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大倭寇後の武術史私論 むすび

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 昨夜、大倭寇後の武術について書き終わり、義和団についての顛末をまとめたところで非常に寂しい気持ちになりました。

 長く書いてきた稿が終わったからというだけではないのだと思います。 

 倭寇というものそのものは海賊行為を含んでおり、決して褒められたことではないのですが、そこにあった命の躍動のようなものが、義和団の事件では縮小してしまったように感じるのです。

 これは中学生時代から長いこと義和団の出来事に引っ張られてきた身としては、自分でも意外でした。

 どうも洗脳と調練ということが、個の命の否定、人を道具として扱う姿勢のように思えて仕方ないのです。

 それは、私が中国武術に見出しているものではありません。

 私的なことを話しますが、私はもともと古流武術や軍隊武術、総合格闘技などをしていました。

 そこから引退を決めたときに、中国武術を最後に触れてみようと思った結果、ここに至っています。

 というのも、そこには他の格技にはなかった思想という面があったのです。

 禅の一側面というその要素にひきつけられて、人間の命を自由にするための物としての中国武術をしてきました。

 これはほかの武術には無いことです。

 そもそものスタートがインドから仏教として伝来してきたことを考えると、これは当然のことだと思います。

 ただ、歴史の流れとして事情とそれに伴う変遷があって、喧嘩殺法の要素が発展していったというのはここまで書いてきたとおりです。

 その方向への進化の結果が、洗脳および人を道具として使うことだったのだとしたら、それを丸ごと私は否定しなければなりません。

 中国武術の本道は、勝つためにやるものではない。

 90年代から一種の古流武術ブームが静かに始まり、格闘技の一環として中国武術や日本の古武術を行う人が増えたようです。

 それらの人の中に、強くなりたいとか、他人より優位に至りたいという動機があるのなら、私はそれらを少し「卑怯だな」と思う処があります。

 もし本当に他人との相対的な価値観での優劣を求めるなら、正々堂々総合格闘技でもすればよろしいのではありますまいか。

 そうやって正面から自分を図ることを避けて、傷ついたり苦労したりしないところで心の中での妄想をたくましくするネタとして古武術に取り組む。

 それは少なくとも、少林武術が否定するところです。

 禅の思想では妄念を捨ててゆき、自我の肥大を忌避することで人間が本当に自由に生きられると考えています。

 妄想を育てるために稽古をする、あるいはその振りをするというのは正反対のことです。

 そしてその正反対のベクトルにあることが、他人の妄想を肥大させて自分のエゴの食い物として利用するという洗脳行為であると思います。

 現代武道をしていた時、同様のことに覚えがあります。

 カラテなり合気道なりの道場が、鬱屈したサラリーマンが体育会系的な自分の居場所としてそこを活用しているという構造です。

 いわく「稽古後のビールを飲むために練習してるんだ」「居酒屋いってからが本当の稽古」。

 このような人々の話と言うのは、やれどこそこの道場の〇〇は大したことがない、今度ゴルフでもどうですか、最近どこそこの風俗に行った、と言ったような物が多く、まるで真摯に武術の真実を追求するような交流はしていない。

 ぎりぎりのところでの攻防の中にある真実を見たくて入門した若者だった私にとっては、あまりに下世話に過ぎるものでした。

 そのような下世話な空間をねつ造してそこでいい顔をしたいがために練習に来ているという人はあまりに多いように思います。

 結局のところ、そういう場で空手は武士道の武道だとか××が最強だとか言うような妄言が広まってゆくのでしょう。

 これでは人をダメにして虚妄に貶めるために稽古に行っているのと変わらない。

 もちろん、このような嘘、幻想が生活を支えている層の人々がたくさんいるのだとはわかります。

 韓国ドラマに夢中になる主婦や、プロレスの面白さに熱狂する人々がいるのは当然のことです。

 いや、あらゆるエンターテインメントやショー・スポーツというのはすべてそういう物なのかもしれません。

 しかし少なくともそれは、武術の本懐ではないと私は思っています。

 私にとって武術はファンタジーではなくて、リアルです。

 これは、リアル・ファイトだ実戦だ護身術だとか言い出すオタクのいう意味でのリアルではありません。

 人類の歴史、学問の文脈としてのリアルです。

 今回、このような長い稿を書き続けてきたのは「現実は面白いのだ」ということを伝えたかったためです。

 そんな妄想の中に浸りこまなくても、きちんと向き合って本気で取り組めば、この現実の世界はこんなにも面白いのだ、ということを読んでくれる人に味わってもらいたかった。

 私にとっては武術とはそのための物です。

 妄想で洗脳して現実から目をそらさせるという物とは真逆だと言っていいと思います。

 そうやって現実の世界に生きることの面白さを訴えることが、私にとっての「この世界は、生きるに値する」という表明に値しています。

 私は不遜にも「日本一話の面白い武術家」を目指しています。

 それはおちょうしのいい口車で人をいい気持ちにさせていいように操るスピリチュアル武術家という意味ではありません。

 その正反対です。

 現実に起きたこと、起きていることに対する真摯な姿勢のみが味わえる学問の面白さを伝えられる人間を目指しているのです。

 世界を直視して面白いと思える生き方が出来れば、命は自由になることができる。

 私はそう思ってこういった活動をしています。


付録 東シナ海武術史年表

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紀元前500年ごろ  孫子兵法発行 ベストセラーだよ ヾ(@⌒▽⌒@)ノワーイ!

