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抖勁の内側の遣いの段階。整理。

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 中国武術を始めてから、格闘技時代に発生した腰痛が治りました。

 無理やりな力やタイミングで行っていないので、当然と言えば当然だといまではわかります。

 こういうのがタオに則って行うっていうところですね。タオってのは、紫前の理のことです。

 理よりも自我を優先するから、体に返ってくるわけです。行動に対する反応、陰陽思想ですね。

 しかし、おとといから珍しく腰痛が起きています。

 これには心当たりがあります。

 抖勁という発勁の練習のせいです。

 これ、私自身は抖勁と言う言葉では習わなかったんですけれど、どうも中国武術では一般にそう言うようなので、平素はそう呼んでいます。

 抖というのは震えるという意味で、実際に体をぴくッと震わせてこれをやっているという人もいるのですが、少なくとも私たちの考えではそれは間違いです。

 そっちの方は弾勁、あるいは脆勁と言うほうで、むしろ瞬発力で行う比較的初級の物に分類をしています。

 昔、まだ日本人が本当に教伝を受けられなかった時代は、スナップやデコピン的な物を発勁と称していた人たちもいたようですが、いま現在の私たちはそれを発勁とは呼んでいません。

 と、言うのも、そこには勁がないからです。

 では勁とは何かというと、それは中国語の辞書にも書いてありますが「弦を張った強さ」です。

 前述の瞬発の物は、弦が切れるような感じ、あるいはまったく張りがない状態で行う脱力系の物です。

 脱力は初歩の段階で行う重という物で、そこから先に内側に勁を仕込んでゆきます。

 その勁を、線、腱、鉄線などと呼びますが、これはつまり、重の脱力段階で拙力を取ったところに、体の中を通る仮想の力の流れを作るということです。

 この仮想のルートを経絡、そこと通る力が勁です。

 勁が強くなれば、骨格に体を寄りかからせて使うことから離れてゆくことができます。

 骨を捨てて、勁で体を支えて動かすのです。

 これが出来れば、骨格のすえ方という外形に囚われずに動くことができます。

 外形の次の段階ですね。

 さらにこの次の段階として、勁をどう使うか、という処にテーマが向かいます。

 例えば同じ、手を挙げる、下げるという動きをするとしても、骨格でやるのと勁でやるのとはまるで意味が違う。

 そして、さらにその勁をどう使うかも変えてゆくのです。

 そこがややこしいところで、教える方も教わる方も、うまい言葉や知識がないと大変に伝えるのが難しい。

 中国に行って覚えてきた私の先生方は、本当に素晴らしく見取る力があったのだと思わされます。

 いま、ようやく私もその段階にきているのですが、やはり勁の形、使い方で動きの質がいろいろ変わるので、どこに絞って安定させるかで思案中なのです。

 そのために、一度にほんの少し発生しているブレみたいなものが数を重ねているうちに腰痛になったものなのだと思います。

 ストレッチを数分すれば治る程度の物ですが、私としては非常に珍しい。やはり、これまでとは違うことをしているのだということが明確に感じ取れます。

 こういう部分を追求してゆくところからが、中国武術のいわゆる高級と言われる部分の初歩なのでしょう。

 これはもう、格闘技的な部分や技撃、護身術とはまったく関係がない。

 自分の身体を以下に自然の理にもっともよく協調させるかと言うだけのものです。

 それこそが生き方であり、ライフスタイルとして大事なところだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


動画公開始めました

明日 4月23日のアルニス・サンデーの場所変更のお知らせ

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 明日の練習は、いつもお世話になっている茅ケ崎のダンススタジオYOU&MEさんのご厚意で場所が借りられることになりました。

 ですので、公園から茅ケ崎は駅を出て南に移動して鉄砲道との十字路にある、ダンススタジオYOU&MEさんに変更にて行います。

 ぜひよろしくお願いいたします。

 こちらではアルニスのみならず、気功やカンフーなども行います。

心意把の用勁?

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 前の記事に勁のことを書きましたが、先日の練習でもその部分を強化して行いました。

 ちょうど名古屋からきている学生さんが、棍の練習に入ったのですが、ここで強調されるのが一歩ごとに片足をあげて、同時に兵器を使う、という動作です。

 これ、実は先日の海賊祭で習った苗刀でも同じです。

 一歩ごとに片足立ちになってその状態で出せる力で長大な重しを用いる、というのは実は心意把の勁なのであろうと私は推察しています。

 私たちの少林拳に伝わっている話によると、少林武術の初めの一歩が心意把はのだと言います。

 これが座禅と対になる形での、立禅、動禅としての物であり、そこに付随する形で棍法や拳術が後から追加されていったのだと言います。

 この心意把というのはではどういうことなのかと言うと、足をあげて片足立ちになり、そしておろすということです。

 体重をかけることでもなく、何かによりかかることでもありません。 

 この動作の中に重要な勁の使い方があり、武術がすっかり完成された現在では、先に拳術などの招式を学んでから、あとでこの心意把の勁を入れるという順序が確立されているそうです。

