前回、身体を細分化して使うということを書きました。
それとちょっと関係があるのかもしれませんが、実は人種的に運動能力に優れているというニグロイドは、筋肉の細胞そのものが他の人種と較べて小さいのだと教わったことがあります。
そのために、動作が精密に出来る。触っても柔らかい筋肉が出来やすい。
回族武術を習っていたころ、よく足の裏に一気にドカッと体重を落とさず、足裏に細かい目盛りがあるつもりで操作しろと言われていました。
それがつまり、身体を細かく使えるようにする、ということだったのですね。
その時は言いたいことは分かってもやり方のメソッドが存在していなかったので鈍い私にはまったく出来るようにならなかったのですが、現在は練功法を学んで理解が進んだという次第です。中国武術においてはそのような肉体の具体的な改造方法こそが根幹になります。
そこから先が実は重要です。
心身は二つにして一つなので、身体を割ると言う感覚が生まれると、それを時間に対しても向けられるようになるように思います。
時間がゆっくりと感じられるのですが、それは恐らく細分化して感じられているということなのではないかと思います。
こうなると、時間を無駄にして力みかえってON/OFF運動でぴくぴく痙攣する必要が薄れてきます。
そしてさらに、そうなれば自分の在り方や心に向けることが自然に行われます。自己というのは、体感できる時間として認識されるからです。
この部分は自然にでは無くて実はかなり意識して能動的に行ってほしいところです。
なぜなら自然に感じられても、人間は自ら目をそむけるということをしますので。
そうして自分という物を見直すことで、自覚という物が出来るようになるのではないかと思うのです。
自分の生き方を、良いと感じる部分も悪いと感じる部分も把握できるようになると、それこそが実はそもそもの私たちの武術の目的に繋がる。
自分がどのような在り方をしているのかを分からなければ、改善のしようも調整のしようもない。
それではライフスタイルを望んだようにしようにもとっかかりが存在しなくなっていしまう。
自分の在り方、自分として体感される、経過してゆく時間を調整するということが、すなわちライフスタイルの選択ということではないでしょうか。