 

1127年  モンゴルの元王朝が中華を支配 コノ国ハイタダイタゼヾ(・▽<)ノ ヒャッハー 

1274年  元寇 神風が吹いたよ。 (ノ゚ο゚)ノ ビュー!! 

 

後期倭寇

1279年  南宋滅亡   呂宋国に移住したよ スタコラサッサ(((((((((((((;・ ・)

 

1350年   前期倭寇始まる  (゚ρ゚)∋━━ヽ(-_-;)ウリャ、ヤラレタラヤリカエセ!!

1368年  明国建国 マニ教が国を持った! と思ったらやっぱり無しよΣ( ̄ロ ̄lll) 

        同年、念阿弥慈恩が念流を創立 異人から習ったよ (^人^)感謝♪

1438年頃 愛洲移香斎が陰流を創立 海賊出身らしいよ ヽ(‘ ∇‘ )ノ ワーイ

1458年頃 飯篠長威斎、香取神道流を創立 海岸防衛から編み出したみたいだよ

        ( -_-)ノ ---===≡≡≡ 卍 シュッ!

 

1511年  ポルトガル、マラッカを占拠 ここから西洋がやってくるよ Hey!ヽ('ー'#)/ Hello! 

1517年  ポルトガル、明国に訪れるも追い返される ヾ(。`Д´。)ノ彡カエレ!

1523年  東シナ海で海賊による密貿易が盛んになる \(^▽^)/

1543年  鉄砲伝来 王直が種子島に届けたよ ( ´_ゝ`)ノボンジュール

1549年  朱紈将軍による倭寇討伐 (/-_・)/D・・・・・------ → (;/゜o゜)/

1550年  ザビエル、日本に 川 ̄_ゝ ̄)ノ 神ヲ信ジナサイ

1553年  八大王が浙江に上陸。炎上死 大倭寇が始まった! ( ̄┏∞┓ ̄)/ ニイハオ

        戚傾光将軍、倭刀術、拳経を編纂 重要!

1559年  王直処刑 .....(/_・、)/~~

 

 

1565年 スペイン、フィリピンに入植 エスグリマと原フィリピン武術の交戦 

      *^●v(・・*)(*・・)ノポイ ___。。。。●     

1567年  明国、海禁令を緩和 r(^ω^*)))テレマスナ

1574年 倭寇林鳳、マニラを襲撃 騎士団長殺し! ヽ(∴`┏Д┓´)ノ彡

 

1588年  秀吉、海賊禁止令を出す  禁止シマス!∑( ̄皿 ̄;;

1592年  慶長の乱 秀吉、朝鮮出兵 ・----------‥…-o_(・_-) バン!

 

1616年 清朝興る (゚∇^d) グッ!!

 

1627年  陳元贇、来日 ( ̄┏∞┓ ̄)/ ニイハオ♪

1662年  鄭成功、台湾占拠 首都を東都と定める ┌( ^-^)ノ \(^-^ ) こっちだよ

1774年  山東省で王倫率いる白蓮教の乱 щ(▼ロ▼щ) カモ-ン

1851年  太平天国の乱 ミンナ、チカラヲ貸シテクレ!! (ノ´ー`)ノヾ(´^`ヾ)))

 

1897年  大刀会、襲撃を教会への襲撃を開始 ●~*°゜°。。ヾ(≧∇≦o) エイッ!!

1900年  義和団、北京に押し寄せる よろしくぅ(^o^)/

 

1928年 南京中央国術館の活動開始。苗刀が教授されはじめる ∋──ヽ( ̄∀ ̄ヽ)

 

1949年  中華人民共和国建国 毛沢東の共産党だね

        国民党は台湾に中華民国を移動

 

2017    we are here!

                 we can meke our future!!

明日は海賊武術研究祭です!

海賊武術研究祭 感想

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 いろいろありましたが、長い間かけて準備してきた海賊武術祭りが終わりました。

 たくさんの皆様の協力や、ご参加があって大変に実り深い時が過ごせました。

 前半でアルニスの稽古を行った後、後半で施安哲老師の苗刀のレッスンを行ったのですが、これがまさに中国武術の体の遣いで、アルニスに引き続き足がクロスしまくります。

 手の軌道は紛れもない刀のため、蔡李佛とは少し違う印象を受けました。

 これはあるいは、全長2メートルという苗刀の特性もあるのかもしれません。

 確かに形状は日本刀的なのでしょうが、しかし使い方がもろに中国。槍や棍の特徴も垣間見えて非常に独特の兵器だと言う印象を受けました。

 想定されているのが砂浜などのため、振りながら地面をこすって相手に向けて砂を飛び散らかす技などもあり、また突くときも同時に刃で押し切りにしている意を常に持つようにとの要訣も受けて、非常に勉強になりました。