 うちでも結果的にその順番で学ぶことになっており、少林拳の中核兵器である棍を学ぶ段階でこの勁を強調してゆきます。

 片足立ちで長い根を振れば、当然ふらふらしてしまいます。

 しかし、そこで表演のように棍の遠心力に乗っかったりはしません。

 あえてその力を自分の軸で抑え込んで片足でしっかり立つことで、棍に威力が乗ります。

 この、しっかりとした片足立ちを、前の記事で書いた内側の勁の遣いで行います。

 そうすると、内側が鍛えられて勁が強くなります。しんどいのでいやでも内側を意識させられる。

 その意を持って勁を導きます。

 教えにある、意を持って気を導き、気を持って勁を導くという奴です。

 これを行った後、拳術の套路を一動作ごとに止まって打ってもらいます。

 止まってもらったところに、私が靠をぶちかましてゆきます。

 靠とは体で殴るということです。

 この発勁を、相手は自分の発勁で受け止めなければいけません。

 それが出来ないと車にはねられたように吹っ飛んでしまいます。

 しっかりと内側の勁を利かせて立てていれば、持ちこたえられることができます。

 これを排打功と言います。

 このようにして、常時心意把の勁で発勁状態のまま套路を打つようにできたとき、「勁力の圧の詰まった鉄球になる」という我々の拳法が形に成ります。

 高速で振り回す手や足に意が囚われてはなりません。

 しっかり立っていることこそが大切です。 

 これが出来たとき、手足に囚われず、ただ立つだけで体が触れれば相手を靠できるようになります。

 靠とは、体で殴るということです。

 先日この学生さん、駅で歩いていたところ、歩きスマフォをしていた女子高校生がぶつかってきたそうです。

 すると、そのまま相手は吹っ飛んでしまったというのですから非常に危ない話です。

 これが、内側に常に心意把の勁が働いているということであり、ただ立つということの武術の在り方ではないかと思います。

 それと、歩きスマフォにはご注意を。

 

今月の湘南クラス

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 今回の湘南クラス、晴れた日の湘南にバイクで向かうのは大変気持ちよかったです。

 練習場所のスタジオ前にゆくと、先に来ていた生徒さんが「やっぱりバイク乗ってたんですね。バイカーっぽいと思ってました」。

 どうやらファッションやヴァイブスからバイカーっぽさがいつもにじみ出ていたらしいです。

 そういう海賊武術マスター、今日はきれいなスタジオで素敵な家族四人も含めたメンバーで練習をしました。

 事前に少し打ち合わせて、アルニスの日としました。

 ウォーミング・アップとベルシック1をしてから、サムブラダに入りました。

 これはカリから学んだものです。おそらく大本はカリス・イラストリシモの練習法でしょう。ラプンティ・アルニス・デ・アバニコで習ったものではありません。

 それを、パクりました。

 パクられたらパクり返す……ハロハロ文化だ!!

 このサムブラダというのは、日本武術の型をつなげたような練習法で、ある角度の攻撃が来たらそれに対してディフェンスしてそれを払ってすかさず死角にリポスト(打ち返し)という秘太刀みたいのをさらに秘太刀で返してそれをまた……というような技に技を返す練習です。

 本来の私たちのアルニスでは、タピタピという打ち合いをしながらつかんだり相手の武器を奪ったりする練習が対人稽古の中心なのですが、今日はこのサムブラダの流れにタピタピを載せました。

 秘太刀の打ち返しあいの中で、隙あればそこでラプンティ・アルニス式の別の必殺技「掴んでのアバニコ」や武器のもぎ取りを混ぜてゆく稽古は脳の混乱に追い込まれながら別のルートに流れを持ってゆくというのは、展開の広がりを感じられてとても楽しい物でした。

 

5月の練習予定 随時更新

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 5月の練習予定です。

 

7日 日曜日は、海賊武術の集い トライアングラルACT・2 です。

 http://ameblo.jp/southmartialartsclub/entry-12263673942.html

 

14日の日曜日は湘南クラスになります。

 朝の10時から茅ケ崎駅を南に歩いて、鉄砲道と交差する十字路のすぐそばになるダンススタジオYOU&MEさんにて練習です。

 

21日の日曜日は関内WSです。

 関内駅から徒歩5分のフレンドダンス教室さんで18時からとなります。

 http://ameblo.jp/southmartialartsclub/entry-12266364326.html

 

28日の日曜日はアルニス・サンデーです。

 山下公園、マリンタワー前の芝生にてアルニスを練習します。

 一般   1500

 外国人 ONLY TIP

 

毎週土曜日は大通公園で練習です。お問い合わせください。

 

 初心者歓迎。

 よろしくお願いいたします。

低い姿勢

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 中国武術の多くでは低い姿勢を作りますが、この時、お尻が出ていてはアウトです。

