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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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本日の稽古

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 今日は今年最後の稽古でした。

 クラブを開いたころに来てた方が久しぶりに来てくれました。

 お体を悪くされていたそうなので、アルニス+気功をやりました。

 やはり私は伝統中国武術の師父なので、アルニスをするにしても健康に良い姿勢や動きをして欲しくなります。

 格闘技や現代武道の動きを見てると、こちらの腰が痛くなるような気になることがあります。

 なので、身体の動きについてはなんの中身も決まりもないアルニスでも、やはり東洋思想から観た調和があるのがより望ましく感じます。

 やはり、気持ちよく日々を過ごすことを目的としている、ライフ・スタイルとしてのマーシャル・アーツを提唱している我々サウス・マーシャル・アーツ・クラブとしては、健康にもよく、心にもいい練習をしたい。

 おかげで私も気持ちのいい天気のきれいな公園で気功が出来て、大変良い気分で素晴らしい朝がすごせました。

 来年も、そういう心地の良い時間を作る練習を続けてゆきたいと改めて思います。


調息 調身 調心

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 最近、なんだか人に気功について話す機会が続きました。

 そのうち一つは、日本には珍しい漢方ドリンクスタンドででした。香港にはそういう物があちこちにあって、季節とその日の体調にあった漢方のドリンクを調合してもらって日常的に立ち飲みしたりしていると聞いています。

 面白いので私もその日の自分にはどの漢方がいいだろうと眺めていたのですが、基本的に体調はいつも良い。

 やたら眠れるし、選択に困ってしまいました。

 店員さんがやってきて相談に乗ってくれたのですが、そこで自分が気功をしているので常態がいいけど、何か飲んでみたいのだということを伝えてレコメンドしてもらいました。

 その店員さんが、そういうお店で働いているだけあって気功などにも関心があったらしく、質問を受けてすこし基礎を紹介いたしました。

 気功をの原則は、調息、調身、調心となります。

 調息、というのは皆さんもよくイメージするでしょう、呼吸に関わる部分です。

 気という言葉が気体、空気を思わせるので気功=呼吸法という誤解をされている方が非常に多いように思います。

 もちろん一般の人は仕方ないのですが、現代武道の世界でもそのような誤解がまかり通っているのを散見するのは非常に嘆かわしく、不勉強の方が多いのだということにショックを受けます。

 呼吸法の部分は気功の三大原則の一つでしかないことをしっかり覚えておいていただきたいところです。

 二つ目の調身というのは、体を整えることです。

 姿勢や動作の部分です。静功の場合は動かないことが多いですが、動功ではいろいろな動作をしますので、そこにいろいろな要点があります。

 三つめは調心です。ここに、禅的な部分があります。

 この三つを練功してこそ、呼吸が整ってサイクルが健全化し、骨格や運動の調和が取れ、心が平安を得ます。

 どれかが欠けていては不完全だということになってしまいます。

 呼吸法だけでは足りない。運動だけでも無い。思想だけでもダメです。

 なので、ロングブレスだけでも、体操だけでも、心が軽くなるスピリチュアル本を読むだけでも違うのです。

 それらが一つのコンセプトの元に合致した物を行うことで、相乗効果でより完全な効果が得られます。

 これは、禅宗の中にある、作務や説法などにも相当しているのではないかと思います。 

 禅の心を持って作務を行い、禅の状態で生活してゆくのが禅僧の暮らしだと想像します。

 少林拳とはその中の一環であり、気功の平安状態のまま運動をするものです。

 気功の無い拳術は足りないし、勝てるだけの拳法は正統の少林武術とは言わない。

 根本は禅であり気功です。
 であるがために、我々の行は苦行ではなく、心地の良い安らぎの時間であることが大切です。

 その状態を、私の師父は温泉に入ったときの最初のため息が出ている時の状態と言い、私は日向で猫が眠っている時に例えます。

 温泉と猫のまま、拳足を動かして、まどろみ、たゆたうように時を過ごします。

 それによって自分の身体と心の中に安逸な状態を癖づけて、いつでも猫と温泉の気持ちで暮らせることに向かってゆきます。

 猫と温泉の状態で毎朝目を覚まして、猫と温泉の状態で出勤をして、猫と温泉の状態で仕事をしています。

 人生の沢山の部分が猫と温泉になってゆきます。

 頭はちょっとバカになります。

謎のフィリピン拳法を求めて

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 私たちのアルニスの徒手技術は、モンゴシという物だということを以前に書きました。

 次の渡航ではそれをきっちり教わることになっています。

 モンゴシというのはまったく聞いたことのない名前です。

 シカランやヤウヤンはまだ日本でも聞いたことがありましたが、シカランのテコンドーや、ヤウヤンのムエタイのように、モンゴシはカンフーがフィリピン化した武術だそうです。

 YOUTUBEなどで検索しても分からないのは、スペルが分からないからなのか、いまのところ現地で見せてもらった物を探し当てることは出来ていません。

 しかし、いろいろそれっぽい用語を活用していった結果、不思議な物を発見することができました。

 https://www.youtube.com/watch?v=O_QxbtqyVfQこちらです。

 フィリピンカンフーと書いてあります。

 どうも、コンバット・シラットの要素なども入っているようですが、気長に見ていくうちに全然シラットっぽい動作がないように見えてきました。

 また、シラットと言ってもそもそもが派によってはインドネシアに土着化したカンフーの物もあります。

 なので、シラットの要素がどこに入っているのかはわかりませんが、とにかくこれがフィリピン式のカンフーだと名乗っているところに注目してみたいと思います。

 動作を見ていると、あれ? なんだか知ってるような動きが……。

 明かにいま、うちの看板のチャプチョイしたよね?

 あ、いまのは鶴法だ、あ、あれは虎爪の用法だ。

 とうとう靠も!

 と、なんだか見覚えがありすぎて混乱してきました。

 かなり、洪門拳法っぽいです。

 モンゴシとつながりがあるものなのかどうかはわかりませんが、大変に興味深い物を見つけました。 

教授資格

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 私がマニラに行って、ここで上げたような資料写真を上げたりレポートをしたりするずっと前に、現地に行ってリサーチをして、大学でのレポートにした方が居ました。

 その方の仕事を今回初めて拝見したのですが、ここにも挙げた革命闘士のレリーフの写真がすでに掲載されていて、それがボニフォシオの像であるとの解説までありました。

 その方のレポートでは、様々な関係者のところに出向いてインタビューをされてもいて、私が前情報が無かったことや言語力に乏しかったことで知りえなかったことをたくさん学ぶことができました。

