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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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禁戒(ヤマ)

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 少林拳の正統を考えると、そこにはやはり瞑想と言う本質が存在します。

 その瞑想のルーツはと言うと、ヨガとなります。

 これが伝わってきて少林拳となった。

 ヨガと言ってもフィットネスの物から単なるストレッチのようなものまで色々ありますが、本質は瞑想です。

 その瞑想のヨガである、ラ―ジャ・ヨガの考え方は、私たちには非常に勉強になるものです。

 ラージャ・ヨガの本によると、ただ瞑想やポージングをすればヨガだということではなく、そのための思想というものが当然そこには備わっているとあります。

 そういった思想の部分に、禁戒(ヤマ)という物があり、これが大変に興味深い物でした。

 ラージャ・ヨガの禁戒とは以下のような物になります。

 

・非暴力 アヒンサー

 これは暴力を振るうということのみならず、暴力的な思考や感情を持つことに対する戒めとなるようです。

 私たち少林拳というのはこの部分に関して非常に敏感であるべきであると常々感じています。

 曲りなりにもなにがしかの力と言う物を得ており、その力の有効性が短期的には非常に高いということは、取り扱いにはとても注意しなければなりません。

 陰陽思想の観点から言うとこの逆もまたしかりであり、強者がその力に対して自覚的であることを良いことに、弱者が弱さを盾に取る弱者権力と言う物もまた社会にははびこっています。

 むしろ、現代においてはこちらの方がより深刻な実害であるかもしれません。

 暴力を振るうと言うことのみならず、暴力的な思考や感情を持つこともまた戒めるというのは、弱者に対しても大変に強い戒めとなります。

 女子供や障碍者だからと言って、暴力的な言葉や態度を振り回すことが是とされるというような物の見方は、己の醜い姿を大いに晒すことに繋がっているのではないでしょうか。

 

・誠実・正直 サティア

 これは、誠実であり、正直でありなさいということのようです。

 より踏み込むなら、嘘を吐くことで利を得ることに対して自覚を促すものであると言えることでしょう。

 現代社会というのは、ほとんどが嘘で成り立っています。

 これは儒教的形式主義のためなのでしょう。

 嘘を祭り上げるからこそ社会秩序が成り立つというのがこの形式主義の考え方なのでしょうが、これもまた非常にトリッキーな奇策であり、大変に取り扱いが慎重であるべきことであるように思えます。

 多くの仕事や肩書が虚業であり、実務を取り仕切る人は汚れ仕事を扱うとして一つ見下されている風潮すらあります。

 これこそが社会の構造的な病であるとは言えまいでしょうか。

 

・不盗 アスティア

 物を盗まないということですが、これはただ物質ということだけではないようです。

 たとえば映画の順番待ちの列で割り込まない、というようなこともここに含まれるそうです。 

 人の権利を容易く犯すということが、すなわち誰かから大切な物を盗んでいるということになりえるということも、よく見つめなおしたい考え方です。

 日本には「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉がありますが、それはすなわち、嘘を吐くと言うことはもう犯罪者としての生き方の始まりだということです。

「泥棒? だったらなんなの? まだ初犯だし軽微だからチャラみたいなもんだよ」というような意味でこの言葉は言われていませんね。

 犯罪者としての生き方に入ると言うことは、もう人生の在り方として一つ終わりだ、というニュアンスではないでしょうか。

 そして、その泥棒であるということには、物質以外を盗むことも含まれている。

 なんと多くの転落の罠が、日常には口を開けていることでしょう。    

 

・禁欲 ブラフマチャリア

 これは、ただ欲を禁じるという意味ではないそうです。

 内面的なエネルギーの消耗を抑えよ、ということが言いたいそうです。

 食事にしてもセックスにしても遊びにしても、必要な物ですが欲そのものに振り回されると別のことのために必要な内面のエネルギーを消耗してしまいます。

 そうなると、修行も向上も出来ないどころか病気への入り口になってしまいます。

 この病気というのも、身体的な物もさることながら、精神的な物に繋がることも多いように思われます。

 アルコール依存症やギャンブル依存症を始めとして、欲望によって自分の感情を支えるようなことをしていると、内面の消耗は著しく進み、自分一人ではまっすぐ立つことが難しくなるのではないでしょうか。

 

・不貪 アパリグラハ

 これは、むさぼるな、ということであるそうです。

 私がこれまでも繰り返してきた「夢中になるな」ということそのものであるように思われます。

 どのように良いことや正しいことであったとしても、取り組み方が貪りであるならそれはまた自らの安定を欠く物となります。

 

 これら禁戒の観点からわが身を振り返れば、誰しもが思い当たるところがあるのではないでしょうか。

 思い当たるならば注意を払えば、より心地よく日々が過ごせるようになるものであると私は感じています。

 もちろん、言葉だけでは頭でっかちになるなら、実際に行を日常に取り入れるのが良いでしょう。

 同じく、いまどきの流行りで瞑想だけしていてもそこに思想がなくては当然道に迷います。

 何をどうするべきかの方向を示す物としても、この五つの禁戒は非常に心強い物であると感じます。


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