 というのも、勁の繋がりが切れるからです。

 しかし、これが少林拳のルーツであるはずのインド武術にさかのぼると、お尻が出ているようにも見えます。

 ですがこれ、お尻が出ているというよりも、頭を下げているように見えます。

 これ、アフリカの人たちの構えにも見られます。

 二本足で立つ恐竜のように、頭を下げてお尻が上がってバランスがとられている。

 こうなると低い姿勢の意味合いが変わるように思います。

 中国武術では内側の力を重視したように、お尻を挙げて頭を下げるのは身を低くして体を隠す意味があるのでしょう。

 ここに術と技の世界の違いがあります。

 もちろん海賊武術でも身を低くして盾に体を隠して飛び道具から身を守るのですが、ここに中国武術の要素が入ると、実際に戦うときには別に高い姿勢でも構わないということになります。

 直接使う姿勢と練習時の姿は違っていいのです。

 これが練功というものです。

排打功一つとっても

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 先日の練習での排打功の時、お互いに体をぶつけあう靠での訓練を行っていたら、名古屋の学生さんが面白いことをいいました。

 この人は、腱引きという整体の先生なのですが、人の動きを見取る力が高い方です。

 その方が、私の靠を「不思議なところが伸びてきた」と言ったのです。

 この時の靠は、真横に対して肩で当たるという物でした。

 つまり、腕を使っていないので的を射るに当たって距離の調節が難しいのです。

 しかし、そこでなお肩が伸びて相手を打ってフォロースルーするのですが、これ、いかに行っているのかというと、胴体の膜が伸びているのです。

 このようなことを骨肉分離と言うのだそうです。

 骨格にある関節に頼るのではなくて、それを包む膜の部分が伸縮してそれで相手を打つというのが我々の功なのですが、特に胴体ではこの膜の伸びによって射程がだいぶ変わります。

 こういった膜の使い方を練ってゆくことが、経絡を流れる勁を用いる武術の特徴であると思われます。

 胴体の膜ということでいうと、高名な武術家の中には、殴ってきた相手の拳を腹で包んで抜けないようにしてしまったという話をよく聞きます。

 実際にそのようなことがあるのかはわかりませんが、感覚としてはわかるような気がします。

 

 


DOWN&RAPID

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 最近、いつも熱心に練習をしてくれてる方から「低さと速さの両立が難しい」という意見を聞きました。

 ふむ。

 これは、両立を二つの方向からするのが、私としては難しさのポイントになっているのかもしれないと解釈します。

 これは確かに私の解釈で、正当なアルニスの視点からの見解とは変わるかもしれない。

 というのも、私は中国武術の内勁の考え方で身体を使っているためです。

 この考え方からすると、実は低いから速いとなるのです。

 まず、なぜ低いのかということを考えると、それは安定のためです。

 この場合の安定は、表面上の安定だけではなくて、内側の力の集約が意味されます。

 この集約が軸となると考えてください。

 この軸が、強く、太くなるだけ、体がぶれにくくなるわけです。

 ラプンティ・アルニスと同様にスタンスを広く構えたエスクリマに、ベルト・ラバニエゴ先生のエスクリマ・ラバニエゴ・スタイルがありますが、これは重心を両足の間で揺すってバランスを取るのだと聞きました。

 このやり方は、不安定の中で安定をとる物で、私たちの物とは違うようです。

 私たちは、がっちりと踏みしめて軸を作ります。

 先生のGMペピートからは、後ろ足で立つのだと教わりました。

 相撲で相手を受け止めるような状態だと私は解釈しています。

 中国武術の整勁の利いた状態と同系の効果があります。

 想像してみてください。柳が強風に揺れているところを。

 全体がしなっていることがイメージできると思います。

 次に、ものすごく太くて大きな樹を思い浮かべてください。

 そこに強風がぶつかっても、柳のように全体は揺れません。

 しかし、枝ぶりの先の細いところや、葉っぱは高速で震えるのではないでしょうか?

 つまり、本体が安定しているほど、そこに対して相対的に細い部分は早く揺れるのです。

 逆を返せば、末端を高速で動かすときに、全身がその反動でブレてしまっては速度は出ないということです。

 しっかりした安定があるからこそ、そこにつながっている部分が速く強く動けるのです。

 マニラで稽古をしているとき、常に言われていたのは「DOWN!」と「RAPIDO!」でした。

 この二つは、実は一つのことなのだと思っています。

ラプンティ・アルニスの基本技(動画あり)

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 日本ではあまり知られていないどころか、うちのほかに遣い手が居ないラプンティ・アルニス・デ・アバニコというスタイルのエスクリマの、基本技について説明しましょう。