 中国武術であるため、整勁を使って体を練るように打ってみたところ、これが実に良い練功になりました。

 このような細部を教わることができたのも、素晴らしい中国語の通訳があってのことだと強く感じました。

 こういう企画をやるのもまた面白いかもなあ、と思いました。

 そして久しぶりに神道の穴所が疲労しました。

 全身勁を使いすぎた後の疲れが宿っています。

 あ~きくう。

 

おすそわけです

こないだのふろく

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 施老師が来てくれたときに色々話したのですが、そのうちの一つに雁伶刀の話が出ました。
 武侠小説でめにしていたのですが、これ蟷螂門の特殊兵器だそうです。
 切っ先が両刃になっていて、剣と刀の特性を備えた物だそうです。
 ちなみにうちの看板特殊兵器は太平刀です。
 これは切っ先が平たい刀で、ほぼ刃はついていません。
 遠征に備えて杖として突くことが出来る優れ物です。
 技法の妙に、軍隊の用。
 体系だけではなく、兵器の形にも特色は出るものですね。

我思案慢練

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 さてわたくしは、基本套路が大好きです。

 と、いうのも気持ちがいいからです。

 とはいえ、表演派のように迅速に飛び回るわけではありません。 

 内功を最重視して、入静して瞑想状態で内側を練るのが好きなのです。

 禅なので、本質はここにあると思っています。

 こういった練習法を慢練と言います。

 功を発して全身から勁を打ち続けたままゆっくりと套路を打つと非常に疲れますが、やはりとても気持ちが良いです。

 これは弾勁関係の武術では少しやりにくい部分もあるかもしれません。

 全身をつなげっぱなしの整勁の武術で、さらに動作に出ない暗勁だと最高に静かに行えます。

 これを兵器でやると、その負荷で動作の軸への働きがより強く感じられるのでなお効果が高くなります。

 この間の苗刀も、このやり方が実にマッチした武術でした。

 施老師から「自分の学生には教えていいよ」と言われたのですが、とても恐れ多いことです。

 なので、次のお招きまでの間の復習としてだけやっていこうと思います。

 あくまで借り物、預かりもので、施老師からの宿題、予習復習としてだけです。

 ワークショップで習ったり数か月学んだだけの物を教えるタイプの先生になってはいけない。

 いずれはこれをうまく活用して健康効果に関するデータが取れたらいいなあ。

五月七日 日曜日 海賊武術の集い トライアングラル・ACT2

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 前回楽しかったとご好評いただいた海賊武術研究祭ですが、施老師の許可も得て、復習を少しと引き続きの海賊活動を行いたいと思います。

 今回の内容は前回のサヤウ(套路)、トライアングラルの続編套路と、護身術なんかもやったら売れるに違いないという提案があったので、海賊喧嘩殺法の練習も行いたいと思います。

 喧嘩殺法はアルニスとカンフーから抽出して、伝わってきた対打の形で行います。

 型と対練で女性や未経験者でも安心の内容で前回に引き続き行います。

 また、海賊らしい服装ルールも引き続きますので、ぜひ着飾って楽しく遊びにいらしてください。

 

 

 日どり 5月7日 日曜日

 場所  本郷三丁目 総合体育館 スポーツ多目的室B

 時間 15時から17時30分

 

 会費 一般 3000円

     予約 2500円     

 

 割引 肉文祭協力者は初回無料、二度目以降は投げ銭です。

     外国人投げ銭です。

     海賊衣装の方は2000円。

 

  お申込みお問い合わせはこちらのアドレスにおきがるにどうぞ。

 

 


改造人間

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 以前、武気功をお伝えした方にその上位の物をお渡ししました。

