信長、秀吉、家康公の三大天下人のうち、秀吉公というのは日本が近代に入って爆発的に人気が出たのだと言う話を子供の頃に聞いたように思います。
まぁそれまでは、家康公が権現様だったから当然として、征韓論の浮上した明治以降に秀吉公の人気が上がったというのは、どうも意図的な物を感じて仕方がありません。
うちの爺さんなんかに話を聞いても、秀吉公は貧しい生まれから身分を越えて立身したから偉いとみなされているという話を聞いたように思います。
ただ、うちの爺さんなんかは帝国海軍出身なのがあってかなかってか、秀吉公よりも二宮尊徳さんのような学問の人を敬していたように感じていました。
こうしてならべてみると、近代化社会における秀吉公推しというのはどうも生臭いものを感じられるように思います。
立身出世、貧しい身の上、ごますりと忍耐、要するに、国や財力を持つ人間がそのような人間を大量生産したがっていたというモデルケースだったのではないかというのはうがいすぎでしょうか。
信長公のように、他人から理解されなくても自分の頭で物を考えて自分の力で行動して改革を進めてゆく人間よりも、卑屈で隷属的でそうしていればいつかはうまい汁が吸えると信じて膝をついてくる人間が御しやすかったのでは?
いっぱしの男と男の対等の関係ではなく、身分と言う上下関係で世の中を縦に割った価値観を象徴するのが秀吉公だった気がします。
信長公も家康公もぼっちゃんで、同じく武家の坊ちゃん同士の社会の中でしか価値観がはぐくまれていない。
しかもそれは、荒々しい暴力を前提とした実力主義の物であり、一歩油断や無礼があれば即討たれて当然という世界観に根差しています。
それを変えて成り上がりという価値観を打ち上げて、その上に胡坐をかいても揺らぐことが無いという悪しき前例を作ったのが秀吉公だという面は否定できない物であるように思います。
立身出世の話としてはさも美談であるかのように語られる秀吉公ですが、天下人になってからの目下の者への強烈なパワハラやセクハラ(下の武将の嫁を欲しがって実質脅し取った)が語られることはまずありません。
このような、身分が下の時はこびへつらい、忍耐して偉くなったらやり放題がから我慢しろ、という社会構造の見立て方をする人間が、近代日本という国では求められていたのでは?
だからこそ、いまの世の中でなまじな足掛かりを得た人間はかように醜いふるまいをし放題だし、それを受ける側も、多くの場合は同じレースに参加して負けた方なので、ルールを共有していて受け入れます。
私にはどうにも受け入れがたい。
このような価値観が浸透して定着したのには、では本当に人として敬するべきものとは何かという別の価値観が見出しにくいということも関係しているのではないでしょうか。
民族的な思想や宗教を持たない日本においては、これは必然であったようにも見られます。
そのため、日本は礼の国と言いながら実際には形式的な礼はあっても心の内にはそれは見られない。
すべては外形だけのものとなっているのではないでしょうか。
一日に頭を下げることは何度もあるでしょうが、そのうちに心から自分が下げたいと思って下げていることは何度あるでしょう?
考えていれば、本当に悪かったという思いや、本当にありがとうという気持ち、あるいは、あなたは立派な人だと言う感嘆を、頭を下げるだけで表現できるのだから、これはとても便利な文化のはずです。
なのに、実際は?
伝統的な思想においては、秀吉公のような人間は才子、あるいは小才子と呼ばれて軽蔑の対象となることが多い。
こはしが効いて便利なだけで、人としての中身が見られない人間は見下されます。
そうした人が立身すると、暗君と呼ばれるようになります。
中国史における歴史的な悪人、愚か者と呼ばれている人達はそのような人達で、共通して前半生では極めて優秀な人間で能力を発揮して良い仕事をたくさんします。
そして、人間性がからっぽであるために人々から侮蔑され、死後何千年たっても悪い例として語り草となるのです。
中華的な人の価値には、その大きさと言う物がある。
世間的な小器用さや人の顔色を見る目があっても、人物が小さいとよしとはされません。
そしてその器の大きさとは、やはり人となりをさして問われるものであることは間違いないでしょう。
つづく