 これは、フィリピンでは名門の剣士の家であるカブルナイ家という一族に伝わってきた剣術です。

 それがゲリラ戦の時代や決闘文化などを経て技術的な改変が加えられ続けて、現代に至っているものです。

 特徴としては、中国武術の要素が加わっていることと、きわめて接近した状態での活用を想定していることがあります。

 そのために、他のエスクリマ諸派とは明らかに違う動きが基本となっています。ここではその解説をしてゆきたいと思います。

 まずは参考動画をご覧ください。

 https://www.youtube.com/watch?v=ezjIpqZFflM

 あまり容子の良くない男性が木製の山刀をふるっています。

 これが私です。

 まず最初の礼式から、構えに入ります。これは稽古中は「ディフェンス」と呼ばれるもので、刀の平を左手の上腕にしっかり当ててステイすることで、体で攻撃を受け止めることに備えています。

 そこから、第一動作で右に刀を振りましたが、このワイパーのような動作は「サイド・スプリング」と呼ばれるもので、備えていない右半身への攻撃を受け止めるものです。

 二つ目のアクションはアッパー・スプリングという物で、顔のぎりぎりをかすめるようにして前に刃を打ち出します。

 これが最短距離での前への攻撃になります。

 次の動作が、特徴的な物であるトワリングと呼ばれるものです。

 複数の要素が込められたもので、非常に重視されている技法となります。

 上段の受け、右側の払い、足元への抑え込みなど、非常に活用法は沢山あります。

 そこから近距離での切っ先での突きを行い、最後に残心の切りを行うことで一連の流れが終わります。

 この最後の部分は「ローリング」という技なのですが、またの名を「ロングレンジ」と呼んだりします。

 つまり、他の攻撃はすべてロング・レンジを想定していないということです。

 近距離のつばぜり合いをした後、敵を倒したと仮定したうえで初めて距離を取って離れるときに「ロングレンジ」で残心するのです。

 これと同じ流れが、二つ目と三つ目のルーティンでは初動だけが変わっていて、真横に打ち出す「チョッピング」と、自分の後ろを通って右側から振り出す「ブランチャー」となっています。

 これらは最初の、相手との距離を詰める前の接触段階の技法であって、ある種の迎撃動作となっています。

 これで相手の小手を打ち込むことが出来たり、あるいは得物を受け止めることが出来たら、すかさず左手を使って相手を捕まえつつ、右手は接近戦の連打を繰り出してゆく、という基本戦法がかたどられています。

 基本動作の中でも、実践部分での基本をまとめた練習型で、我々の特徴的なアルニスを学ぶ部分では決して避けられない動作を連ねています。

 

ラプンティ・アルニスのもう一つの基本

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 さて、前回は最初に習う基本の短いサヤウ、ベルシックを解説しましたが、今度はこちらをご覧ください。

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=HrF82zD5k_4

 12アングル・ストライクという物です。

 同様の物は多くのエスクリマに基本として存在しています。

 おそらく、フィリピンにスペインから剣術が伝わったときの物なのでしょう。現代フェンシングにも剣筋をナンバーで表現するナンバリングシステムが残っているようです。

 マイク・タイソンのナンバリングもボクシングでは有名ですね。

 相手の急所とそこを狙う軌道を関連付けて覚えてゆくのです。

 カブルナイ家ではこれに接近戦用のカスタムを施したらしく、すべての動作が近距離の刃筋となっています。

 もう一つ特徴的なのが足さばきです。

 ここではラプンティ・アルニスの独特のツイスティングという捻る足さばきが行われません。

 おそらく、中国武術の影響を受ける以前に確率されたものなのだと思われます。

 逆に、その場で一端足を揃えてから踏みかえるという独特の足さばきが行われます。

 これは前回も引用したエスクリマ・ラバニエゴでも行われるステップだと聞きました。

 中国武術でもままみるちょっと不安定っぽいスタンスを経由しますが、おそらく刃物をよけるために身を小さくするなどの意味があるのでしょう。

 この、エスクリマとしての基礎教養を理解したうえで、実際のラプンティ・アルニスのサヤウでは、また実用の基礎動作が別にある二重構造がちょっと面白いところです。

パワー・ストライクについて(動画あり)

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 今回解説するサヤウは、POWER STRIKEです。

 https://www.youtube.com/watch?v=-TeJBBu-NuU

 これは本格的なサヤウとしては最初に学ぶもので、前後の移動をしながらの接近戦における連打がひたすら続けられます。

 得物による弾幕攻撃が張られる一方、左手はちょいちょい相手を捕まえに行っていて、裏表の二重拍子で一連の線が出来ます。

 これによって、相手の攻撃を迎撃、ないし受け止めて打ち返す間に常に捕まえに行っており、捕まえたが最後仕留めるまでひたすら打ち続けるという根底思想を体にしみこませます。

 練習中はマスタルから「RAPID! RAPID!」と指示が飛びます。

 そういう意味でいうと、飛込ざまにカウンターで一撃を狙うラルゴ(遠距離)のタイプとは違い、意外にディフェンシブなスタイルということができるかもしれません。

 アメリカの「カリ」の印象とは違って、意外にフィリピンのエスクリマでは遠間で大きな一撃を出してゆくスタイルが普通にあることを考えると、結構ハリウッドの印象に近い連環性があるとも言えるような。

