前回までの記事で、若草物語からプロテスタントという物を見てきましたが、今回はプロテスタントの成り立ちの話に立ち返りたいと思います。
そもそも、プロテスタントとは抗議する人、と言う意味で、清教徒という邦訳がありますが、これ、つまり旧来のカトリックに抗議していて、カトリックの腐敗に対して清らかな教徒であるということでこう呼ばれている訳です。
では、そのカトリックの腐敗とは何かというと、これが現代の環境にとって非常に身近に感じるいわくがございます。
と言うのも、それは十四世紀から始まった、ペストの大流行に由来するのですね。
この大災禍によって、ヨーロッパの人口は三分の一にまで減ったと言われています。
病気で大量の人が無くなる中で、特に助からなかったと言われているのが、良いお医者さんと良い宗教家だそうです。
病人と共にいるので、みんな感染して亡くなってしまったと言うのですね。
結果、病人を見捨ててすぐに逃げちゃう宗教家とお医者さんばかり生き残った。
お医者はまだしも、これでは教会権力の信頼は大失墜です。
そこで、教会は富裕な権力者に依頼して、人心を引き付けるようなパフォーマンスを展開してゆくのですね。
それが、主教絵画や教会音楽などの宗教芸術です。
信頼されるように内面の改革をしようというのではなく、より表層的な上っ面の手段に出てしまった。
これつまり、ポピュリズムですよね。
この運動のことを、ルネッサンスと言います。
日本語では「復興期」と訳すそうですが、これはペストからの復興ということが裏にあったのですね。
それまでのシックなキリスト教文化から、より華やかで民衆の心を惹きつける物を求めて、イスラム様式を取り入れたりギリシャ様式を復刻したリします。
こうなるとどうなるか。
どんどん教会権力はその屋台骨を支えるお金と権力に依存するようになって、腐敗が進んでゆくのですよ。
様々な税を徴発したり、ときに魔女狩りで富裕層に嫌疑をかけて財産を奪ったりと、どんどん腐敗は進んでゆきます。
それに反発する形でプロテスタントと言うのは興りました。
「自分の金は自分の物だ」
こうして資本主義が始まってゆくのです。
それが煮詰まって、再び病禍に世界が包まれた現在、ニュー・ノーマルという新しい世界への転換に急速に物事が動いています。
次は、より良い世界になるでしょうかねえ。