現在、エスクリマの中で最大勢力であるのはモダン・アーニスというグループだそうです。
この派の設立者であるレミー・プレサス先生は、マルコス時代に政変に巻き込まれて実質国外追放となり、アメリカで晩年を迎えたことがその一因であると聞きます。
異国で生活の手段として、プレサス先生はエスクリマの教授を行い、またアメリカ武術となった「カリ」の名を用いることを選択したため、その普及はよりスムースな物になったようです。
このプレサス先生のスタイルは、伝統的な物でなく、また自身が学んだバハドスタイルの物でもなく、どんどん新しい技術を創作して探求してゆくという物であったため、現代武道としての外国人への理解もしやすかったことでしょう。
プレサス先生は元々、バハドのエスクリマの二大流派の一つ、バリンタワック・スタイルでした。
創設者であるアンション・バコン先生に弟子入りを申し出たのですが断られて、バコン先生の弟子の先生に師事したのだと言います。
その後、学んだ物をモダン・スタイルに改編するときに意識したのが「簡略化」ということだそうです。
もともとバリンタワック・スタイル自体が決闘に特化した物で、伝統的なエスクリマからかなりの部分を捨て去って行ったものなのですが、それでもまだ万人に理解されて広まるためには複雑であると判断されたということでしょう。
実際、アンション・バコン先生の直系の先生であるニック・エリザール先生のニッケル・スタイル・エスクリマなどは、ただの打ち込みその物に少し複雑で門外漢には分かりずらいところがあります。
それは、剣士同士の決闘という特殊な環境で勝つことのみを追求した勝利法則にのっとった動きであるためで、そのような文脈が無い場所からすると想定しづらいコンビネーションや定石などがどうしても出るからでしょう。
そのような中で、国や時代に囚われない普遍的な物を求めるというところが、モダン・アーニスにはあったと思われます。
我々が継承している伝統エスクリマは、そういう意味では決闘時代以前の動きが中心であるため、また別の意味で古武術化している部分もあり、やはり設立の前提の部分というのは考えて学ばないとならない部分が武術という物にはあると感じます。
よって、プレサス先生の工夫と同様の物が私にも求められることもあるように感じることがあります。
それは、練習体系の整理に反映される部分です。
練習内容そのものは私は変えたりはしませんが、どのようなカリキュラムで伝えるかというのは、フィリピン人と現代日本人が違う以上は意識した方がよろしいように思われます。
私はたまたまエスクリマを十五年以上やっていたから、突然現地人と同じ想定の練習に飛び込んでも大要を把握して理解に取り組むことが出来ましたが、そういう前提でもなければいきなり外国の文化を理解することには引っかかりがあることもあり得ます。
その上で、ではどのような部分をお国柄や練習環境に囚われない普遍的な物として見出すかということなのですが、私はそれを「力の流れ」の部分だと思っています。
自然科学的な力の流れというのは重力が変わらないなら一貫した物としてありますし、これは文化や気候で変わるものでもない。
そして、この力の流れというのはエスクリマにおいてとても重視されている物なのです。
バリンタワックのアンション・バコン先生は自分のエスクリマを「クエンターダ」と呼んでいたそうですが、これは相手の動きを予測するという意味です。
それはすなわち、相手の力の流れの方向を先に読んでいるから可能なことです。
バコン先生の最強のライバルであった、ドセ・パレス・エスクリマの御大カコイ・カニエテ先生は、練習では踏ん張ったり止まったりしてやられないようにするのではなく動き続けることが大切だと教えていたと最近知りました。
これらのことは、私がこの二十年ほど学んできたエスクリマの全てに共通することです。
私はそれが一番大切なことなのだと自然に学んできましたし、マニラで教わった先生方からも「止まるな止まるな!」という指示をよく聞きました。
やり方がよくわからなかったことを確認しようと止まりがちに反復していただけで「そういうのはモダンのやり方なんだ! 出来なかったらやらなくていいから止まるな!」と指導されたくらいです。
そのようにして動き続けている力の流れを感じ、そこに乗っかることがエスクリマのもっとも中核の部分であると私は受け止めています。
それを理解してもらうためにカリキュラムを工夫するのですが、その中で、個人的な嗜好として一つ大切にしている部分があります。
それは、面白いことです。
現地のごつい戦闘術としてのエスクリマの練習法だと、本当にひたすら血を流しながら同じことを反復しつづけたりするのですが、それが私にはどうもちょっと惜しい感じがして。
私自身はそれをして体得をするのですが、自分の生徒さんにはもうちょっと楽しい部分を味わってほしい。
そして、その楽しい部分と言うのは、力の流れのラリーの部分なのです。
いろいろな複雑っぽい技の反復は根本思想と違うのでやらないのですが、力の流れのやり取りは本質を養うために有用なので特に力を入れて行いたい部分です。
それが出来て、サーフィンのように力に乗る感覚が分かったら、その中でもうちょっと技っぽい細かいことをやってゆく、という順番で練習内容を皆さんには理解して行ってほしいなあと思っています。