 この方はもともとやせ形だったのですが(ほんとにマッチ棒みたいだった)、見る見る板垣恵介先生みたいな体になってきたので面白いからさらにアップデートしたのです。

 聞けば、六年前から養生功はしていたとのことなので、そうやって養っていた物が一気に形に出たのでしょう。

 正統の中国拳術のすごみはこういう処にこそあると感じています。

 多くの武術や格技が技を練習してそれを行うための体に寄せてゆくのに対して、中国武術では技の練習と並行して体そのものを変えてゆくのです。

 少林寺の様々な不思議な格好で行う修行は、こういう効果があります。

 技の練習をすれば練習した通りの動きはうまくなるでしょうが、それ以外の部分はあまり変化がありません。

 これはいわば蜂のようなものです。

 とても危険な毒の針がありますが、それ以外は割に羽虫です。

 内功を積むというのは人を熊にします。

 爪や牙と言った断片ではなく、全体が強い生物になります。

 むしろ、中国武術の歴史ではこちらが先だと伝えられています。

 先に人体改造術があって、あとから技法が生まれた。

 確かに古い歴史と伝播した地理的環境の変化がありますから、技ってどんどん必要に応じて変わってゆきますもんね。

 普遍的な肉体を改造を主としてのはうなずける話です。

 命そのものにアプローチして、命そのものを改良してゆくことが重視されているわけです。

 例えば戦術面としてだけ見ると、睾丸を鍛える練功はあまり意味がありません。

 蹴られても平気だとか重りを持ち上げられるということを大道芸として笑う人が多くて当然です。

 しかしあれ、古い本を読むとそれが目的ではないのです。

 そこにはこう書いてあります。

「そのようにして鍛えた睾丸は、ひとたび望めば孕まざることなし」

 命をつなぐということは当時の営みの中で大変に大切なことでした。

 そして、命をつなげられるというのは若さと健康の象徴とみなされていました。

 一寸法師を拾ったおばあさんは、なんと四十二くらいだそうですよ。

 昔と今の老いという物の幅がよくわかる話です。

 命を養う。そのことを技よりずっと大切にするのは、私には大変に重要に思える話です。

 ちなみに、武術の内功をしてゆくと男性はロボットのような体型になりますが、女性は胸が大きくなると台湾の老師が言っていました。

幸せのタオ 7・自分を調整する

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 ずいぶん時間があいてしまいましたが、こちらの記事も時々書きますよ。

 前回までは、気持ちの悪い人になってはいけないという書き方で説明をしてきました。 

 気持ちの悪い人とは、陰陽の法則的に言うと「他人の不快感を自分の快とする人」ということでしょうか。

 これは一緒にいる人が気持ち悪くなります。

 もちろん、結果的にそうなったというのは除きます。競合したら誰かが勝つので及ばなかった人は悔しい思いをするでしょうし、間違った情報を信じていた人は真実をしっている人に面した時には恥ずかしい気持ちを感じることもあるかもしれません。

 そういうことではなくて、他人に不快感をもたらして自分が快感得ることそのものを目的としている人たちです。

 いままで私の周りにもあまりにたくさんこういう人が居ました。

 なぜこうなってしまうのかと言うと、おそらくは欠落のためだと思われます。

 自分の内側にそもそも足りないものがあり、その部分を他人から精神的にはく奪しようというものなのでしょう。

 運動能力が低く、思考能力に問題があり、人間性に問題がある人がいます。

 そういう人が、みんなで練習をしているときに落ちこぼれて、遅れを取り戻すために自分の練習を一生懸命すればいいのにわざわざ他人を邪魔して喜んでいたりします。

 これ、完全に負のスパイラルですよね。できる努力をしないでより自分をダメにする努力をしながら、他人を巻き添えにしている。

 しかも、他人からその行為によって軽蔑されることによって逆バリューパックのような形で評価を大暴落させている。

 この延長に、人に怒られて袋叩きにされてしまったという前回紹介した事件があるのでしょう。

 例えば、こういう人が容姿端麗であったり権威や名声に恵まれていればまた違うのかもしれませんが、私の知っている限りこういう人はその真逆であることが多いです。

 少なくとも、私の周りにいるその手の人たちは本当にすべてにおいて恵まれているとはいいがたいタイプです。

 ならばこそ、私としては一つでも改善をすることを進めたいと思うのですが、成功経験の少なさがそれを恐れさせるようです。

 でもですね。

 いきなりイケメンになったりお金持ちになったり運動神経抜群になったりすることは難しいですが、少しだけいい人になることはそんなに難しくないでしょう?

 ほんの少しだけ他人に気を使っていい気持にしてあげるだけで、マブタのプチ整形くらいの効果があるなら安いものだと思いませんか?

 これは、媚びたりすることとはわけが違います。

 いうなれば、もっと暴力的というか、強者の姿勢です。

 そして強くあることが幸せにつながり、しかも他人にも損をさせないというのは、大変にオトクな話です。

 こういうことを陰陽思想では調和を取るといって非常に重視します。

 さらにいうと、これによって内側の欠落が緩和されてゆく可能性もあります。

 善意と言うのは非常に利己的な物でもありえます。  

 ぜひ恐れずに自分のために取り組んでいただきたい部分です。

今月の予定 随時更新

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サウス・マーシャル・アーツ・クラブの今月の予定
 
16日 日曜日
 
 お知らせです。
 朝の湘南練習会は今回、場所が変更になりました。
 片瀬江ノ島の藤沢海岸にて行いたいと思います。
 参加ご希望の方はご連絡ください。
  
   夕方  関内WS 18時ー20時
    関内駅より五分 フレンドダンス教室
 一般       3500
 事前申し込み 3000
 外国人     投げ銭
 
 
22日 土曜日 14時より
 関内大通り公園水の広場にて行います。
 アルニス、カンフー両方やります。
 
 カンフー 2500
 アルニス 1500
 外国人  投げ銭
 
23日 日曜日 
  アルニス・サンデー 10時ー12時
   山下公園、マリンタワー前の芝生にて
  
 一般 1500
 外国人 投げ銭
 
 各土曜日 通常練習
  お問い合わせください。
  
  と、なっております。よろしくお願いいたします。 

武術を学ぶ道

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 やっぱり人間、知的探求心や向上したいというような欲がありますから、どんどん興味のある物に向かいたくなります。