 ただあくまで超独特の異形のルックがそれを思わせないのがラプンティ・スタイルのいいところ。

 また、この低く陣取って前後する、というのは、ある意味でピーターパンなんかに出てくる剣劇シーンにも似ているような気がします。

 西洋剣術の時代のステップが根底に残っているのかもしれません。

 サヤウの名前になっている「パワー・ストライク」というのはエスクリマ用語で強打のことで、多くの流派がタイヤを打ってそれを鍛えます。

 普通は大きなスイングでそれを行うのですが、うちではこの小さな連打での一つ一つの威力をあげるという意味でタイヤを打ちます。

 これは手の内の感覚を強くする部分においても非常に重要である気がします。

 基礎サヤウとして、地力をあげるためによく考えて設定されたものだと思います。

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今週の予定!

海賊武術の映画

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 すごい映画を見つけてしまいました。

 今回ネタバレするので、タイトルを明記しますね。「マッハ! 参」です。

 このシリーズ、マッハ! だけが比較的メジャーで、その続編は「七人のマッハ」などの紛らわしいタイトルの作品がいろいろあったためにどれが本物かわからないという印象が強いのですが、「マッハ! 弐」「マッハ! 参」「マッハ! 無限大」は一応話がつながっています。

 昔、マッハがやってきたときに公開館数が少なくて隣の市の川崎まで行って観たのはいいものの、バイクの駐禁を切られていた痛い思いでがあります。

 そんな壱作目は現代を舞台にした作品なのですが、盗まれた仏像を取り戻すために田舎で古式ムエタイを学んでいた青年が大活躍し、都会にあこがれて出て行った挙句お約束通りぐれてしまった友人を連れ帰るというお話です。

 古式ムエタイというのが当時の我々の業界でのトピックだったのですが、この段階では実は主演のトニー・ジャーの身体能力やスタントマンとしてのスキルのほうが前面に打ち出されていて、武術についてはそれほど言及されていませんでした。

 その後に公開されてた別シリーズの「トムヤムクン!」のほうでは逆にそちらがフィーチャーされていて、古式ムエタイと様々な武術の対戦や、ワンショットで数十人切りをするシーンなどがあり存分に技を鑑賞することが出来ました。

 これが評判が良かったのか、「マッハ! 弐」になると「トムヤムクン」の武術性が強くなります。

 ストーリーでいうと、これは壱作目の前世の話となります。

 え、なにそれ前世? という感じですが、いわばエピソード1というか0というか。

 タイ映画というのは、基本仏教法話になっているそうで、この作品も、なぜ彼が現世で仏像を取り戻しに行ったのか、というのは前世の因果である、ということになっています。

 舞台となるのはアユタヤ王朝時代で、仏像を取り戻した主人公は、ここではティンという名の王子としてくらしています。

 しかし、父親が暗殺者に殺され、国は簒奪されてしまいます。

 逃げ延びた王子は盗賊団に拾われてそこで生きるのですが、この盗賊団とうのがどう見ても倭寇にインスパイアされたもののようなのです。

 なにせ、メンバーが多国籍部隊になっていて、アフリカ系やアラブ系、中国系に日本人などがいます。

 これ、まさに北アフリカからラテンアメリカに向かう航路で人種が混交されて組織となった倭寇のメンツそのものです。

 そこで主人公は、土着の古式ムエタイに加えてそれぞれの国の師匠から武術を仕込まれます。

 アフリカの師匠からはアフリカ相撲、アラブ師匠からは湾刀を、中華系からはもろに平馬で拳法や棍法の洪門武術を、日本人からは倭刀を学びます。

 ね、倭寇武術そのものでしょう?

 参考動画はこちらです。

https://www.youtube.com/watch?v=03AbPN0Sn8I

 ちょっと長くなってしまったので、一度稿を改めましょうか。

 次回は「マッハ! 参」について書きたいと思います。


海賊武術映画、マッハ! 参を語る!

