同士の決闘では、加勢はありませんが殴ることや噛みつくことや睾丸への攻撃は認められています。
逆に、そのような技を使えばする必要のない技が、大乗の武術では純粋に技術として研鑽されています。
しかし、だからこそ煩雑化、多様化しすぎて把握するのに長時間を要する領域が技術の範囲に広がっているものだと思われます。
それに対して、小乗の物はシンプルです。
昔、なんの技術も持たない素人格闘家が「グレーシーは弱い。同じ技しか使ってない」と恥ずかしげもなく語ったことがありましたが、そうではありません。同じ技で勝てるように稽古を積んでいるのです。
名人芸や職人技というのはそのような物です。
それに対して、大乗の物には学者の物の趣があります。
個人的には、大乗の物に取り組むにしても、まずは小乗の物をある程度学んでからの方がはかどるのではないかという感があります。
エスクリマの中でもっとも知られた物に、ドセ・パレス・スタイルがあります。
これは、そもそもが剣士たちが居た時代が終わりに向かっていた時に、滅びゆく剣術を残そうということで、子孫に限らず家伝の小乗剣術を一般に継承させようと持ち寄った剣士たちによって作られた剣術スクール、ドセ・パレスに由来しています。
しかし代が変わって完全に剣士たちの時代が終わりに入ったころに風雲児であるカコイ・カニエテが後を継いで大幅に中身が変わりました。
当時行われていたバハド(デス・マッチ)で勝つための技術体系に作り替えられたのです。
その過程で、不必要となった剣術のスキルはどんどん捨てられていったと言います。
しかし、それでも根底には大乗の武術の思想が流れていました。
ドセ・パレスは一つの流派ではなく、いくつものスタイルのエスクリマを併修できる施設として存続したのです。
目的はバハドですが、それでも戦い方の多様性に目をつけていて、同じバハドでもこんな戦い方もできるしこういう組み立ても可能だ、といくつも戦い方のスタイルをスクールに内包していました。
それぞれが目的に合わせた別のスタイルとして、現代でも学ばれているようです。
大乗の武術を学ぶには、小乗の武術で基礎を作ってから入るのが早い。
しかし、小乗の武術は必ずしも誰もが上級まで学ぶことが出来るとはかなわない。
そんな中で、一体どうすれば本物の正統な武術をきちんと体得して継承することが可能でしょうか?
もちろん武縁や運のような物は必要です。
才能だ、という人も当然いるでしょう。
けれども私は、人となりだと思います。
これは中国武術での後継者選びでよく言われることです。
確立された人格なくして、流儀武術は継承されることは無い。
私はそう思っています。
少なくとも、私の周りの若手継承者にはその傾向がよく見られます。
逆に、調子がいいだけの才子は大体継承者から外されて放り出されます。
才能がなくても、人の倍修業期間を設ければ大体どうにか形はつくでしょう。
しかし、人格はどれだけの時間をかけても変わるとは限らない。
生き方というのは、武術をする者にとって本当に重要な物だと思います。
そして小乗の武術というのはその人を守る物であり、大乗の武術とはその生き方を多くの人に伝えてゆくものだと思っています。
そのため、私たちSMACでも、小乗であるアルニスを学んで基礎を身につけてから、大乗の蔡李佛に入るように設定しています。