 しかし、これが格闘技ならいいですが、古典武術となるとそういう欲求を否定する部分があります。

 あくまで家伝のもので一族の者と信頼できる身内だけに伝えられてきた秘伝系武術は「好奇心がありまーす」みたいな人間にほいほい分けられるものとは限りません。

 となると、あれも知りたい、これも知りたいんだ。本当に深刻に人類学としてそういう物を尊重して学ぶ機会を与えて欲しいんだ! と言う人にはかなり不都合な状況であると言えます。

 それでも現代はずっとよいもので、昔なら「○○拳を学ぶ人間にはうちは教えない!」などと言うことが普通でした。

 だからと言って「じゃあ○○拳辞めてそっち行きます!」と言うと、○○拳の身内から「うちの秘伝を流出させる気だな裏切者め! お前の功を奪う!」と言うようなことになってしまいます。

 私が武術を学ぶ上で影響を受けた古流を老師は、ある縦糸での文脈を追う形で二流を正統に継承していた学者肌の方だったのですが(ドクターでお金もあった)、当時多かったたくさんの武術を教えている人たちのことを「二つも継げば大変だ。あんなに五つも六つも継げるわけがない」と言っていました。

 この当時(80年代から90年代)は、流儀泥棒や自称先生の問題が表面化し始めていた時期です。

 流儀泥棒と言うのは、当時、戦前から稽古をしてきた先生方が老齢になってきたので、そこに入門して介護をしながら継承者名簿に名前を書かせて伝書の類をそのまま引き継いでしまう人々のことでした。

 そのころ武術をするような人はとても少なかったので、残っただけよいのではないかというような気もするのですが、実質的な練習をほとんどしていないところで事務手続きをするように継承者になってしまっているので、正当な武術家からは批判が出ていたのです。。

 そのようなことを「火事場泥」と呼ぶこともありました。

 うちの先生は「××流の先生からこういう技を教わったんだよ」と言って教えてくれたり、たくさんの秘伝の古文書を収集してたりしましたが、決して自分がそれらの流儀を学んだとか継承したとは言いませんでした。

 先生方同士で失伝対策としてバックアップは取っていたのでしょうが、けじめはきちんとつけて、あくまで保護という姿勢を一貫していました。

 火事場泥タイプの場合、結局動ける時期の先生にきちんと手伝えに教わっていないので中身は自己流となります。

 そうなると名代だけを粉飾した泥棒となってしまうわけです。

 とはいえ、「○○拳をやっている人間には教えない」や「▽人には教えない」というような話になってしまうと、どれだけ学びたくてもすでに学べないことになってしまっている、ということが多々起き得ます。

 実際、我々鴻勝館の開祖である張炎先生も、少年時代は「よそ者だから教えられない」という村の掟で武術が学べなかったと言います。

 結果、良い師を求めて世を忍んでいた青草という僧の元に旅に出て佛門掌を体得して蔡李佛拳を完成させたというのだから結果的には良かったのですが。

 まぁそのような風習が強い武術界においては、事情やゆわれが不明ながらあれも教えるこのクラスもあるといくつもやっているような先生は、そこまでのレベルのことしか学んでいないという見方があります。

 学生のスポーツレベルでならいくつでも物をプレイできますが、本当にプロのレギュラーレベルで、野球とサッカーとバスケットで選手をしている人がそんなに居るわけがない。

 流派を継承するとはそういうことです。

 では、系統的に学びたかったりしてどうしてもいくつもの派を学ばねばならないという場合にはどうすればいいでしょうか。

 それがやりたいときに、やってしまいがちなのが、あっちもこっちも同時期に並行して学んでしまうことです。

 現代武道ならそれでもいいのですが、流儀武術だとちときつい。

 えてして全部の流派のお客さんで終わってしまいます。

「あー、がんばってるねー」で終わりです。

 そのような時には、一つのことをまずきちんと追求すればいいのです。

 そうすると実力がついてきます。

 すると、その派を理解できてきます。

 こうなると、派の人間、ひとかどの武術家として業界で扱われるようになってきます。

 これが出来ない、立ち居振る舞いが分からないような人は外から入ってきた門外漢としてあしらわれて終わりです。

 武術界という専門技術者のギルドのような社会の人間になるにはそれなりに紹介者や手続きがいります。

 誠実に学んで信頼を得て頼りにされるようになれば、師から他の先生に紹介されたりして入口に案内されます。

 土日武道家の初段二段のうちは相手にされません。

 そういう形式上の序列よりも、個としての人間性が大切です。

 人となりが認められてくれば「ちょっとA先生のところに行って勉強してきなさい」とか「あなたアレがやりたいそうだから、友達のB先生紹介するよ」というようなことが起きます。

 すると、その流派の序列内の門人とは違いますが、留学生として近しいところで非常に重要なことを不意にマンツーマンで学べたりすることがあります。

 そのような人々の専門のクローズド・クラスを行っている先生もおります。

 これらは個としての実力や縁があって入れる場所です。

 場合によっては、その中から継承者が現れることがあったり、また本来の継承者に伝わったこととは違う部分があるために、師が亡くなったあとにお返しする役割を預けられたりする場合もあります。