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 前回からの続きです。

 と、言うのも、マッハ! 弐と参は直につながっているためです。

 弐の最後、仇討ちを悲願していた主人公ティン王子は逆に王にとらえられてしまいます。

 参は捕虜になっているところから始まります。

 過酷な拷問で全身の骨を砕かれた主人公は牢にとらえられているのですが、ここからがタイ映画、仏教説話の面白いところです。

 近隣の村で疫病が流行り、土地の聖者がその原因を探った結果、強い呪いのせいだということが分かります。

 その呪いこそ、囚われのティン王子の牢獄からの怨念がもたらしたものなのです。

 かわいそうな主人公の感情が周りの村に呪いをもたらすという、独特の世界観の見られる展開です。

 おそらくタイ仏教の因果の思想なのでしょうが、私たちのタオの考えとも合致するものです。

 何かが起きるのには原因があり、その仕組みに善悪は無い、という考え方です。

 結局ティン王子は処刑を宣告されるのですが、呪いを解こうとした僧が策を弄して彼を助け出します。

 おそらくなのですが、ここで彼が呪いの念に囚われたまま死んでしまうと、今度はそれが残ってさらになにか因果がまずい方向に回ってしまうことになるのでしょう。

 ティンは僧のもとに保護されるのですが、すっかり心は荒れ果ててしまっています。

 一度は自殺を計りもするのですが、村で世話を見られている障碍者の青年のためにタイミングを失ってしまいます。

 この青年、目の前の物を真似してしまうというトゥレット的な症状のある人で、目の前でティンが崖に飛び込もうとしているため、一緒に飛ぼうとしそうになったのです。

 このシーンはトニー・ジャーの映画を観ている身としては非常に意味深いところです。

 まず第一に、この青年はマッハ! で村を出て行って連れ戻された不良青年と同じ俳優さんが演じています。

 つまり、この時のやりとりは二人にとっての「前世の縁」となるのです。

 もしここでティン王子がまだ無念を宿したまま死んでいたら、結局呪いはまた土地に宿ったことでしょう。

 この無意識の善行のためか、次の世では一度は道を誤るも今度はティンに助けられて僧への道を歩むことになります。まさに仏様のお導き。

 また、この俳優さんはマッハと並行している「トムヤムクン」シリーズでもトニーを助ける刑事として出ています。

 2作目では「またお前か。前世からの縁でもあるのかな」なんてセリフまで言っています。

 ちなみにこのトムヤムクン2、邦題は「マッハ! 無限大」なので、弐つのシリーズが実質仏様の考えでつながった瞬間でもあります。

 しかも、この作品はトニー・ジャーと愛弟子の女優さんジージャーが共演しているというのが売りなのですが、彼女の出世作「チョコレート・ファイター」の主人公と言うのが、まさに見た相手の物まねをしてしまうという障碍者なのです。

 作中、彼女はテレビで見たブルース・リーらの動きを真似することで格闘技を身に着けて戦うという設定です。

 この崖のシーンは、そのようにいくつもの要素が絡み合った非常に重要な物となっているのです。

 死に損なったティンは僧にどうすればいいのかわからないと相談した結果「体と心は繋がっているので、まずは瞑想をして心身を癒しなさい」というようなことを諭されます。

 この、瞑想と言うのは仏教において重要な物です。

 お釈迦様が悟りを開いたものでもありますし、中国に渡って座禅、気功となったものでもあります。

 でね、こうなってくると、中国武術の出番です。

 心身の調和をタオの思想のもとに取り戻す気功は、中国武術では内功とも呼ばれて非常に重視されているものです。

 そもそも禅宗の総本山である少林寺で武術が始まったのはこのためです。

 みなさんは羅漢像というものをご存知でしょうか?

 有名な五百羅漢像というのがあって、いろいろな不思議な格好で瞑想をする羅漢さんの姿をかたどった像があります。

 この姿は、実は気功において重要な姿勢だと言われています。

 ティン王子が行ったのもこれと同様のことです。

 また面白いのが、一度骨を砕かれているところから再生しているのですが、これ、その結果抜骨や易骨と言われる、それまでの拙力を使うための骨格をばらして内勁を使うための骨格に換えるという、中国武術において重要とされる行をなりゆきでやっていることになります。

 このような上々の内功によって回復してくると、ティン王子は村の娘と舞踊をしてリハビリをします。

 このタイ舞踊も、やはり仏像の形を模した動作をするものです。いわば、気功で言う動功です。

 これらによってティン王子が心身の健康を取り戻してゆく一方、王は呪いにおびえて心身のバランスを喪失してゆきます。

 これはおそらく、物理的には、これまでに前王を抹殺して王位を簒奪したりと悪いことをしてきたことで心の中に積もっていた後ろめたさが強迫観念となって出てきたのでしょう。

 見方によれば、これも呪いそのものだとも取れます。ティン王子が健康になって捨てた怨念が、王のもとにだけ向かったと言ってもいいかと思われます。

 王は呪いの恐怖を解くために、魔法使いの元を訪ねます。

 この魔法使い、ティン王子が囚われているときに突撃してきた救出部隊を、呪いを世に振りまくために抹殺した凄腕の拳法遣いです。

 この時代の泰拳(古式ムエタイ)の映像を見たことがあるのですが、いまの競技ムエタイよりもその前にやっているワイクーに似た、動物などの動きを模した舞踊のようなものです。

 おそらくこの魔拳の遣い手は、因果の理を体得しながらも左道に落ちた術者なのでしょう。

 私は陰陽師に出てくる道満法師を彷彿したところがあります。

 しかしこの魔拳師はそこまでできた人間ではなかったらしっく、呪いにおびえてやってきた王を、まってましたとばかりに討ち取って王位を簒奪してしまいます。

 これもまた、因果応報を描いているのでしょうが、ちょっと荒っぽい筋運びのようにも感じました。

 とはいえ、曲がりなりにも因果を読み、権力を手にして王となった魔拳遣いは、自分をそこに押しやった因果の元であるティン王子を抹殺し、二人の関係を終わらせて禍根を断とうとしてきます。

