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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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盗人の奇妙な理論 6・自覚

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 ここまで、アンドリュー・ジャクソンというヒトから始まったアメリカの宗教的情熱からくる世界制覇計画について書いてきました。

 信じられないような話ですが、これがいま世界で起きている現実です。

 そして、それを見直し、改めようという動きが盛んにおこなわれています。

 ブラック・ライブズ・マターがそうですし、歴代大統領の再評価がそうです。

 世界中で信奉者を作り上げてきた、アメリカン・ウェイがそもそも間違っていたのではないかという見方が国内から始まっているのです。

 当事者の自覚が芽生えたということだと思われます。

 この前兆は「これからの正義の話をしよう」の大ヒットによってすでに始まっていました。

 あの本の中で最も有名なのがトロッコ問答です。

 

 コントロールの利かないトロッコが走っている。

 線路の先には五人の作業員がいて、このままだとトロッコに轢かれてしまう。

 線路の分岐点のスイッチを切り替えれば、五人の作業員の方にトロッコは行かなくなるので彼らは助かる。

 しかし、その場合に分岐した先には一人で作業をしている人がおり、こちらの人はトロッコに轢かれてしまう。

 

 この状況において、果たしてどのような選択をするべきか、という物です。

 スイッチを切り替えれば一人の人が死にます。

 被害者の数は減りますが、では、その権利は何を根拠に誰に存在しているのか、という問いが生まれます。

 そんな権利は自分にはないのだから切り替えないと言った場合には、その場にいて放置するということに責任は存在していないのか、という問題と向き合うことになります。 

 トロッコというのは、すでに起きてしまっている問題のことです。

 いま、現実にこの世界では沢山のトロッコが多くの人々に向かってものすごい勢いで疾走しています。

 アメリカのワールド・ポリス行為というのは、そこに介入して「文明化」し、次の発生を防ぐという物でした。

 だから多くの人がそれに賛同したのです。

 しかし、それに一体なんの権利とそれを裏付ける根拠が?

 そこをもう一度問い直そうというのがこの運動です。

 ケネディ政権移行、民主党は宗教的判断を政治に持ち込まないというスタンスを宣言してきました。

 にも関わらず、アメリカのグローバナイゼーションの根本は民主党初代であるジャクソン大統領から変わっていません。

 マニフェスト・ディスティニーです。

 何の権利があって? という問いに対する根拠は煎じ詰めるとこうなります。

「なぜなら、それが神様が僕たちに与えた神聖な使命だから」

 暗黒の太陽です。

 自分が中心の神聖史観にのみ至っているのです。

「これからの正義の話をしよう」を書いたサンデル教授は、だからこそ、答えの出ない問題を突き付けてとにかくまず、自覚するということから始めようと促したのです。

 ジャクソン→トランプ政権へと受け継がれる「普通の人達の政治」、つまり「だってみんなそうしてるから」という流れに任せて自己の責任を放棄するやりかたの否定をしていると解釈して間違ってはいないでしょう。

 この、自覚を促す、ということこそ、お釈迦様が訴えてきたことです。

 文明社会という物が生まれて、階級が確定し、それを維持すること自体が人が生きる意味を侵食し始めたときに、そこからくる苦しみにどうすればいいのか、という方法が、お釈迦様の哲学です。

 その一歩が「他人と比較することからすべての苦しみは始まる」ということになります。

「みんな」も「隣の人」も関係ない。

 自分のことは自分で考えなければいけない。

 自分の人生は自分で生きなければならないからです。

 それを成し遂げるのが簡単なことだとは誰もいいません。

 だからそのために、自分を生きるための自分の身体と命を育みなさいということになります。

 そのための方法が行です。

 我々が行っている、気功や武術、練功法の数々、また、ヒンドゥーから伝わるヨガがそれです。

 以前にインド武術の始まりについて書いたときに、信仰による祈祷で自分を活かそうとするのではなく、自ら行をして自分を生きようとしはじめたところから、古い神々との折り合いが悪くなったということを書きました。

 その行がいま挙げた物たちです。

 そのようにして、自分が生きる世界を自分自身で感じるための肉体を確保して土台とし、それをどうまっすぐに保つかの軸として自分の頭で考えるための哲学を持ちます。

 ジャクソン大統領は、自ら学が無いことを売りにして「普通の人々」の感情移入を誘いました。

 思考ではなく感情に訴えることで操ることを選択したのです。

 これがポピュリズム、大衆主義です。

 それをトランプ大統領は理想として模倣している。

 つまり、考える力がない人を操ることを専売としている。

 そのような群れが、世界中を走るトロッコの裁定に割り込んでくる。

 恐ろしいことだとは思いませんか?

 本当に正しい答えを出す云々の前の段階にまだ世界はあります。

 まずは自分で考える力を持ちうる者たちが、考えるための地力を養う行と哲学を持つべきなのではないでしょうか。

 そうして一人一人が自分と自分の責任に対して自浄作用を持って常に見直し続けることが出来たときに、その集合体としての社会がより健全化するのではないかと思われます。

 

 この一連の記事の最初に、マンガ「RED」の話を書きました。

 そこに出てくるネイティブ・アメリカンの大虐殺のモチーフになった「涙の旅路」事件についても触れましたが、それを行った大統領がアンドリュー・ジャクソンです。

 REDの最後、主人公は仇である虐殺部隊の隊長を追い詰め、そのアジトに乗り込んで壮絶な銃撃戦を繰り広げて、自らも負傷しながら仇討ちを果たします。

 戦傷から大量の出血をしている主人公は、ようやく出会えたネイティブ・アメリカンのプリンセスの膝の上に抱かれることになります。

 この主人公二人を後援する人々から、二人が子をなして先住民の未来を切り開くことが期待されていました。

 しかし、主人公は手傷が重く、もう助かりそうにはありません。

 せめて未来を開きうるもう一人である彼女と出会えたことで安らかな眠りに付くことだけが救いかもしれないのですが、そうしかけた直前、彼はビクリと身体を震わせて叫びます。

「そこの樹の陰に敵が居た! 隠れてる! 銃をくれ! 敵を殺すんだ!!」

 意識が失われてゆく中で、心に抱え続けて来た悪意と怒りがせん妄状態で悪夢を見させているのです。

 この時の彼の顔は、生き切った人間のそれではありません。

 憎しみと復讐への執念で無数に人を傷つけ続けてきた人間の、憎悪と妄執に歪んだ恐ろしい顔です。

 その醜い精神状態のまま、彼は動かなくなります。

 何もカタルシスがありません。

 強くて正義の心を持った主人公の、心に憑りついた暗闇が暴かれて終わりです。

 どれだけ理由があろうとも、どれだけ被害者であろうとも、現実社会で資本主義的な利益を受け取っている以上、必ず支払いが生じます。

 映画の若草物語でも言っているように「奴隷制からも恩恵を受けている」のです。

 我々もまた、この世界に生きて、あるいは目的を持ち、自分の人生を進んでいると、必ず罪を犯していたり、あるいは大きな罪の恩恵を受けています。

 そのことへの責任と自覚、キリスト者ならこれを、原罪と呼ぶかもしれません。

 

                                                                          終わり


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