 そのような段階に至ると「自分は○○流を学ぶことができた」と言えます。

 いくつもの階段を一段や二段づつ登っても、登れたのは結局一段二段です。

 一つの階段を上まで登れば、同じ階の隣の階段にひょいと移ることもできる。

 私自身、現在は二つの流儀を教授していますが、実際には別にも流派の指導資格を得ています。

 それも客分として個人的に教わって「あんたなら自分の道場でもう教えていいよ」と先生に言っていただけたからです。

 とはいえ、実際にはお世話になったその先生のきちんとした後継の方がいるのでそんなことはしていませんが。

 フィリピンでアルニスのマスターになったときもそれに近いものでした。

 恥ずかしいお話ですが、私はフィリピンに短期留学した時、20万円しかしたくしていませんでした。

 一か月の滞在で全財産がそれです。

 その内に、学費で十万以上飛びます。

 正直、途中からは移動手段やコーヒー代でさえちまちま計算して切り詰めて暮らしていました。

 暑いので着替えのシャツを調達しないといけないのですが、現地の人々は小柄なので私が着れるサイズの物は少し高めだったのでへこみました。

 水道水は飲めないので安いミネラルウォーターを毎日探したり、トイレットペーパーも安売りで買ったりしていたものです。

 そんな中で、観光もしないでお金をかけずに楽しむために公園に行って練習している人からエスクリマの話を聞いたり体験出来たらいいなと思ったのが入口でした。

 学校の先生のいとこがI流エスクリマのインストラクターだったのですが、1レッスンのフィーが1500ペソ。日本円で2500円くらいです。

 情けない話、それは払えませんでした。だって一か月暮らすのに10万円の現金がないんですもの。

 そんな中での公園散策で出会ったのがGMペピートのグループ、パワー&ブレイブ・ファイターです。

 まさかその時、GMペピートが海外でも取材されている先生で、陸軍でも指導している人だとは知らなかったし、そのアルニスが高名な家伝エスクリマだとも知りませんでした。

 ただピクニック中に練習していたおじいちゃんに仲間に入れてもらったのがきっかけです。

 ありがとう、アヤ爺。

 そこから練習日に呼んでもらって、稽古の結果そこの先生に「お前をグランド・マスタルに会わせる」と紹介してもらい、そのグランド・マスタルから「国に帰ってお前のジムで俺のアルニスを伝えろ」と言い使って、国営団体のマスタルに推挙してもらえました。

 あこがれていた現地での練習に参加してお話を伺いたいと思っていただけなのに、十五年くらい続けてきたひそかなエスクリマの練習とカンフーの功の結果です。

 こんな奇跡は人生でもうおきないんじゃないかなあ。

 自分の階段を楽しく一生懸命に登っていたら、気づいたら知らない階にたどり着いていたということなんでしょうね。

 あれがしたいこれが欲しいと欲にかられていたら、野心の強い泥棒だと思われて警戒されていたりとか、うさんくさいやつだと思われて敬遠されていたかもしれません。

 また、それなりの対価を求められていたかもしれませんね(それは当然のことです)。

 まじめに楽しく練習をしたいだけの貧乏な武術家だったからこそ、このような結果がいただけたのではないでしょうか。

 おかげでいまは、ペピートのところのハポネス、として外国のマスタルにも覚えてもらい始めています。

 帰り際、次はまた、モンゴシというフィリピン式のカンフーをやるからな、とGMは言ってくれました。

 いま、一生懸命次の貧乏旅行に向けてお金をためています。

 こないだひょんなことから台湾の施老師がやってきて苗刀を伝授するという次第になったのも同じことだったと思います。

 人となりと姿勢に対する信頼あってのものでしょう。

 口うるさい生真面目なだけのつまらない人間だからこそのなにがしかよい部分も、武術においてはまぁあるのでしょう。

 こうして先生たちがつなげてくれた階段を登って行って、次はどんな景色が目の前に広がるのかが非常に楽しみです。

今週末 日曜日は関内ワークショップです

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 日曜日18時より、関内のダンススタジオ、フレンドダンス教室さんでワークショップがあります。

 カンフー、アルニスから抜き出した、海賊喧嘩殺法の使い方を主に練習する内容になると思われます。

 どうぞお気軽に遊びにきてください。

 よろしくお願いいたします。

 

 一般 3500

 予約 3000

 外国人 投げ銭

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外側の勁と内側の勁?

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 最近、日常の習慣としてちょっと強めの武気功を増しました。

 基本練功は体のチューニングなので、あちこちに変化が出ます。

 いいこととしては馬(下半身)が強くなったことがありますが、よくないこととしては股関節が固まりました。疲労がくるのですね。

 なので、その部分のストレッチをさらに調整として心がけました。

 橋(腕)に関しては、いままでと違ったところが疲れるようになりました。

 うまく言えないのですが……ムエタイでひもを巻くあたり?