 併せて、そのレポートのリンクを貼っていたページの情報も読んで、ようやく見えてきたものがありました。

 そのうちの一つに、フィリピン武術の教育課程という物があります。

 私なりにいままで体験してきたことや学んだ物、思ったところをここで書いてみたいと思います。

 いぜん、ここで武術における大乗と小乗について書きましたが、その言葉で言うなら小乗に当たる、家伝武術としてのエスクリマがまず在りました。

 これは私たちのラプンティ・アルニスがそうだと言うことも書きましたね。

 カブルナイ家という剣士の家系にもともと伝わっていた物です。

 いまだに、オンゴ・カブルナイ先生という宗家を頂点としての組織だてが行われています。

 これと対照的な物に、大乗の武術としてのモダン・アーニスがあります。

 小乗と大乗というのは、教えを船のような乗り物に例えた言葉だそうです。 

 小乗の武術というのは、私有財産の小さな船に乗った一族を乗せて運ぶためだけの武術です。

 中国武術に多い○家拳や○式○○拳というような物がそうであって、その家のためだけにある技法をその家の関係者たちだけが用いる小舟です。

 対して、大乗というのは誰でもが乗れる公共の大船です。

 私有物ではないので、その船の運営を扱う公社が公益のために手繰っています。

 小乗の小舟なら、乗り込めるのは身内か身内じゃないかというシンプルな基準なのですが、大乗の場合は生まれや育ちのバラバラな人たちを乗せるので、そこに意図的に一本の筋を設定する必要があります。

 そのコンセプトが思想です。

 柔道における「精力善用」というような物がそれですね。

 生まれや育ちはバラバラでも、後から設定した思想という物はいかようにも考えることが可能です。

 モダン・アーニスはそのような大乗の物で、小乗のエスクリマを統合してその技術を保存し、普及し、発展させるという意図で運営されています。

 その前提としてあるのが、モダンではないアーニスの存在です。

 代表が、かの有名なドセ・パレスとバリンタワック・エスクリマでしょう。

 この両者、もともとは一つの組織だったものが分裂した物であり、さらに言うならその組織、旧ドセ・パレスこそが最初の大乗のエスクリマのパイロット版でした。

 時代の終わりを感じ始めていた剣士たちの武術を集めて残そうという、実に高邁な志で行われていたものだそうです。

 ただ、結局のところ、お家騒動となって身内の喧嘩が悪化し、挙句の果てには古い技術をうっちゃって仲間割れの喧嘩に勝てるための技術ばっかり練習し始めるということになり、それが結果とし現代アーニスの技術の発展を生んだのです。

 しかし、そんなことをしていれば当然、世間からは、エスクリマなんてやってる連中は仲間同士血みどろの喧嘩ばっかりやってる、と印象が悪くなってゆきます。

 そういうイメージを払拭してエスクリマの社会的地位を高めようというのがモダン・アーニスの設定の背景にはあったようです。

 この両者の前の小乗の時代の剣士のエスクリマのことを、ファミリー・アートのエスクリマと言っていました。文字通り家伝の武術です。

 この時代のエスクリマは、受け返しの技術で成り立っていたとのことです。

 日本の古伝剣術と同じですね。

 そういう単調な型をひたすらやるばかりで、今のエスクリマの特徴であるフローティングな要素はなかったようです。

 おそらくはそのあたりは例の仲間割れ時代の産物なのでしょう。

 ファミリー・アート時代、エスクリマにはマスターのような物や規定された指定制度のような物はなかったそうです。

 小乗の物は個人の物で、教えた人と教わった人という関係があればそれ以上の何かは必要とされていなかったのでしょう。もともと多くの人に広めようとして作られていた物ではなかったはずです。

 しかし、それが大乗になった時には必要な制度となります。

 これが実は大きな問題で、仲間割れ時代にもどうやら決まった階級制度のような物はなかったようなのです。

 実力とそれへの風評によって認められた人間が、マスターと呼ばれるようになってゆく、というような戦国時代的なものがあったのみだったようです。

 どうやら、そのために彼らは敵対グループの相手を見つけては決闘を申し込んでみんなの立ち合いの元で叩きのめすということをしていたようです。

 そうなると当然、ならず者イメージを払しょくすることを課題の一つにしたモダンの成立においては、明確な階級制の設定が求められたようです。

 ここで世界のみんなが大好きなブラック・ベルト制度が持ち込まれました。

 この、モダン・アーニスはそもそものエスクリマの本場、セブではなくて行政の中心であるマニラにあります。

 そして、それもあいまって国が運営する唯一の公的エスクリマ組織、アーニス・フィリピネスもマニラにあります。

 この団体はモダン・アーニスと言う流派とは違い、多くの小乗的なファミリー・アートのエスクリマもひっくるめて全体を底上げしようと言う物です。

 そして、この団体の公認ランキング、という物も設定されました。

 恐ろしいですね。国営のブラック・ベルト・システムです。

 先にも書いた通り、ファミリー・アートの家伝流儀エスクリマに段位などと言う物はありませんでした。

 おじいちゃんからお父さんに伝わって息子たちに教えられた手作業に、ランクをつける必要はありません。

 私も行ったルネタ公園で練習をしていた有名門派カリス・イラストリシモは、もともとイラストリシモ家の家伝の剣術であり、それを有名剣士のアントニオ・イラストリシモから学んだ人たちが作ったものです。

 ただ、このアントニオ・イラストリシモ先生というのは、通称をタタンと言われていたのですが、このタタンというは父親、というような意味だそうです。

 まさに、教えてくれる父親的な位置の人であって、いわゆる先生では無いニュアンスのようです。

 なので、実際のイラストリシモ・スタイルの先生というのは、タタンの剣術上の息子たちとなった押し掛け弟子たちだそうです。

 そのため、世の中にはイラストリシモ・スタイルのインストラクターだ、マスターだと名乗る人がたくさんいるようなのですが、実際にはそんなものはマニラのルネタ公園に居た顔なじみの数人以外に存在するはずもない。

 そのため事情を知って居る本当のタタンの生徒たちは、彼ら自称イラストリシモ・スタイルの先生たちを「クレイジーだ」と言っているのだそうです。

 このように、家伝系エスクリマも、世界での情報化が進むにつれて一定の真実のラインを必要とし始めているようです。

 そうなると国による段位の設定もあながち否定的な面ばかりとも言えない。

 世界中のYOUTUBE先生、DVD先生をはじいてある程度本物を証明することができます。

 しかし、無数にある家伝武術の学習段階をどうやって並列に序列付けを?

