マニラで特訓中、グランド・マスターから言われた「グランド・マスターになるんだから、基本が一番できてないといけない」。
だから、練習の前半はひたすらしごきのような基本の反復を毎日やった。
高度な技や秘密の技を一日中詰め込んでいたわけでは決してない。
「もし誰か、自分もマスターだっていう人間が現れたらこの基本をやって見ろって言え。それで本物かどうかわかる。前にもドバイからマスターが一人来た。全然だめだ。基本がわかってない」
それからこうも言われた。
「グランド・マスターになっても絶対威張るなよ。たまに、プロモートされたからってふんぞり返ってる奴もいる。ダメだ。誰にでも謙虚にするんだ。相手が何をやってようがどんなレベルだろうが否定するな。いいですねいいですねって頭を下げ続けろ」
こう言ってくれる人が私のマスターで良かった。
私がここまで書いてきたことと、最後の最後に習う教えが何一つ齟齬がない。
では私は?
私は自分の生徒さんにはこういうことは何も言わない。
教えとしては常にこういうことが大切だしたしなみだし基礎教養だと発信し続ける。
でも一人一人に一々口を出したりはしない。
けど見ている。
そうじゃない奴がいても何も言わない。
ただ、そのレベルまでのことしか教えないだけだ。
必ず人は見る。
それが責任だ。
幸いカンフー・マスターは、教えない分には上から怒られることはない。
私は圧倒的に教えすぎる師父だけれども、でも、ここは外さない。
なぜなら、出来るということは、人となりが出来ているということだと信じて疑わないからだ。
運動能力なんかは関係ない。
そんなもんはいくらでもこっちで後付けでどうにでも出来るようにする。
そんなことよりも心だ。
それを明言してしまったら、騙されることもあるかもしれないという考え方もある。
だから昔の先生方はそれさえも一言も言わない。
でも私は教えてしまう師父だからこういうことを明かしてしまう。
けど、大丈夫だ。
ダメな奴は必ずそれをさらけ出す程度にダメだから。
これを明言しているのは、自分で言うのもなんだけどとても「優しい」ことだと思う。
昔の先生方は、ダメだろうがクズだろうがお金さえもらえればいくらでも教えることがあったという。
そしてどんどん偏差が起きて体を壊して気が狂っていっても、それで出来損ないが淘汰されるんだからちょうどいいし自己責任だから、とほったらかしだったそうだ。
それで、そこから得たお金で本当に育てる弟子を養うのだという。
タオの思想らしい、腐る物は腐り、実る物は実るという考え方だ。