村枝賢一先生の「RED」という西部劇マンガがあります。
一巻が発売されたころに手に取ったのですが、初めはネイティブ・アメリカンのガンマンを主人公にした北斗の拳のように荒野をさまよいながら悪者を退治するマンガかな? という印象でした。
しかし、これが全然違った。
「涙の道」というアメリカ史上でも有名なネイティブ・アメリカン大虐殺事件があります。
これは、無抵抗で降伏した一万三千人のネイティブ・アメリカンを駐留区に送る際中、満足な食料や防寒具を与えなかったためにその四分の一を死なせたという事件です。
REDではこの事件をモデルに、実は輸送部隊の白人騎兵隊があえて虐殺をしていたという設定で始まります。
そこで実質全滅させらた部族の中で唯一生き残った少年が大人になって、虐殺に関与した軍人たちに復讐して生きているというお話として展開してゆきます。
これが、ただのエンタメではなくてアメリカの歴史、ひいては現在の世界史をリアルに投影した、ある種の研究レポートのような見事な作品だったと気づいたのはそれから二十年近く経ったいまのことです。
この作品の凄さは、ただの世界史的な視点の鋭さだけではありません。
それをなさしめる人間というものの内面をこれ以上ないくらいに的確に描き出しています。
当時流行していた露悪的なだけの安っぽい刺激物マンガに成り下がらない本質の確かさを保ちながら、現実を如実に描写すると言う強烈な訴求性を持った名作です。
この作品を読んでいると「あぁ、この人はこの殺伐としたマンガの中で微笑みを浮かばせてくれる良い人だなあ」と思わせておいて、実はそれが完全に整合の取れた狂った人だった、という登場人物と読者が向かい合っていながら視線が全くすれ違っているという体験をさせられます。
例えば、ヒロインであるネイティブ・アメリカンのプリンセスを全力で守る忠誠心の強い日本人の剣術遣いが登場します。
彼はキリシタンで、西南戦争の後にアメリカに亡命してきました。
そこでヒロインのことをマリア様のようだと慕っています。
女性的な柔らかい外見と物腰のいかにも優しい青年で、いかつい野郎ばかりの画面を少し和ませてくれるのですが、しかし、彼がなぜわが身を呈して彼女のために尽くすのかということを語るシーンでゾッとさせられます。
「可哀そうだから。自分よりも、可哀そうな人だから」
そう語る彼の顔は、ぐしゃぐしゃと醜く歪んで自己愛に満ちた笑いを浮かべているのです。
つらい身の上を抱えた自分より可哀そうな人を守ることで、彼は優越感を感じて自己愛を保っていたのです。
一見優しい青年がいたいけな少女を保護しているように見えたのですが、その中心にあったのは歪んだ精神でした。
また、この物語で虐殺を指揮した大尉が、なぜネイティブ・アメリカンを殺すのかということの動機を語るシーンがあります。
そのとき彼は「私たちが本当に友情を結んで平和を作るためだよ」と神の栄光を目の当たりにしているように目をキラッキラさせて言うのです。
その目的のために、彼は異常殺人者らをスカウトして自分の独立部隊を作り、主人公のレッドやヒロインを殺そうと刺客を差し向けます。
そして、自分の部下が返り討ちにあうと、よしよし、仲直りが進んでいるな、これからもちゃんと殺し合いをさせてあげるからね、とご満悦なのです。
行動と動機が一筋縄ではいかない、見かけからは中身が分からないという齟齬がこの物語では突き付けられます。
そして、それこそが人間と言うものだと暴かれてゆくのです。
この黒幕のモデルの一人となった実在の人物に心当たりがあります。
それは、インディアン大虐殺に関わったチヴィトン大佐という人物です。
彼はネイティブ・アメリカンを殺して頭の皮をはぐということに情熱を燃やしており「赤い肌の反逆者どもを殺すことこそ平和と平穏への唯一の道だ」と公言していました。
この言葉の中に出てくる赤い肌、REDというのが村枝先生のマンガの主人公の名前であるのは、もちろん偶然であるわけがありません。
チヴィトン大佐はまたこのようにも言っています。
「私はインディアンを殺さなければならない。神の国のもとではどのような手段であってもインディアンを殺すことは正しく名誉なことだと信じる」
これは、彼が衆議院選に出たときの選挙演説で語った言葉です。
神の正義を訴えていますが、彼の出自は従軍牧師でした。
少し前に若草物語からプロテスタントの教えについて書きました。
若草物語の時代が1870年代から80年代。
そして1863年にチヴィトン大佐による大虐殺が起きています。
この数字から照らし合わせると、若草物語の家庭の中核にあるプロテスタントの精神、それをもたらした従軍牧師のお父さんは、大佐と同じ時代を生きた人だということが分かります。
これが、つい150年くらい前のアメリカのプロテスタント精神なんですよ。
そんな一部の極端な殺戮者を持って引き合いに出すのはおかしいって思うかもしれません。
確かにチヴィトン大佐への批判は当時からありました。
けど、若草物語の時代の1887年にね、コロラド州にはね、彼の名前からとったチヴィトンって町が出来てるんですよ。
彼は立候補もしている政治家でもあったから、当然批判者もいるんですが、支持者もいたんです。
それが開拓期の民心なんです。
アメリカの、フロンティア・スピリットの風景です。
いま、ブラック・ライブズ・マター運動の流れで、フロンティア時代の開拓的な政治家の銅像を撤去しようっていう運動が盛んに起きています。
これは、かつては教科書に載ってるような偉人とされた人々が、実は白人種以外には極めて残酷な権力者であったという事実が暴かれて、もう讃えるべきではないからだという運動です。
ニュー・ノーマルの時代を迎えるにあたってね、アメリカ最大の表看板であった、フロンティア・スピリッツが批判され始めているんです。
フロンティア・スピリッツってのはすごい力のある物ですよ。
だって、ほんの150年くらい前まではこうしてアメリカ国内でネイティブ・アメリカンや南北での内戦をしてまとまっても居なかった国が、短期間で世界最大の国に成長したんですから。
グローバナイゼーションだって言って、世界中をアメリカにしようとするって動きがここに至るまでずっと順調に進捗していたんですもの。
今回からのしばらくの稿では、そのフロンティア・スピリッツとは一体何か、何だったのかということについて語ってゆきたいと思います。
つづく