 一応、実力と団体への貢献度、というのが基準になっているそうです。

 これらの話を基に思いかえすと、私がグランド・マスタルにマスタル・コースのスペシャル・レッスンを受け始める前に受けた入門審査のような面接は、貢献度のような部分を計る意味もあったように思われます。

 おかげさまで私はそれらの審査の結果、アーニス・フィリピネスからマスタルのライセンスを認定されることとなりました。

 これはやはり、貢献でその分を還してゆかなければならないと改めて強く思うところ大の次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

一月の予定 随時更新

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 原則、毎週土曜日は大通り公園で通常稽古となります。

 内容は希望者によってアルニスとカンフーを行います。

 時間は最初に予定を申し込んだ方に合わせます。午前でも午後でも大丈夫です。

 申し込みが無い場合はお休みになります。

 

 月に二回、アルニス・サンデーというアルニスの練習会を山下公園で行う予定です。

 サンデーという通り、これは朝の10時から行います。

 こちらは外国人と会員は投げ銭で参加できます。気軽な休日の朝の運動にどうぞ。

 会員登録されていない方は1500円になります。

 

7日 土曜日 まだ練習申込みが入っておりません。あった場合、午後からになります。よろしければぜひどうぞ~。

 

 8日 日曜日 アルニス・サンデー 新年初アルニス・サンデーです。10時より山下公園にいらしてください。

 

 15日  日曜日 湘南クラス 10時より 茅ヶ崎ダンススタジオ YOU&ME 

 こちらはアルニス、気功、カンフーなどを行います。通常稽古と同様の内容です。

 今回は新企画として、ライトセーバーやサーベルなど、お好みの兵器の持ち込みを解禁します。

 お気に入りの道具でサヤウ(舞の意)を練習しましょう。

  

 18時 関内 フレンドダンス教室にてワークショップ

     アルニスとカンフーを並行して行います。

 

 22日  日曜日 ラプンティ・アルニス初伝来感謝祭TOKYOhttp://ameblo.jp/southmartialartsclub/entry-12226283879.html

      千葉、埼玉、都内の皆さんも、ぜひいらしてください。
   

 29日 日曜日 アルニス・サンデー

      朝10時より山下公園です。

 
 

 

 

 

今日の稽古

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 本日は、新春初一人稽古をいたしました。

 近所の公園で、套路を二回打ちました。

 えぇ、二回だけです。

 基本套路を一回、上級套路を一回。それだけ。

 それを、本気で打ちました。

 快(速い)で打ったわけではありません。

 ただしっかりと、一つ一つ、内側の勁の働きの正確さを意識して撃ちました。

 それを二回で終了。

 私も古武術時代には除夜の鐘に合わせて数稽古などして年またぎをしたりしたものですが、いまやそんなことはいたしません。 

 本気で套路を打つと、打ち方によっては一日に一回で充分、という説があります。

 これを知らなかった頃の私は何度も本気で打ちまくっていました。

 結果、内側が虚脱状態になっていて、他門で師父をする友人たちに「それは寿命を縮めるからやってはいけないことだ」と注意されました。

 師父にそのことを問うと「早死にするかもしれない」と言われました。

 いやぁ……早く言ってくださいよと思いました。

 内勁を伴う套路はマジ打ちすると消耗が激しいので、一日一回もすれば十分。

 これは、間違ったやり方をして骨格や脳、神経に負担がかかると言うような膀門のやり方の理由とは違います。

 正しいやり方では、純粋に内側の力を使って疲れさせてはそれを回復させて強くするというサイクルのため、やりすぎると単純に披露してしまうのです。

 昔話や武侠小説のエピソードでは、名人が複数の強敵に囲まれて、腕では勝っていたのですが途中で内力が尽きて立ったまま死んでしまったというような話があります。

 これもまた、偏差の一つです。

 私自身も、このような失敗を何度もして今に至っています。

 そんな訳で、なんでも根性でやりたくなってしまう日本人は要注意です。

 それよりも、正しく。たった一度のチャンスを完璧に味わい尽くすことが大切です。

 

サヤウの動画

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 こちらのページで、北海道のBroがサヤウの動画を上げてくれています。

 一生懸命練習してくれているようで、まだまだスタンスは高いですが、だいぶ手がなめらかに動くようになってきました。

 https://twitter.com/lapunti_hokkaid

今週の予定

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 8日、日曜日はアルニス・サンデーです。

 10時より山下公園、マリンタワー前信号を渡ったあたりの芝生におります。

 ぜひお気軽に遊びに来てください。


映画SPRIT感想 注・ネタバレ

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 このお正月休み、みなさんは何をなされておられましたでしょうか。

 私は楽器を触ったり、映画を観たりしておりました。

 その中で、DVDで観た作品が「SPIRIT」です。

 みなさんは覚えていらっしゃいますでしょうか。ジェット・リー主演の、実在の武術家、霍元甲を主人公にした作品です。

 公開当初は、正直あまり好きな作品ではありませんでした。

 なにせ話が悲しすぎるし、せっかく実在の武術家を主人公にしているのに、その武術が匿名の想像の武術に変更されているし、動きもまったく霍師のお家芸である秘宗拳のようには見えません。まぁそれは、リー・リンチェの映画の常ではあるのですが。

 そんな訳で本格功夫映画を期待していた当時の私には肩透かしだと感じたのですが、いま見返すと、これは非常に功夫映画史上において重要な作品であるということがわかりました。

 と、言うのも、現在の功夫映画の流れに、武徳系師父映画とも言えるジャンルの物がありまして、それこそが80年代のコミック・カンフー路線、90年代のワイヤー・アクション路線に続いて、現在の功夫映画界に新たな風を吹き入れたジャンルだからです。

 その系統の代表作がもちろん、ドニー・イェン主演の「葉問」なのですが、これはアクションそのものではなくて、実在した人の人生を通して、中華思想とは何か、文化とは何なのかを訴える、非常に教育的な素晴らしい作品です。

 その「葉問」のプロトタイプと言えるのが「SPIRIT」でした。キャラクター配置から展開に至るまで、縦糸が非常に似通っています。

 また、功夫にうるさい人間が唸らされるディティールが埋め込まれているところも重要です。

 かねてから、三節棍はマスターの証だと書いてきましたが、このSPIRITでも徳を積んで心が成長してから霍元甲はそれを用います。

 また、大事なのは、これが時代の変遷に迫られた選択としての、小乗武術から大乗武術への変化の物語であることです。

 映画の中では、霍元甲が精武体操会(のちの精武体育会)を築く様が書かれていました。

 そしてこの精武体育会こそが、大乗の武術を中国に広めるべく造られた機関です。

 霍師の門派である秘宗拳は、またの名を燕青拳と言います。水滸伝の人気キャラクター、燕青が開祖だと仮託されています。

 秘宗拳の別名は、反乱分子である燕青の名を伏せて素性を隠したからだという説が知られています。

 この流派の映画内での仮名が霍家拳です。家伝の拳法だとされています。

 中国にはこういうファミリー・アートとして伝わってきた○○家拳という物が非常に多いですが、この○○家というのは、まさに水滸伝に出てくるような○家荘、というような山城を築いた、日本で言えば地方豪族のような存在です。

 水滸伝というのは、そういう地方豪族たちが結託して反乱軍となってゆく模様を描いた物語です。

 そのような地方豪族達の間にはえてして争いがおきたり、略奪の応酬が行われていたと言います。

 ロメオとジュリエットに出てくるモンタギュー家とキャピュレット家のように、敵対関係の家があったわけです。こうなると単に家というより、組と言った方が分かりやすいかもしれません。

 フィリピン武術の世界では、カニエテ家とバコン家の敵対関係が有名ですね。

 お互いに町で出くわせば即決闘が始まるくらい仲が悪かったと言います。

 カニエテ家とバコン家が黒檀の棒で殴り合いをしてデス・マッチの決闘をしていたように、映画の中でも霍家は他家と武術による決闘を行っています。  

  この決闘によって彼は、他家の武術に勝ってゆくのですが、その怨恨によって家族を虐殺されてしまいます。

 中国の武術家同士のメンツをかけた戦いでは、計略で陥れたり毒物を用いたりすることは当たり前にあったと聞きます。

 家族を失った事件で考えを改めた霍師は、上海にて精武体操会を開くことになるのですが、これこそが、清朝末における小乗武術から大乗武術への変遷を示した、大きな事件でした。

