相変わらず海賊関係の本を読み続けています。
シナ海における海賊文化というのは、宋朝の崩壊に始まると言って良いでしょう。
中国武術家がみんな大好きな武侠小説、水滸伝の北宋です。
これが騎馬民族の襲来によって滅びて、宋朝は南部に流転をしてゆき、南宋となります。
寄せ手側の騎馬民族も、内部で権力争いが続き、女真族からモンゴル族にイニシアチブが移って元朝を中原に開きます。
この元が、世界史に名高いチンギス・ハーンの大帝国で、ヨーロッパを席巻し、また片手間で日本には元寇で押し寄せてきました。
この元寇には実際に元の人間は少なく、徴発された朝鮮の人々や北宋の兵士たちが多かったと言います。
これは日本で言うと鎌倉時代、悪名高き日本武士が世界にその威容を初披露することになりました。
彼らはユーラシア大陸の常識では考えられない島国根性の空気を読まない野蛮さを発揮して、元寇勢をドン引きさせました。
ただ、存外に事情は斟酌したらしく、捕虜として取った内、徴発された北宋人や朝鮮人には恩赦を出していたと言います。
かたやで身内には厳しく、元寇の被害を直接こうむっていた松浦の地の人々への補償が薄く、生活苦に陥った松浦党の武士たちは掟破りの逆海賊で朝鮮や中国に攻め込んで切り取り行為を開始、これによって生活を立てると言うことを始めたのが日本武士による海賊の始まりです。
これを大陸の人たちは、元寇の逆バージョンということで倭寇と呼びました。
この時代、元はさらにその勢力を南下させてゆき、南宋は公益によって隆盛しながらも領土を追われてゆきます。
どんどん東南アジアの方に向かって国土をスライドさせてゆき、途中ではとうとう陸地に首都を失ってしまいます。
そこで顕れたのが、海上朝廷という荒業です。
なんと、具体としての土地を持たずに、海上に巨船群を浮かべてそれを鉄鎖と板橋で繋ぎ、海上に王都をでっち上げてしまったのです。
これってすごくないですか?
当時の中国の造船技術は世界一だった言います。
他には見ることの出来ないような巨船をい並べて繋ぎ、あの船は○○庁、あちらの船は〇〇庫、というように分けていたというのです。
子供の頃に観ていたロボットアニメに、宇宙を旅する開拓船団のお話があって、宇宙船一つ一つの中に街があるというのがあったのですが(軍艦がロボットに変形しました)、ほとんどその世界です。
このころの武術と言えば、唐の時代に英名を馳せた少林拳がやはり隆盛しているようです。
一方、南宋を支えている軍事力の多くは、各地から合流した地方軍閥ですので、こちらは少林拳から派生した各自〇家軍の〇家拳を使っていることかと思われます。
面白いのは、海上朝廷がその後、腰の据え先として福建省の甫田を考えていたと言うのですが、その辺りは当時どうも身毒(インド)、中東の人々が進出しており、漢民族よりも騎馬民族の方に親和的で南宋の受け入れに否定的だったという話があるのです。
ということは、ここにも身毒、中東の回族武術が伝わっていた可能性が高い。というか、むしろそれが自然でしょう。
カラリパヤットが北派中国武術だけでなく、南派中国武術にもダイレクトに繋がっている節がここに垣間見えます。
海上朝廷は、福建、ベトナム、カンボジアと身の振り先を想定しながら、最終的には崖山の戦いにて滅びるのですが、落ち延びた人々がフィリピンに行き、そこに呂宋国を開いたと言います。
つづく