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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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受け身の大事

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 最近、中国の受け身をよく取ります。

 これ、日本の柔道の物とは違って体をカーペットを広げる時のように伸ばさず、下になる脚やおなかの膜を引き付ける物となります。

 どうやらこれは、投げられたら次に追い打ちが来るので体を伸ばして無防備にならないようにということのようです。

 このお腹の縮め方を勁を使ってやると、私はどうも転がってしまう。

 体重があることもあるのでしょう。

 日本柔術でも、受け身は転がって追い打ちを避けろと教わったので、用で言うならこれで良いかもしれません。

 この受け身を持って、老師の摔(投げ)を受けます。

 比較的これが出来るようになってきたので、打撃に続いて技の説明の時の受けを務めさせていただいています。

 これは非常に光栄なことです。

 それは武術の世界では当たり前なのですが、頭の中が発達し損ねてしまっている素人の人の中には、それが理解できない人が存外沢山います。

 そのような人たちは「人前で俺をやっつけている!」という素人同士レベルの感想を持ち、それによって動かされた感情によって愚かしい行為に走ることが想像以上に多々あります。

 かつて練習会を毎週開いていた時に、だいぶうまくなってきた人が居たなと思ってどれ、受けをお任せしてみよう、と指名すると、その信頼を裏切って馬鹿な真似をしたりしだします。

 わざとらしく痛いとアピールしてみたり、技の説明中にいきなり攻撃をしてきたり、抵抗してみたり。

 私がかつて習っていた古武術の世界では、そのような態度は危険な練習を信頼感だけを担保に体を貸しあっている、という前提を破壊するものであるため、悪意ありと言うことで始末をされました。

 隠語に言う「事故にあわせる」という奴です。

 別の練習中に、怪我をするように投げ落とされたり、逆技で関節を外したり。

 そのようにして最悪脊椎か膝、貝殻骨(肩甲骨)に怪我を負わせてもう稽古が出来ないようにするのだと言うのです。

 結局、その者が自分からやってきたことがそのようになることと全く同じであるため、きれいに因果が返された形になります。

 私自身も経験したことがありますが、古武術の稽古は本身の刀を使うこともあるため、互いの安全を尊重した信頼関係を意図的に破壊するような物は置いておけなくなるのです。

 わかっている修行者の間では、師の受けを務めると言うことがどれだけ名誉なことかお分かりいただけるかと思います。

 武術においては、信頼関係がどれだけ大切かと言うこともお分かりいただけますでしょう。

 必然、教えられたことをその通りに覚え、可能な限り出来るようにするということが非常に重要になります。

 先日も、ひとしきり受けを務めて練習をした後、今度は対打の時間となりました。

 各人がペアを組む中「翆虎さんは私と」と老師がおっしゃって、以前に習った対打を行ったのですが、私はこれも覚えておれたので、初心者なりに順番をなぞることは出来ました。

 すると、一度やっただけで私のその練習は終了。他の皆さんが反復をするなか、五祖拳の練習をつけてくださいました。

 もし、私が一度で成功しなければ、やはり繰り返しの時間になったことでしょう。

 また、受け身や打撃の防御が出来なければやはりそちらでも時間が取られ、また信頼も得られなかったかもしれません。

 それらが一通りそこそここなせたからこそ、自分の求める物を伝授してくださったのだろうと思われます。

 誠実に練習に取り組むことは、非常に大切な物であると思っています。

 思えばいままでうちで問題を起こした人間全員、練習に不誠実でうわべだけの手管で人を丸め込み、ごまかそうとするような人間ばかりでした。

 実力が手に取って分かる武術の稽古において、そのようなことが通じる訳がない。

 それが通じると思ってしまえることに、それまでの生き方と人の程度という物が推しはかれる。


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