 それまでは、○家拳の名の通り、自分の家のためだけの闘争術であったものを、大々的に普及することを目的にしたのです。

 これはすごいことです。当然、他人に手の内を知られないほうが有利なのですから。

 中国武術研究家のK先生は、このことが名称の体育会に現れていると言います。

 体育というのは、当時日本から入ってきた最先端の概念だったそうです。

 当時の中国の先端の知識人は、日本に留学して学問を積んでいました。

 いち早く近代化と言う名の西洋化を果たした日本は、アジアの新世紀における身の振り方のモデルケースだったのです。

 西洋のスポーツという概念を、漢字での体育に置き換えたのは嘉納治五郎の功績でしょう。

 つまり、小乗武術であったファミリー・アートとしての古流柔術を現代柔道に作り替えたという試みを、中国でも行おうとしたことが精武体育会の名前には見られます。

 しかし、当然急にそんなことを言われても誰でもが器用に変節出来るわけではなく、内部ではメンツの張り合いからの権力闘争などもあったと聞きます。

 そう考えると、柔道との交流試合も当時の資料では友好的な物だった、とあるのが頷けますし、その後、霍師が病死したことに対して日本人が毒を盛ったと噂が出たのを、敵対関係にあった武術家が疑いを晴らすために広めた話かもしれないと思えてきます。

 この時代に至るまで小乗の家伝武術であった中国武術が、大乗を目指したということにものすごい価値があると私は思います。

 もちろん、大乗を目指せば偉いとか価値があるとは言い切れません。

 しかし、イエという個的な価値の保護を離れて、クニのために広く門戸を広げる勇気と献身の精神には、非常に美しい物があると思います。

 

来週の予定

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 さて、本日のアルニス・サンデーも無事終わりました。来てくださったみなさんありがとうございます。

 Qちゃんお土産ごちそうさまです。

 して、さっそくですが来週の予定です。

 14日土曜日に、通常練習を行います。朝10時からです。

 15日の日曜日は朝が10時から茅ヶ崎での練習です。ダンススタジオ、YOU&MEさんになります。茅ヶ崎駅から南下して、鉄砲道とクロスする場所をちょいと左に入ったとこにあります。

 カンフーとアルニスを行うほか、お好きなMy兵器を持ち込んでのサヤウもやってみたいと思います。ライトセーバーなどお好みの物をお持ちください。

 同じく15日の午後18時からは、関内ワークショップです。

 こちらもアルニス、カンフーをやりますのでよろしくお願いいたします。

To ALL Philipinos and another foreligners

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 Hi i'm master suiko.

 If you want to play arnis,come on join us.

 arnis is philipino national sports.

 you pay only tipping.

 This is very ceep!

 let's play your hobby in your life.

 

 next lesson is 15th saturday  at AM10 in kannai oodoori kouen  mizunohiroba. here↓

http://loco.yahoo.co.jp/place/g-RGiBu1M3pSA/map/

 

 


 

新年最初のアルニス・サンデー

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 さて、とうとう2018年になりまして、本格的にアルニス・サンデーが始動いたしました。

 幸い、エスクリマ経験者の人々が来てくれていたので、基礎からアウトラインをなぞる形で練習ができました。

 マニラのままの練習の仕方だと、ひたすらサヤウをやっていくのできっと日本人には単調で飽きてしまうと思うので、そこはアレンジをしています。

 フィリピンの人達は練習中でも自分のペースで座って休んで話しだしたりして、やりたいひとだけやる、というのが平気なカルチャーなのですが、中々日本人にはそれは馴染みづらいでしょうから。

 それでも内容としては非常に地味で、やっぱり前半はサヤウをずっとやりました。

 本来はそれだけで十分なのですが、せっかくなのでタピタピというスパーリングのような練習も居れます。

 現地ではあまりこれはしなかったのですが、どうしても、こういうゲーム要素のあることがしたくなってしまいます。

 とはいえ、しっかりと基礎を積んだうえでするタピタピは、やはり反復したことを理解するうえで役立つと思いましたし、練習者の方々の感覚がどんどん変わって行ってラプンティ・アルニスの動きを使えるように見えてきたのが感動的でした。

 始めはゆっくりのうちこみでも大変だったのが、慣れてくれば基本通りにしてればディフェンスは出来るのが当たり前であるのが分かってきて、だんだんいろいろな技が繰り出せるようになってきます。

 きちんと基礎をがっちり守るところから初めて、少しづつハードルを上げてあげながらチャレンジの機会を設けてゆくと、人間はどんどん出来るようになってゆくみたいです。

 このようなことから、エスクリマを本当に体得するには師匠とマンツーマンでするべきだという考え方もフィリピンにはあるようです。

 一家に伝わるファミリー・アートであったことを考えると、それも納得のゆくことです。

 古伝のエスクリマの多くは、攻撃に対して打ち返すということの繰り返しであることが多いそうです。

 師匠側の打ち込みの速度や角度が次第に厳しくなっていって、弟子の側はそれによって導かれてゆくという練習体系なのでしょう。

 そのようにして体から体に伝えられたものは、体系や分類を知識として理解はしていなくても、しっかりと受け手の中に残ってゆく物だと思います。

 我々のタピタピというのも、おそらくはそのような練習方法の延長にあるものだと思います。

 これはバリンタワク系の派ではパラカウというのですが、練習者二人はタイではなく、片方が攻撃側、片方が防御、迎撃側とスタンスが分かれています。

 おそらく師匠と弟子時代の形式なのでしょうね。

 これでひたすら撃ち込まれて、弟子側は自分のエスクリマを身につけてゆくわけです。

功夫入門

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 うちは、南派拳法とさらに南の武術、アルニスを練習する団体のため、アルニス専門の練習日以外は両方の練習をします。

 とはいえ両方やるのは希望者のみで、基本、功夫は希望者だけがやります。

 と、言うのも、中国武術は深いし結構な覚悟と気合が無いと体得が難しい。

 本当に好きで身につけたいと思っている人でないと、きっと意味を見つけられないと思います。

 とはいえ、実際に功夫を希望しても、最初は結局アルニスをやることになります。

 なぜなら、功夫をやる上で始めにどうしても作らなければいけないのが下半身で、平馬と言う低く腰を割った姿勢が基本の立ち方になるためです。

 その姿勢から動きを行うため、それができないともう練習ができない。

 そうなると、功夫を入門した人はひたすらその姿勢を練習時間継続できるまではほかに何もできません。

 これはつまらない。

 もし、これをおろそかにしてすっ立ちで形だけ行えば、まずは本当の威力を出すことができません。

 そして次には、下半身が出来ていないのに上半身の力任せに思い切り技を行うと、その負担がすべて腰に来ます。

 ちゃんと立つことが出来ず、お尻が出てしまっていると、上半身と下半身がバラバラのために、その中間の腰椎にすべてのツケが廻ってきてしまうのです。

 多くのスポーツ選手や肉体労働者が腰を傷めるのはそのためです。

 なので、まずはしっかりと下半身を作ってそのようなことが起きないようにしないといけません。

 腰痛は深刻な障害となります。

 何もせずにただ下半身を鍛えていると、単調で苦痛すぎるので、せっかくならその間に手は何か別のことをして、頭は別の方に気をそらしていれば、同じ時間をおもしろく過ごせると私は考えます。

