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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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太極拳と蔡李佛 1

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「北に太極あれば、南に蔡李佛あり」

 この言葉は、ある番組で観た物です。 

 どの程度、真実性がある言葉なのかはわかりません。

 その番組ででっち上げたものかもしれないし、蔡李佛の中だけで言われていた物かもしれない。

 安易に武林の常識だなどと受け取ってはいけないものだと思います。

 その上でこの言葉からくみ取れるのは、どちらも非常に人口が多い物だということです。

 蔡李佛は世界中でもっとも人口が多いカンフーなのですが、それは先に書いたサンフランシスコの中華街の件と関係があります。

 あのようにして世界中に革命結社の勢力が中華街を拓いて行って、そこに根付いて広まっていったのです。

 その人口の部分を離れても、太極拳と蔡李佛拳には時間的な相関関係が見られます。

 そういった意味で、それぞれ南北を代表する拳だと言っても差し支えないと思われるのですが、それについてご紹介いたしましょう。

 まず、太極拳の開祖は誰かと言うことなのですが、これは明末の武将である陳王庭であると言われています。

 仙人が何がと言う仮託もありますが、実際には人間が作りました。

 しかも武将です。

 しかし、この人は元武将であると同時に、その後は隠棲して自分は神仙だとうそぶいていたので太極拳仙人創始説はある意味本当だともいえます。

 彼に何があったのかと言うのは非常に興味深い歴史的な経緯となります。

 というのも、彼が戦っていた相手というのは、李自成なのです。

 李自成の乱という、明朝が滅びるきっかけとなった事件の当事者なのです。

 武将と言っても歴史上特に何もしていないような武将では無かったのですね。時世を左右するような重大な戦役で指揮をしていた人でした。

 攻めてきた賊軍(革命軍「)を打ち払って功を立てたようなのですが、大局では李自成軍は禁城を侵し、明朝の屋台骨を突き崩してしまいます。

 そのまま李自成体制が見事易姓革命を成功させればまだ王朝の転換ということだったのでしょうが、ここで予想もつかなかったことが起きます。

 それが、呉三桂の反乱です。

 彼は万里の長城を守護して北からの騎馬民族の侵略を防いでいた将軍なのですが、禁城が落とされた時に城にいた愛妾が李自成に奪われたことに激怒します。

 そして、毒を持って毒を制す、憎き李自成を討ち果たすために長城を解放し、騎馬民族に降って彼らを中に攻め込ませてしまいます。

 こうして明朝を討ち果たしたと思った直後、李自成の進撃は騎馬民族にぶち当たってしまいます。

 念願の長城越えを果たした満州族はそのまま快進撃を持って中原を乗っ取り、そのまま清朝を興します。

 こうして体制の変わった世の中で、優秀な将軍であり李自成とも戦っていた陳王庭は清朝の将軍に推挙されるのですが、彼は明朝の武人としての節度を貫き、引退して野に下ります。

 それからの暮らしは本人の筆によると「晴れれば農作をし、気が向けば拳を練る。世間の栄達には関わらない。我こそが神仙でなくて誰が神仙であろうか」との在り方で、いわば晴耕雨読ならぬ晴耕練拳の日々だったようです。うらやましい。

 それをして、自らを神仙だと言っているので、すなわち彼がこの時に編み出した拳法、すなわち太極拳は神仙が開祖だと言ってもある意味では本当だと言うことになります。

 すくなくとも、自分を神仙だとうそぶく人によって造られた拳ではあると言えます。

 

                                                                          つづく


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