 上腕二頭筋や三頭筋の大きな盛り上がりのところではなくて、膨らんでない地のあたりです。

 こういう、つなぎの部分が強くなるのが武気功の気がします。

 こうやって鍛えて作る我々の勁を鉄線勁と言ったりしまして、他の拳法でやるような瞬間的な爆発の短勁に関しては私はよく知らないのですが、最近ちょっと勁や力の種類について思い至るところがありました。

 一般に言われている武術のコンセンサスとして「力は骨より発し、勁は肉より発する」というようなものがあります。

 私の行っている発勁では、勁は形には現れず、骨肉分離と言う言葉があるくらいで骨格を動かさずに肉だけで勁を用いることになるのですが(実際には接触するために骨格も動かします。威力の根本にしないというだけです)、そのために、チカラは部分より出て、勁は全体より出るなんて考え方をする先生もおられるようです。

 また、チカラは形により起こるために止まれば終わり、勁は無形で出続けるということも言われます。

 ここから思い出すのが、私が柔を学んでいた時に教わったことです。

 そこでは形の持つ力と言う物を重視していて、自分は強い形を保持、相手にはそれが崩れるように働きかけるということが原則でした。

 これは、柔術が崩しを重視しており、最後には崩し切って勝ちとすることを考えると自然なことのように感じられます。

 最近、私の知っている限り最も強力な発勁をされる、長年お世話になった先生が、合気道あるいは合気柔術と我々の勁はやってることが真反対であるということを発表されました。

 合気武道は剣術の裏芸だということが言われます。

 だとすると、やはり重心が浮いており、機動力と瞬発力があるもので、勁ではありません。

 力は軽く、勁は重いという言葉があったような気がします。

 合気武道と中国武術同一視説というのには私はずいぶん昔から疑問を感じていたのですが、とうとう明言されたので非常にすっきりとしています。

 私自身の中で、柔を使うときと勁を使うときはかなり違うことをしているように思います。

 柔では体重を使いますが、勁を使うときは体重を相手には使わない。体重は立つことに使います。

 よく、体重の乗った技などと言いますが、それはやはり格技や現代武道、日本武術の「技」の世界の話で、少なくとも私たちの中国武術ではそうではない。

 体重は立つためにあるので、技を使うためにあるのではなく、武術は技を使うためにあるのではなくて立つためにあると考えます。

 この辺りの考え方が根本的に禅の一部である中国武術は、他の格技とはことなります。

 特に氏族階級の特権技術であった日本武術とはかなりの差異が出て当然だと思われます。

 と、いうわけで、武術の技をするための専門の「形」などはなく、日常生活すべてが禅であるというのが少林拳系中国武術の正しい答えだとは思うのですが、実際には形の力を使う物があると聞いたことがあります。

 あくまで聞いた話ですし、その話をした人物もその拳の専門家ではないと思うのですが、あくまで参考意見の一つとして紹介するなら、その拳とは長拳類です。

 あれは、その形の強さを相手にぶつけて威力を出しているのだと言っていました。

 だとしたら、これは日本の考え方に近い。実用優先で禅とはちょっと違う。

 でも大丈夫、長拳のルーツは回族にあると言います。

 イスラム教徒なので考え方が違って当然。

 とはいえ、私が結構芯をついているのではないかと思っている中国の研究家の先生がいわくには、回族武術には三つの段階があるのだと言います。

 初級が長拳の段階。中級が八極拳。上級が心意拳だと言います。

 これと同様の説を、台湾の名門の人からも聞いたことがあります。

 日本では神鎗李書文の李氏八極拳が有名ですが、実際にはあれは八極拳全体の中では異端で、古い八極拳はやはり形の力を中心に使っていたのだと言います。

 それが、内側の勁を重視するようになって、新しい八極拳に生まれ変わったのだそうです。

 上級の段階が心意拳だとしたら、まさにその、形に対する内側の力を心意と表現していたかもしれません。

 中国文化でいうなら「気」と表現してもよさそうなものですが、そこは回族拳法。道教的な気の概念を避けていてもおかしくありません。

 私自身が回族武術を学んでいた時に小耳にはさんだ話に、「心意拳というのは覚えれば形はなくなる。これは形を覚えるのではなく勁を学ぶための物だ、だから実際に打つ時にはそれまでに学んできた長拳や他の拳法の手管になる」と言うのです。

 これもまた、見た目の骨格と中身の肉の力が違う、骨肉分離の一つの姿ではないでしょうか。

 実際形で打たないから、脇腹でも背中でも上腕でも、特に骨のない変なところから発勁が出来ます。

 部分ではなくて全体の持つ力です。

 そんなわけで最近、昔やっていた骨格の形の力でかける柔の技を、形を無くして勁でやるようにできないかと言うことに関心を持ち始めました。

 この発想は、師父になった後で教わったことです。

 はじめは強力な発勁で当たるを幸いどこででもぶっ飛ばしてゆくタイプの拳法なのですが、用勁の巧みさを求めると怪我をさせない方向にも持ってゆく。

 決してタイミングやフェイントでかけるのではありません。

 あくまで勁の使い方でそれをします。

 丹田を中心として全身を勁力の鉄球にした後で、それで打ち倒すのではなくて転がすようにしてゆきます。

 イメージとしては、圧の詰まった丹田が力場として全身を包む状態に巨大化していった状態で、相手をうまく轢いてゆくという処でしょうか。

 こないだまで兵器をよく練っていたせいか、徒手の動きに興味がまた揺り戻ってきました。

 

 


オグンについて

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 不意に思い出したことがいまとなって結構重要な意味を持っているような気がするので、書いてみます。

 みなさんはオグンをご存知でしょうか?