 そのためのアルニスです。

 アルニスをしながら下半身を鍛える。

 下半身の強化は時間がかかるし、根性でやると膝などを傷めるだけだから、自分のペースでやっていってくれればいいですからね、と言ってこれまでは功夫をやってきたのですが、ほとんどの人がさぼって自分で下半身を鍛えたりすることはなく、なんの進展も見られなかったので、いまの形にしました。

 いつまで経っても誰も私より低くならない。

 私などは、技術では師父に追いつくことは当然出来なくても、肉体だけなら鍛えてれば勝手に新陳代謝してゆくから簡単だろうと思って姿勢の低さだけは必死になって追いかけた物ですが、多くの人はそういう風には考えないようです。

 自分で自分を向上させない人に伝えたところで、功夫は体得できるような物ではありません。

 そこで、アルニスをやりながらちゃんと立てるようになった人にだけ功夫の伝授を開始するようにした次第です。

使えるエスクリマ。え、何に?

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 中国武術の老子がたが、いまも昔も悩まされる素人からの質問があります。

「これは何の意味があるのですか?」です。

 まぁ、さらにひどい馬鹿を相手にすると「顔面がらあきじゃないですか?」とか「金的が空きませんか?」というのがあるのですが、そのレベルになってしまうとオウムがしゃべってるくらいに流した方がいいレベルでしょう。

 少なくとも私は、どんな武術でも格闘技でも、動いている間すべて一秒もあまさず顔面や金的が守られ続けている人間を見たことがない。

 オウムと言うのは、大変に賢い鳥だそうです。人間の中で賢くない方の者を見立ててもさほど大差はありますまい。

 鳥の頭のことは置いておきまして、最初の質問についてです。

 私も恥ずかしながらしてしまいます。

 もちろん、逆に人から質問されたら「いろいろな意味がある」としか答えようがないのですが、うちの師父の答えが振るっていました。

「すべての動作に用法がある訳ではない」です。

 その通りです。

 中国武術の動作の中には、符牒をしめす物や身分を表す物など、練功とは別のいろいろな意味がある場合があります。

 また、用法の意味がある場合でも、その用法にまったく意味がないこともあります。

 研究の結果見つかったんだけど、こうやっても打てるよね? いや別にこうやって打つ必要ないけれど。

 みたいなことは、大乗系武術では多々あると思います。

 それはおそらく、使うために別にやっている訳ではないので、じっくり取り組んで研究して居るうちにいろいろな物が出来てしまったからでしょう。

 それらは必ずしも見せかけだけの華法とは限りません。複雑な理論と理論を絶秒のバランスで複合した結果の昇華である可能性もあるのです。

 洗練と言うことを向上とみなすのならば、そのような物はやはり昇華とみなしてよいのでしょう。

 かたやで。

 小乗武術のラプンティ・アルニスをしていると、そういうことがほとんどありません。

 たいていの答えが見つかるように思います。

 先日も練習中「○○を攻撃されたときにどうすればいいですか?」とタピタピをしていた方から質問がありました。

 どうもそこが死角がちになってしまっていたらしく、守りにくかったようなのです。

 ただ、その場所は私自身からすれば、基本通りにしていればやられない場所だったので、あまり考えたことのないところでした。

 ただ、実際にはフェイントやら足場の悪さやら相手の速度が思ってたより速くて出遅れたやらで、基本通りが間に合わないことがあります。

 そういう時のために二段構え、三段構えの不測の事態の対処が必要なのですが、その方法を私はすでに知って居たのでやってみせました。

 すると「え、そんなことしていいんですか?」というような予想外風のリアクションが返ってきました。

 そこで、すでに練習でやっていたサヤウの名前を出して、それの第何番目の動作だと言いました。

 すると皆さん、納得した様子。すでに気づかない間に練習積みだったのです。

 すでに、不測の事態には対策が設置されていました。

 小乗武術というのは、本当に平たく言って戦い方のマニュアルです。

 なので、こうなったらこうする、これをし続けていくのが方針で、こっちの形でトラブルが起きたら対策A,こっちなら対策B案を行ってください。というのががっちりと隙なく設定されています。

 そのために、起きるはずのないこと(ホッキョクグマと戦ったり、最新軌道兵器と戦ったり)には支度がしてありませんが、想定されていることへの対処はすべて、基礎練とサヤウの中に織り込み済みとなっています。

 そのために、現代武道と違って、いろいろ習ったけど、で、これどうやって使うの? というのが無い。

 すべてフローチャート式でなんも考えなくても自動的に使えるようになっています。

 私もこれまでやってきたエスクリマでは、多彩な技を面白く学べたのですが、実際に遣うとなるとスパーででも自分の感性や考えて戦略や戦法を組まないとなりませんでした。

 中国武術の中には「いくら技をたくさん知って居ても、法を知らなければ戦うことは出来ない」という言葉があります。

 まさにその、法にのっとった用法マニュアルこそがファミリー・アートとしてのエスクリマの特徴だと改めて感じました。

 どうしても技の多彩さに欠けてつまらないと対策技ばっかりやってると言う印象になってしまいがちのような小乗系エスクリマですが、もっとも少ない数の単純な技だけで沢山の局面に対応できる、というのは実際に身を守るための武術として考えると実に効果的な構造であると言えます。

 ラプンティ・アルニスと言うのは、そういう土着のエスクリマです。

 ただただ一人でサヤウを繰り返し、タイヤを叩き、地力を上げていきながら、時に師匠にあったらタピタピで可愛がられながら自分自身の中の剣士を育ててゆきます。

 もちろん、現代社会でそんなもん育ててどうすんだということにはなります。

 どうしましょうか。

アルニシャーの思い出

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 現地では、バストンのことをアルニシャーと呼んでいました。

 日本のように、いろいろなゴーグルやグローブのような物は現地の人達は持っていないのですが、アルニシャーだけは安価らしく、みんないくつも持っていました。

 中には自分のをくれる人もおり、私自身も現地で所有数が増してゆきました。

 ハポンに帰るときには両手で抱えるくらいになってるぞ、とグランド・マスタルに笑われました。

 そしてそのグランド・マスタルが言ってくれたのは「いいか。そうやって、いつもいくつもアルニシャーを持って歩くんだ。そうすれば、誰かに出会ってアルニスをやりたいと言われた時には、その場で差し出して練習ができる。お前の居るところすべてがアルニスなんだ」という言葉です。

