私がマニラに行って、ここで上げたような資料写真を上げたりレポートをしたりするずっと前に、現地に行ってリサーチをして、大学でのレポートにした方が居ました。
その方の仕事を今回初めて拝見したのですが、ここにも挙げた革命闘士のレリーフの写真がすでに掲載されていて、それがボニフォシオの像であるとの解説までありました。
その方のレポートでは、様々な関係者のところに出向いてインタビューをされてもいて、私が前情報が無かったことや言語力に乏しかったことで知りえなかったことをたくさん学ぶことができました。
併せて、そのレポートのリンクを貼っていたページの情報も読んで、ようやく見えてきたものがありました。
そのうちの一つに、フィリピン武術の教育課程という物があります。
私なりにいままで体験してきたことや学んだ物、思ったところをここで書いてみたいと思います。
いぜん、ここで武術における大乗と小乗について書きましたが、その言葉で言うなら小乗に当たる、家伝武術としてのエスクリマがまず在りました。
これは私たちのラプンティ・アルニスがそうだと言うことも書きましたね。
カブルナイ家という剣士の家系にもともと伝わっていた物です。
いまだに、オンゴ・カブルナイ先生という宗家を頂点としての組織だてが行われています。
これと対照的な物に、大乗の武術としてのモダン・アーニスがあります。
小乗と大乗というのは、教えを船のような乗り物に例えた言葉だそうです。
小乗の武術というのは、私有財産の小さな船に乗った一族を乗せて運ぶためだけの武術です。
中国武術に多い○家拳や○式○○拳というような物がそうであって、その家のためだけにある技法をその家の関係者たちだけが用いる小舟です。
対して、大乗というのは誰でもが乗れる公共の大船です。
私有物ではないので、その船の運営を扱う公社が公益のために手繰っています。
小乗の小舟なら、乗り込めるのは身内か身内じゃないかというシンプルな基準なのですが、大乗の場合は生まれや育ちのバラバラな人たちを乗せるので、そこに意図的に一本の筋を設定する必要があります。
そのコンセプトが思想です。
柔道における「精力善用」というような物がそれですね。
生まれや育ちはバラバラでも、後から設定した思想という物はいかようにも考えることが可能です。
モダン・アーニスはそのような大乗の物で、小乗のエスクリマを統合してその技術を保存し、普及し、発展させるという意図で運営されています。
その前提としてあるのが、モダンではないアーニスの存在です。
代表が、かの有名なドセ・パレスとバリンタワック・エスクリマでしょう。
この両者、もともとは一つの組織だったものが分裂した物であり、さらに言うならその組織、旧ドセ・パレスこそが最初の大乗のエスクリマのパイロット版でした。
時代の終わりを感じ始めていた剣士たちの武術を集めて残そうという、実に高邁な志で行われていたものだそうです。
ただ、結局のところ、お家騒動となって身内の喧嘩が悪化し、挙句の果てには古い技術をうっちゃって仲間割れの喧嘩に勝てるための技術ばっかり練習し始めるということになり、それが結果とし現代アーニスの技術の発展を生んだのです。
しかし、そんなことをしていれば当然、世間からは、エスクリマなんてやってる連中は仲間同士血みどろの喧嘩ばっかりやってる、と印象が悪くなってゆきます。
そういうイメージを払拭してエスクリマの社会的地位を高めようというのがモダン・アーニスの設定の背景にはあったようです。
この両者の前の小乗の時代の剣士のエスクリマのことを、ファミリー・アートのエスクリマと言っていました。文字通り家伝の武術です。
この時代のエスクリマは、受け返しの技術で成り立っていたとのことです。
日本の古伝剣術と同じですね。
そういう単調な型をひたすらやるばかりで、今のエスクリマの特徴であるフローティングな要素はなかったようです。
おそらくはそのあたりは例の仲間割れ時代の産物なのでしょう。
ファミリー・アート時代、エスクリマにはマスターのような物や規定された指定制度のような物はなかったそうです。
小乗の物は個人の物で、教えた人と教わった人という関係があればそれ以上の何かは必要とされていなかったのでしょう。もともと多くの人に広めようとして作られていた物ではなかったはずです。
しかし、それが大乗になった時には必要な制度となります。
これが実は大きな問題で、仲間割れ時代にもどうやら決まった階級制度のような物はなかったようなのです。
実力とそれへの風評によって認められた人間が、マスターと呼ばれるようになってゆく、というような戦国時代的なものがあったのみだったようです。
どうやら、そのために彼らは敵対グループの相手を見つけては決闘を申し込んでみんなの立ち合いの元で叩きのめすということをしていたようです。
そうなると当然、ならず者イメージを払しょくすることを課題の一つにしたモダンの成立においては、明確な階級制の設定が求められたようです。
ここで世界のみんなが大好きなブラック・ベルト制度が持ち込まれました。
この、モダン・アーニスはそもそものエスクリマの本場、セブではなくて行政の中心であるマニラにあります。
そして、それもあいまって国が運営する唯一の公的エスクリマ組織、アーニス・フィリピネスもマニラにあります。
この団体はモダン・アーニスと言う流派とは違い、多くの小乗的なファミリー・アートのエスクリマもひっくるめて全体を底上げしようと言う物です。
そして、この団体の公認ランキング、という物も設定されました。
恐ろしいですね。国営のブラック・ベルト・システムです。
先にも書いた通り、ファミリー・アートの家伝流儀エスクリマに段位などと言う物はありませんでした。
おじいちゃんからお父さんに伝わって息子たちに教えられた手作業に、ランクをつける必要はありません。
私も行ったルネタ公園で練習をしていた有名門派カリス・イラストリシモは、もともとイラストリシモ家の家伝の剣術であり、それを有名剣士のアントニオ・イラストリシモから学んだ人たちが作ったものです。
ただ、このアントニオ・イラストリシモ先生というのは、通称をタタンと言われていたのですが、このタタンというは父親、というような意味だそうです。
まさに、教えてくれる父親的な位置の人であって、いわゆる先生では無いニュアンスのようです。
なので、実際のイラストリシモ・スタイルの先生というのは、タタンの剣術上の息子たちとなった押し掛け弟子たちだそうです。
そのため、世の中にはイラストリシモ・スタイルのインストラクターだ、マスターだと名乗る人がたくさんいるようなのですが、実際にはそんなものはマニラのルネタ公園に居た顔なじみの数人以外に存在するはずもない。
そのため事情を知って居る本当のタタンの生徒たちは、彼ら自称イラストリシモ・スタイルの先生たちを「クレイジーだ」と言っているのだそうです。
このように、家伝系エスクリマも、世界での情報化が進むにつれて一定の真実のラインを必要とし始めているようです。
そうなると国による段位の設定もあながち否定的な面ばかりとも言えない。
世界中のYOUTUBE先生、DVD先生をはじいてある程度本物を証明することができます。
しかし、無数にある家伝武術の学習段階をどうやって並列に序列付けを?
一応、実力と団体への貢献度、というのが基準になっているそうです。
これらの話を基に思いかえすと、私がグランド・マスタルにマスタル・コースのスペシャル・レッスンを受け始める前に受けた入門審査のような面接は、貢献度のような部分を計る意味もあったように思われます。
おかげさまで私はそれらの審査の結果、アーニス・フィリピネスからマスタルのライセンスを認定されることとなりました。
これはやはり、貢献でその分を還してゆかなければならないと改めて強く思うところ大の次第です。