 それが運の尽き、ティン王子が瞑想の果てに編み出した武術の前に敗れ去ることになるのでした、というのがこのお話なのですが、このティン王子の内功武術というのが、弐までで使っていた古式ムエタイとも洪門拳法とも違うルックのものになっているのが秀逸なところです。

 我々の言う「鉄線功」という内功を用いた、物になっていて、足は平馬のカンフー、手の動きは古式ムエタイに似た物なっています。

 私はこれを見て驚きました。

 と、いうのも、これこそが私がマニラで修行しているときに見せてもらった、ラプンティ・アルニスのマノマノ(徒手部門)、モンゴシとそっくりなのです。

 エスクリマのマノマノと言えば、ボクシングの反則技を活用した「パナントゥカン」や、テコンドーを取り入れた「シカラン」が有名ですが、カンフーをルーツに持つモンゴシについてはほとんど知られていません。

 なにせ本来はマスターになってからマノマノは学ぶ物らしいので、マスターの絶対数が少ないラプンティ・スタイルではそれもやむなし。

 この、フィリピン式カンフーの実態を探ることが私のいまの目標の一つなのですが、あるいはこの映画で描かれていたような過程を経て、近くの島であるタイから来たのだとしても不思議はないのです。

トライ・ダイレクションについて(動画あり)

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 今回ご紹介するのはこちらのサヤウです。

 https://www.youtube.com/watch?v=rWFYusmEknc

 トライ・ダイレクションという、三角移動系のサヤウです。

 ぱっと見どこが三角なのかわかりにくいのですが、一応三角です。

 大きく言うと前半の歩くパートと、後半のその場で向きを変えるパートで構成されています。

 前半は、移動しながらのストライクの基礎が入っています。これは、前進するときは縦回転が多く、後退するときは横振りが多い感じですが、ここにもまず相手との接点を作ってから接近戦に持ち込むという概念が織り込まれているように思います。

 相手が受け止めやすい縦振りの攻撃なら、そのままつばぜり合いに持ち込みやすい。

 これは後半の回転パートにも顕著で、方向を変えるということは相手が横や後ろから攻撃してきているという想定になっているので、そちらを向きながら縦方向にバストンを回転させて、うまく受け止められることを狙います。

 それがはまったら、横振りの攻撃で反撃、という動作の、いろいろなパターンでの繰り返しでこの辺りの流れが構成されています。

エスクリマの我流剣士たち

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 エスクリマの歴史を学んでゆくと、やはりスペイン入植の前後と、剣士の時代、バハド(木刀による決闘)時代、ゲリラ戦時代と、時間軸の移り変わりにつれて技術が変わっているのは当然だというのが分かってきます。

 特に、剣士の時代、バハドの時代、ゲリラ戦時代は地理的にも並行していたり、ゲリラ戦終わってバハドやったらまたゲリラ戦始まる、みたいなマダラな流れがあったりするので、目的が違う技術が交じり合ってたりします。

 フィリピン名物「ハロハロ文化」です。

 ハロハロとはまぜこぜという意味です。

 一般的には、多くの民族と、イスラム、スペイン、中華、アメリカ、日本などの文化が混ざり合って作られたということを指します。

 ちゃんぽんやチャンプルーと同様のニュアンスだと思われます。

 そんなハロハロな中で活躍していた剣士たちというのは、そもそも伝統などに囚われた存在ではなかったようです。

 近代化以前の剣士たちというのは、それぞれの得意の必勝法を自分流に組み合わせた我流の喧嘩剣法の巧者で、技と言うのも「こうきたらこうする」というような日本剣術の型のようなことを主体としていたと聞きます。

 現存するこのような剣士の残したエスクリマは、そのために技術がバラバラで体系化されておらず、通称「つまらないエスクリマ」と言われているのを耳にします。

 当然その我流剣士が癖や体質に合わせて使っていただけの物のいわば手癖なので、他人がその形にはまろうとしても返って窮屈な物になるということがあるためではないでしょうか。

 いくら理に適った整理をされて普及効率が良くても、当事者にとっては自分が使えなければやられてしまいますので、これは当然のことでしょう。いわば当人のためだけにカスタマイズされたチューニング・カーのようなものです。

 我流剣士たちが英雄として活躍していたという文化が背景にあるためか、ハロハロ文化のためか、いまでもフィリピンにはこのような我流剣士のエスクリマドールがあちこちにいるようです。