 この言葉に、仏の教えを見ました。

 このアートのマスタルであると言うことに、時や場所の区別はないのです。

 いつでもどこでも、私にマスタルとして生きてゆきなさい、という導きの言葉のように思いました。

 カンフーの師父からも「師父とは何かということを、納得が行くまで考えなさい」と言われました。

 それには一生かかるかもしれないけれども、それが師父であるということのようなのです。

 二人が与えてくれたのは、ただアホのように戦うためだけの技術ではありません。

 私の人生の課題であり、それは人生そのものです。


入骨と星

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 アルニスのタピタピ(グルーピング)という練習は、いくつもの段階を持って教わりました。

 相手が打ち込んでくるのを受け返すというスパーリング的練習なのですが、これをいきなりフリーでやらずに、段階をしっかり経るところに重要な訓練の要素があります。

 相手と自分、そして二つのバストンという相関関係を段階を置いて整理して把握してゆくことで、一定の法則が見えてきて、どんな角度の攻撃でも入れる道というのがあるのが見えてくるのです。

 しかし、皆さんを見ていると、どうしても初めのうちは打ち込んでくる相手に振り回されてしまうようです。

 後から動いて優るということになかなか慣れるのが難しいようです。

 そのための整理法の体得が極意になっています。

 この辺りをして、フィリピンの人達は自分たちの武術を幾何学的だと言ったり、科学的であると言ったり、クエンタダ(予測する)と名付けたりしたのであろうと思われます。

 私個人に関して言うと、実はこの、打ち込んでくる相手に入ると言うのは古武術で体得しました。

 自分では意識していなかったのですが、日本刀を振り回して追いかけてくる先生にしごかれまくっているうちに出来るようになっていたのを思い出しました。

 古武術ではこれを入り身の大事と言って、非常に重視していました。

 技でももちろんですし、あらゆる兵法や戦略を用いてとにかく自分の間合いに詰める方法を研究して居ました。

 幕末には当時流行していた竹刀剣術で撃ちあいには圧倒的な地力を持つ剣士たちが、その間合いの詰め方で抜く間も与えられず、次々と暗殺されました。
 竹刀以前の古武術では、抜く前からが戦いなのです。
 抜いた後でも、いかに懐に入るかが非常に重視されていました。
 倭寇の時代にはそれでだいぶ中国側が苦しめられたという話が伝わっています。
 技そのものではなく、戦い方にこそ重要なところがある、というのが古い武術には見られがちなことです。
 合戦の場においては威力は兵器や装具によって変動が激しいので、臨機応変に戦局を把握して戦えることがとても大事だったようです。
 そのような戦術の立て方に、星の教えというのがありました。
 私はこれをいまでも使っていて、そのために打ち込みに対して攻防をせずにそのまますっとは入れます。
 現代エスクリマだと、中間で撃ちあうのがらしさになっていますが、同じく家伝武術であるイラストリシモ先生の術を見ていると、やはり出合頭の一瞬に間合いを把握してぶつかりざまに決着をつけるという様子がよく見えます。
 おそらく、古い時代のエスクリマの傾向とはそのような物だったのではないでしょうか。
 我々のタピタピも、最終段階では同様の形になることが体系からうかがえます。
 しかし、それを最初からやろうとしてはおそらくはたどり着くのは至難でしょう。
 初歩から段階を経て、状況の観方というのを頭と体に染み込ませながら習慣化してゆくことで、瞬時に場に働いている力のベクトルが手に取れて、その頭をぴしゃりと抑えることが出来るようになるのだと思います。

 

 

 

サムブラダ

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 フィリピン武術の練習法の一つに、サムブラダという物があります。

 二人一組となって、片方、仮にAさん……あるいは……嵐山さん……嵐山さんが相棒のBに攻撃をしたとします。

 するとBが……B……ベッキー……いや、エリザヴェスはヴェスだからヴェッキ―なんでBじゃないな、B……坊屋さんは攻撃をブロックして、のちに追い打ちをさけるために素早くタピをして、流れるように打ち返します。

 すると、今度は打ち返された嵐山さんが同じくブロックし、タピして打ち返します。

 これを延々繰り返す。

 古武術の型でありがちな、片方が攻撃、片方がそれへの返し、という構造に似ています。

 古武術の場合、1に対して1返して最初の段階では終わりです。

 しかし、次に裏型という物があり、今度は表の時に勝っていた方の攻撃に対して返し技があって勝敗が逆転します。

 さらに、秘伝となるともう一回逆転、という風に、型そのものが変わります。

 ですが、サムブラダの場合は最初からやるし、延々勝負は付けずに繰り返してゆきます。

 この辺り、日本武術のように秘剣やら秘太刀やらがある方が勝つという価値観が存在していません。

 双方平等に延々返し技があるというのは、キリスト教圏的平等主義のような感じがします。

 片方が極めて終わるということがないため、動きそのものではなくて動きのなめらかな連環が問われるところが非常に良い練習になるサムブラダなのですが、しかし、これ、実はラプンティ・アルニスの練習法ではありません。さようなら嵐山さん坊屋さん。

 ラプンティ・アルニスではタピタピを行うのですが、このタピタピの姿を実はサムブラダに見ることができます。

 サムブラダで行っている、ブロックしてタピするというのは、タピタピの段階的な動作そのものです。

 流れているので一見打ってくる攻撃を叩き落としているようにも見えてしまうのですが、実はきちんと一回ブロックをしています。

 そのブロックも形が色々あるのですが、実は角度が違うだけで中身はすべてヴァーティカル・ブロックです。

 そのため、これでブロックに身体を慣らしてあげると、非常に効果があります。

 本来あるタピタピと並行して、これを入れて練習してゆくのもいいなあ。ありがとう、嵐山さんと坊屋さん。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

フィリピン武術の伝播

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 最近、いろいろな人達の調査の結果伺えてきたことがあります。

 フィリピン武術という物は、アメリカではずっと前からもうメジャーで、日本でもここ数年アイドルタレントさんの活躍で知られるようになってきたという印象ですが、実はどうも本当はそうではないようです。

 フィリピンにおいて、まずフィリピン武術がそこまで普及していませんでした。

 2010年以降、国技として設定されて、私も所属する国際団体、Arnis pilipinesで普及活動が全国的に行われ、義務教育のカリキュラムとなったりしましたが、それまでは本当に限られた人達しか本格的には学んでいません。

 また、現在でも学校の中でだけ行っていて、卒業をしたら学びはしないというのが一般的なようです。

 そのため、基本的に外国人がアメリカやヨーロッパからやってきて、正式にインストラクターとなって国で普及すると言うことも、思ったよりはずっと少ないようなのです。

 うちのラプンティ・アルニスでも、本国ではほとんど普及が行われておらず、セブ島のオンゴ・カブルナイ宗家の元で行われているほかは、ケソンの私が居たグループ周辺の一派があるのみのようで、北ルソンたミンダナオやなどでの状況はわかりません。

