北方に向かった太平天国の北伐軍が、陳家溝に襲撃を掛けたことがありました。
これは武術界では有名な話で、特に現地での古老たちが自分たちの武術に伝わる武勇伝として語り継いでいるそうです。
陳王廷の子孫の陳仲(生生)と言う人がこれに手勢を率い、騎馬にて立ち向かってゲリラ戦を仕掛けたという話です。
そうやってしのいでいるうちに援軍がやってきて太平天国党は撤退して行ったというお話なのですが、このお話、だいぶん脚色されている形跡があります。
この時の襲撃軍の頭目が、大頭王と呼ばれている猛将で、剛力大兵を誇り、大砲を小脇に抱えてぶっぱなしていたというのですからまぁ大したものです。
この大頭王を陳仲(生生)は槍にて討ち落とし、さらには追い打ちで首を挙げたと言います。
この大頭王、実は名を楊輔清と言い、太平天国のトップの王たちの一人である東王の楊秀清の弟であったと言います。
本人も輔王と呼ばれた幹部であったというから相当な大物を討ち取ったことになります。
しかし、このお話が完全なツクリであるという証拠があります。
というのも、この輔王の楊輔清は、太平天国の乱の後まで生きていたからです。
太平天国の乱が鎮圧され、革命分子たちが解散したおりに、楊輔清は上海に逃れ、そこからサンフランシスコに落ち延びたのだと言うのです。
サンフランシスコについては12月も書きましたね。バーバリー・コーストと呼ばれたゴールド・ラッシュの荒くれの地で、そこには法の手の届かないチャイナ・タウンがあり、そこには広大な地下帝国がありました。
その地下帝国で、輔王は太平天国の再興を目指して美州三合会という秘密結社を発足します。
美州とはまた美国とも書き、中国語でアメリカのことです。
三合会は英語でトライアッドとも呼ばれる地下組織です。
この名前は三、すなわちサンズイであり、サンズイに合わせる=共ということで洪の字の判じ物であり、洪門結社のことです。
つまりこのお話によると、アメリカのチャイニーズ・マフィアの元祖は太平天国党であったということです。
地下帝国を運営していたことはやがて官憲の知るところとなり、アメリカ政府に追われた彼は亡命して再び中国に還ることになったといいます。
そして、かつて太平天国の武将であり、降って福建で提督をしていた人物を頼ってゆきます。
しかし、そこで密告をされてついに逮捕となります。
逮捕後、半年かけて聴取が行われ、楊輔清は太平天国の経緯とアメリカでの活動を記録として残したあと、処刑されます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/楊輔清
と、言うわけで、楊輔清に関しては太平天国の歴史的経緯そのものに関する公式記録が残っているため、陳家溝で打ち取られたというお話はあくまで地元の講談であろうということになります。
ただ、また別の伝承において黒力虎と呼ばれる猛将が陳仲(生生)に打ち取られたという話がありますので、おそらくそちらが実際なのでしょう。
つづく