 えぇ、ナイジェリアの州の名前です。

 その由来となっているのが、現地の神話に登場する神様です。

 どんなイメージかというとこれを見ていただくのが早そうです。

 https://www.youtube.com/watch?v=FU8Zqbzxhuo

 これはキューバのナイジェリア系民族の人たちのオグンのダンスです。

 いわゆる産鉄神で、シンボルとなっているのはマチューテです。

 そう、マニラのエスクリマドールたちがゲリラ戦の時に主要武器としたものです。

 中国語では開山刀というそうです。

 このオグンへの信仰は、スペインが北アフリカからマゼラン・ルートで南米へと黒人奴隷を運搬し、現地でのサトウキビ政策を行ったことで中南米に広まりました。

 私がこのマチューテの守護神と出会ったのは、決してエスクリマ・ルートでではありません。

 もともとブラック・ミュージックとダンスが好きで、その興味がまた南進してカリブ海にまで至ったときに、現地のダンスにあるものとして遭遇したのです。

 カリブと言えば海賊で有名ですね。

 パイレーツ・オブ・カリビアンの映画にも中華系の海賊が出てきましたね。

 海洋の人類史を見ると、東シナ海を挟んだ東西の文化の混交は南米にまで及んでいるわけです。

 ちょうど偶然私もその文脈をなぞってしまい、たまたまキューバでこの信仰(サンテリアと言います。ヴードゥだと思っていただければおおよそ)の神楽を学んできた先生方数名に出会い、数ある神様の中でもなぜだかオグンっぽいと呼ばれてこれを教わったのです。

 サンテリアには、イケメンの疫神や、チョースーパースターの雷神などもいますから、オグンぽいというのは……そうとうオグンっぽい印象だったのでしょう。

 そんなわけで、私はこの踊りがある程度できます。あくまで民族も違うし信仰もしていないので、本当に形だけなのですが。

 一時はパフォーマーとしてデビューする予定までたったくらいです。

 少なくとも、日本でエスクリマドールを称する人々のうちで、ここまでをやる人はほかにはいないのではないでしょうか。

 別に文化的な完成を狙って学んだわけではなくて、アルニスと同じくたまたま向こうから現れて教えてもらえたのが面白いところです。

 一応、国営組織の公式認定マスターとしては、そこぐらいまでできてよかったといまは思っている次第です。

 ちなみにオグンのダンスにはこういうバージョンもありなようです。

 https://www.youtube.com/watch?v=YeEJzJqiHJY

 はい。双刀です。

 あるいは、これこそ東シナ海を経由した時に混交されたものかもしれない。

 もしくは、現代になってからカンフーの要素を入れたか。

 いずれにせよ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸と世界中に広がった文化が、それぞれの土地から別々に私のところに訪れたのだから、実に面白い。

 少なくとも、このジャンルの研究の実践はほかにまだ誰もしていないでしょう。

 できればこれもぜひ誰かに引き継いでいってほしいところです。

 そのうちパフォーマンスの会を開いて、演武の中に織り込みましょうかねえ。

 

5月の関内ワークショップは21日の日曜日です

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 5月は21日の日曜日、18時から関内ワークショップを行います。

 場所はいつものフレンドダンス教室さん。https://www.navitime.co.jp/poi?spt=00011.040957625

 アルニスやカンフー、気功などを個々人に合わせて練習して、海賊武術を楽しんでいただきたいを思います。

 

 一般 3500

 予約 3000

 外国人 TIP

 

 よろしくお願いいたします。

人間の伸びしろ

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 4月の関内ワークショップでは、非常に重要な物を来てくださる方々から学ばされました。

 かねてから公表している通り、うちではライフスタイルとしてのマーシャル・アーツを行っています。

 戦うための技法だけを目的とするなら総合格闘技をすればいいのですし、護身術だけなら武装をするのが効果的でしょう。

 しかし、体の遣い方を訓練しながら身体と繋がっている心の調整を行うのなら、やはり少林武術がいいのです。禅の一形態なのですから。

 身体の癖を治すことで、思考の癖(ビリーフ)を変えて、自己による自分への拘束をほどいてゆきます。

 そうすることで、自分が本当に望んでいるより自由な生き方をすることができるという信念に基づいて活動をしているのですが、今回はそういった人の在り方のようなものをよく見せてもらえました。

 非常に感動的なものでしたよ。

今週はアルニスサンデーです

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 日曜日、10時から山下公園マリンタワー前で行います。
 休日の朝にアルニスをどうぞ。

明日土曜日の練習予定

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 14時より、大通り公園で練習です。

 よろしければどうぞ~。

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