 外国でもルクセンブルクにセブで修行した先生が一人いるだけで、その人がツアーでセミナーをしているほかにあちこちインストラクターが居るという状況ではないようです。

 つまり、地球上でセブ、ケソン市、ルクセンブルク、横浜だけです。

 これはファミリー・アート系の中では知られた方のラプンティ・アルニスの状況であって、ではもっとも有名なファミリー・アート系であるイラストリシモ式の方はどうでしょうかというと、どうもフィリピンではケソンの傍のルネタの辺りだけのようです。

 そして、正式なインストラクターというのは十人程度で、その内の数名が外国人だそうです。

 もっとも高名なエスクリマ組織である、ドセ・パレスやそのライバルのバリンタワクも、セブの近所にあるだけで、首都であるマニラなどにはありません。

 外国人の修行者はそこに行くことになるのですが、そういった人々が何人かきちんとライセンスを取って自国で広めるということがわずかに行われているだけのようです。

 フィリピン最大のグループであるモダン・アーニスは、宿泊施設も持っている最も外国人に普及している組織のようなのですが、それにしても決して全国規模で広まっている訳ではないようです。

 そう考えると、本当に海外に伝来して根付いているフィリピン武術というのは、実はごくごく僅かなようです。

 では、アメリカやヨーロッパで行われているのは何かというと、DVDやユーチューブで覚えた自己流と、カリです。

 カリはどういう経緯なのかまったくわかりませんが、きちんとフィリピンで修行をしたフィリピン人が、ハワイで創作した武術です。

 それだけなら分かるのですが、なぜか沢山の嘘伝説をでっち上げていて、アーニスやエスクリマなどのすべてのフィリピン武術はカリの出来損ないであるというような噴飯もののことを言いだしたり、ルーツはフィリピンではなくチャモロやイスラムの武術にあると言うことを強調しています。

 チャモロやイスラムは、フィリピンに侵略をしていた民族で、むしろフィリピン武術というのはそれらから防衛をするために広まった物なのですが、どういうわけだかカリでは自虐的に襲撃者を始祖だと想定しているようです。

 そのカリを、有名なダン・イノサント先生がアメリカで学び、でっち上げた伝説を広めてしまったのが現在アメリカやヨーロッパでフィリピン武術として行われている物の多くであるようです。

 イノサント先生は若いころ、フィリピンで生まれたお父さんから「カリと言う言葉は使うな!」とかなり厳しく戒められていたと言います。

 アメリカに行くと、チャイニーズ・ニンジャ・スクールや、ニンジャ・カラテ・テコンドというような流派のジムが沢山ありますが、どちらも日本ではみませんね。

 おそらくそのような物がアメリカの風土なのでしょう。

 坂本九さんの影響で広まったらしきSUKIYAKIという日本のすき焼きとは似ても似つかない不思議な食べ物が広まって居たり、お寿司屋さんに行くと、花火でデコレーションされて上で火花が散っているようなとんでもない寿司をタイ人の板前さんが出してきたりします。

 現地人である我々が食べているようなかんぴょう巻や縁側を食べるのは難しい。

 フィリピン武術の世界にはスシポリスは居ないので、長らくカリフォルニア・スパイダー・ロール的な物が広まっていたようですが、その結果として日本に現在流れ込んできているのも、多くはアメリカから来たカリであるようです。

 私自身も初めに触れたのは、セントルイスやハワイで行われていたそのようなカリでした。 

 昨今日本でも、雑誌やネットなどで、いかにもフィリピン武術という物が普及しているように語られがちになっているようですが、実際は言葉だけが先走っていて、本物を生で観たことのある人はおそらく、極めて少ない物だと思われます。

 決して各県に何人か実践者がいるというような物ではない。

 私はきちんとした物を広めろと言われて返されたので、一人づつでもきちんとしたフィリピン直送の物を手渡して、真伝が知られるようにしてゆきたいと思っています。
 特に、地方での伝道をしっかりと視野に入れて取り組んでゆきたいと思っています。

 誤解の方が大きな影響力を持っている現在、これは0からではなくマイナスからのスタートというフシが感じられなくもないですが、コツコツと誠実に、出来ることをやってゆこうと思います。

 小さな個人の働きに過ぎませんが、現在でも北海道から学びに来てくださる方や、毎月地道な練習に参加して活動にもお力を貸してくださる篤実な皆さんに支えられて活動をしていっています。

フィリピン武術の将来

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 さて、前回は現在までの主に欧米圏でのフィリピン武術、およびアメリカで派生したカリについて書きました。

 今回はその続きを、現代フィリピンの情勢から見て書いてみたいと思います。

 arnis pilipinesによる普及活動によって、義務教育に取り入れられているアーニスですが、実際にその活動はまだ一定の形になっていない部分があります。

 アーニスのイメージ・アップと、一般への普及、およびスポーツ競技化がその活動の基本方針なのですが、どうしても最後の部分が苦労のきっかけになっているようです。

 団体に協力的ないくつもの流派の長老がたでさえ、一つのルールの下で競技を行うことには否定的な人が多いようです。

 国としてはアジア大会でのデモンストレーションをはじめ、いずれはオリンピックの参考競技にすることを目標にしているようですが、現在のいくつもの流派が力を握っている限り、それは簡単なことではないでしょう。

 私自身も、スポーツ化には大いに懸念があります。

 とはいえ、日本における代表として、活動への参加は惜しみませんし、いずれ日本選手団を連れてこいというようなことになれば可能な限りそれにかなうようにするつもりです。

 そうすることと、伝統的な流儀武術としてのアルニスが共存できる方向を模索してゆくのが私の役割なのではないかと思います。

 希望としては、義務教育や大学でアーニスに興味を持った若い世代の中から、伝統にも関心を持った有望な人が現れて現存している物を継承して行ってくれることです。

 現在、きちんと教育を受けたフィリピンの若者たちの多くが外国に行ってしまうというのが、フィリピンの社会問題になっています。

 産業の薄いフィリピンでは、生活レベルの向上が大変に難しい課題なのです。

 そのため、学問を積んだ人たちは海外に就職してしまい、結果国内の教育レベルと生産力は一向に上がらないようです。

 そういった多くの人たちにとっては、生活しながらエスクリマを体得してゆくというのは難しいことです。

 もし、海外に出てゆく若者たちのうち、マスター・クラスにまでエスクリマを学んだ人が増えれば、おそらくは将来的に欧米圏における「カリ」との遭遇を果たすことになるでしょう。

 その時に世界的な認識が動き始めてゆくことが想定されます。

 カリには伝統的なエスクリマには無い素晴らしいところがあります。

 それがループする練習やフロウによる気持ちの良さです。

 モダン・アーニスなどではそちらを重視しているようですが、近代までのエスクリマにはおそらくそのような物はなかったと見えます。

 なぜなら、剣士の時代までの技術においてはとにかく最少現で最短で最大の効果を出してただ敵を倒すことだけが最重要課題であり、練習のための練習の面白さを優先しているわけではないからです。