 それぞれに教えあって部分的に気に入った技を織り交ぜたりしながら、自分独自の剣技の稽古をしている人たちの存在は、フィリピンでは違和感のないもののようです。

 もし現代日本で刀を振り回して同じことをしてたらかなりの変わり者だと思われるでしょうに。

 これらの我流エスクリマのブレンド具合も、元となるネタが多岐にわたります。

 なにせ中世の西洋剣術からピストル片手のゲリラ戦、果てはタリバン相手の現代兵器との併用技術までエスクリマと言うくくりの中には存在するからです。

 このような個人的な剣術とは別に、体系づけられたエスクリマを行ってきたのが剣士の家と言われる人々に伝わってきたファミリー・アート系のエスクリマです。

 こちらは家業として剣士をしてきているので、はじめから子息を育てることが想定されています。

 私たちのラプンティ・アルニスというのはこちらのタイプに属するもので、カブルナイ家という家に代々伝わってきた珍しいタイプの物です。

 またこれとは別に、20世紀になってからエスクリマ体系化の運動が盛んになり、19世紀までの剣士の技術の保存運動や、バハド剣士育成のための技術体系の開発が行われました。

 現在広く行われているモダン・アーニスもこのような中の一つです。

 いまのフィリピンではこちらの流れが主流となっているようで、多くのエスクリマドールが独自の技術体系を編纂して新しい流派を生み出しています。

 ボクシングやテコンドーなどがハロハロされ、多くの現代流はが創始されています。

 これらに共通するのが、ループ・トレーニングと言う円環する練習技法だと思われます。

「つまらないエスクリマ」の時代の物が単調な打ち返しであったのに対して(それでも日本武術ではそこが面白いと思って一生懸命やってるんだ!)、さらに打ち返しに打ち返し、またそれを打ち返す、といったような形でラリーをしてゆくものです。

 これはフィリピン武術の特徴のように思われがちですが、もとはなかったようです。

 おそらく、中国武術の散手から持ち込まれたか、民族舞踊の要素からきたのではないかと推測しています。

 剣士の時代のエスクリマの多くは「パラカウ」というトレーニングをしていたようです。

 これは師匠側が弟子筋を打ち込み、それに対して弟子が必死で防御して打ち返すと、それをスルーしてさらに師匠が手厳しく打ち込んでゆくという物で、もっぱら練習の主体は弟子側というかわいがりのエクササイズです。

 私たちのアルニスではタピタピというものを行うのですが、これは割に対等のものです。

 ループ・トレーニングの発明以降に変化したものなのかもしれません。

 この模擬的なやり取りの中で、仕込んだ技術や必殺技を盛り込んでゆきます。

 私はこの部分に、現代人のライフスタイルとしてのマーシャル・アーツにおける面白味のようなものが見いだせないかと思って日々模索をしています。

5月の練習予定 随時更新

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 五月の一大イベント、海賊武術の復讐も充実に終わりました。みなさんありがとうございます。

 とはいえまだ8日。これからの今月の予定は以下となります。

 

13日の土曜日は関内大通り公園水の広場で、14時から練習です。

 

14日の日曜日は湘南クラスになります。

 朝の10時から茅ケ崎駅を南に歩いて、鉄砲道と交差する十字路のすぐそばになるダンススタジオYOU&MEさんにて練習です。

 

21日の日曜日は関内WSです。

 関内駅から徒歩5分のフレンドダンス教室さんで18時からとなります。

 http://ameblo.jp/southmartialartsclub/entry-12266364326.html

 

28日の日曜日はアルニス・サンデーです。

 山下公園、マリンタワー前の芝生にてアルニスを練習します。

 一般   1500

 外国人 ONLY TIP

 

毎週土曜日は大通公園で練習です。

 よろしくお願いいたします。

5月7日 海賊武術の会の感想

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 4月にご好評をいただいた海賊武術の練習会を今月また行いました。

 海賊武術なんで当時の物であればなんでもよいのですが、とりあえず肩慣らしにアルニスのサヤウをしました。

 それで海賊武術のヴァイブスをなんとなく感じていただいたところで、本編のタピタピに。

 本当の起訴段階ではすべてを一つの防御で受ける練習をして一番安全な形を身に着けてから行くはずの、左右の手でバラバラに力の方向を感じながら受けと攻撃をしてゆくという練習にいきなり入りました。

 今回はアルニスを基本からしっかり体得するというよりも、全体の流れを感じてそこに乗るということをテーマにしていたのです。

 そのため次から次へとおかずになる新技をそこに投入してゆきました。

 その中には空気投げや発勁という現代格技では用いられないタイプの物もあえてぶっこみました。

 当然、これらの物はきちんと体得しようと思えばものすごく時間をかけて訓練をしないといけないものかもしれません。

 でも、あえてそこをなんとなく流したのが今回のポイントでした。

 一つ一つの技にこだわらず、渦巻く力の波に無心で乗ることを楽しむことが大切だと思ったのです。

 フィリピンでアルニスの練習をしていた時も、一つ一つ止まって確認して練習しているとグランド・マスタルから「そういうのはモダンなんだ!」と言われたことがありました。

 流れの中でとっさにパッと出た動きこそが自分の使うべき動きだという考え方なのであろうと想像しました。

 そんな、体験者を慌てさせるような今回のワークショップ、来てくださった皆さんが楽しんでいただけたならそれが一番の喜びです。

 ダンスのように、自由に動いて楽しんでほしいのです。

 みなさんありがとうございました。

 

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