 長々と技のやり取りをしようなどと言う発想が出てきようはずがありません。

 そのため、紙一重の切り合いで相手を倒すと言う返し技の練習が中心であり、「古典のエスクリマはつまらない」と言われるゆえんになっているのだと思われます。

  私自身も、カリの練習が実に良く出来ていて面白いと思うので、そちらで行うサムブラダなどを自分のグループの練習で行ったりもしました。

 そうやって道具を操ることに慣れてから、本気の流儀武術の練習に入っても遅くはないように感じています。

 本気の流儀武術というのは、腰を低く構えて攻撃に対してトリャーと突っ込んでいって相手をひっつかまえてはボコボコにしばき倒しつつ、隙あればぶん投げてさらにはバシバシ打ち据えるという物なのですが……。

 えぇ、やっぱりカリの方が面白い。趣味として面白くやれるようによくデザインされています。

 モダン・アーニスと並んで普及しているピキティ・ティルシャ・カリの存在もまた独特です。

 太平洋における米国の対イスラム前線基地がフィリピンですが、そこの特殊部隊ピキティ・ティルシャ部隊がゲリラ戦用にカリを軍隊武術にしたのがPTKだそうです。

 現地のフィリピン武術家の顧問がその作成にはついていたようですが、そもそもの着想がイノサント先生のカリにあったらしく、非常にジークンドーの色が強く見えます。

 しかし、元のジークンドーと比べるとだいぶ本気の物になっていて、やはりループやフロウはかなり減っているようでした。

 少ない手数で本気の致命傷を与えることが目的となった動きに改編されています。

 アメリカのカリがフィリピンのエスクリマに先祖がえりしたような印象を受けます。

 あるいは、将来的には欧米のカリとエスクリマは交配されてそのような姿になることもあるかもしれません。

 さて、実はここでPTKの話題を出したのには意味があります。

 と、言うのも、ドゥテルテ大統領になって以降、フィリピンでは在比米軍の撤収が行われています。

 ドゥテルテ大統領が盛んに行っている麻薬組織との銃撃戦ですが、あの地域で麻薬を大々的に動かしている大きな勢力に、イスラムのテロ組織があります。麻薬は重要な活動資金源となっているというのは有名な話ですね。

 麻薬組織の摘発が、イスラム人区域で行われて銃撃戦となる報道を見たことがあります。

 同じモチーフをインドネシアで映画化した作品もありましたね。

 ドゥテルテ大統領の政策として、国内のイスラムテロ組織との対立を自国で行えるようにすることによって、在比米軍への依存の取り払おうという物があるように見えます。

 おそらく、ピキティ・ティルシャ部隊も撤退要請の対象であったのでしょう。実はうちのグランド・マスタルが現在軍でアルニスの指導をしています。

 在比米軍の任務を引き継いで新しい近接戦の対策をしているということなのだと思われます。

 近距離での乱戦という意味では、昔ながらの剣士のエスクリマが適していたのかもしれません。

 ここでもまた、一つの先祖がえりが見られます。

 国際的なスポーツ競技化、欧米での趣味としての浸透、そして軍隊でのマニュアルとしての訓練、政治と時勢の影響を受けて、エスクリマにもさまざまな様相の変化がうかがえます。

 その中で私が求めているのはたった一つ、あくまでも人類の歴史に生まれた一つの伝統としてのエスクリマです。

 もはや決して使われることのない、戦うことの無いアルニスです。

 純粋にライフスタイルとしてのマーシャル・アーツ。

 それはただの趣味とはまた少し違うように思っています。

 古典を尊び、伝統を学ぶことで、文明社会が抑圧して忘れさせようとする、人間が人間として生きると言うことの大きさのような物の手ごたえを取り戻すことが出来るのではないかと私は思うのです。

 それはスポーツで勝つことや戦争で任務を遂行することとはまた違う価値があるように私には思えます。

 本物の人類の歩みの痕跡に自分の足を重ねたときに、自分が長く続いてきた生命の営みの一部であり、現代社会の形態はあくまで一過性の束の間の価値観に過ぎないことを相対的に見直すことが出来るのではないかと思うのです。

 であるがための、ただの流行りの趣味ともまたこれは違うのです。普遍的な物への価値観の調整なのです。

 同様のことは、茶道や華道などを大切にする日本人には比較的わかりやすいことなのではないかと思います。

 一杯の茶、一輪の花に世の真理を想うことは、仏の教えに通じる物であると思います。

 そのようにして自分の命を取り戻すための活動として、私は武術を行っています。

 これが私が、簡単、便利な現代の社会の物ではなく、不便で正当な古典にこだわる理由です。

こころに剣士を

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 最近、「こころに剣士を」というエストニアの映画を観ました。

 そこで初めて知ったのが、剣士という言葉を英語でなんというか、です。

 みなさんはご存知ですか?

 SWORDSMAN?

 それも正しいです。

 いつも使っているネットの辞書で調べたところ、まず第一にそれで、二つ目にはA FENCERとありました。

 映画で使っていたのもこちらです。

 つまり、柵をする人、という意味です。

 フェンシングの語源はそこにあるといいます。

 ちなみに、ボクシングの語源はBOXする、です。閉じ込める、という意味だそうです。相手をロープ際に追い込むというのがスタートにあったようです。相撲もそうですが、試合場の形がそのルールの特徴にあることは多々見られるようです。

 現代のフランス式フェンシングを見ると、ルール上前後以外に移動することが禁止されているためか、剣先で相手の攻撃を払いあうのですが、おそらくこれは西洋剣術の長い歴史の上では極めて異例の物ではないかと思います。

 語源にある柵をするような動作が見られる距離での攻防が無い。

 エスクリマのルーツは、スペイン剣術にあります。

 現代のスペイン語ではフェンシングをエスクリムと言い、フィリピンに伝来した当時はエスグリマと言ったと聞いています。

 この時代の剣術の形跡は、古いエスクリマに多々見ることができます。

 ラプンティ・アルニスでは基本の段階では全ての防御をヴァーティカル・ブロックで行います。

 両手でバストンを持って前に立てて受け止めるという非常に泥臭い防御法です。

 これの応用で、真上や真下から来た時にはバストンを地面と水平の角度にして同様に防ぎます。

 段階が進んで慣れてくると、左手を放して右手だけで守るようになります。サムブラダであるような多彩な防御法が出てくるのですが、しかし、これ実は左手を放しているだけで実際は中身はヴァーティカル・ブロックの構造なのです。

 そのため、バストンが接触したら必ず左手を使って衝撃を流します。片手だとそのまま押し込まれるからです。

 その、受け止める→払う→打ち返すという流れが基本の動きとなっています。

 これは古典のエスクリマの時代からある動作のようです。

 そして、これこそまさにフェンシング、柵をするという囲いの動作そのものです。

 ラプンティ・アルニス・デ・アバニコの名前にあるアバニコという扇子を振るような手さばきの動作も、実は全体で見ると柵を張るという動きの一つの表現であることが分かってきます。

 こうなると、ただいたずらにきっさきを振り回しているだけの物とは見え方が変わってきます。

 根本は防御からの反撃であり、その思想は柵を張り巡らすという動線の確保にある。

 このことが分かると、古いエスクリマの本質が見えてくるように思います。

 これは、新しいループしてグルーヴ感のあるフィリピン武術とはまた違う、古典の理解においてとても重要な物に思います。

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