放課後クラスで兵器を教われるようになったとき、老師が言われました「仏教武術だったら、達磨剣なんかいいんじゃない?」
おぉ!
達磨剣!!
武侠小説くらいでしか聞いたことがありませんが、なにせ少林武術の開祖とされている達磨と付いているのですから、これは少林の奥義のような響きがあるではありませんか。
何より、武術を禅として捉えている私にとってはとても惹きつけられる名前です。さぞや良い瞑想になる物であることでしょう。
その場で叩頭九拝したくなるようなありがたいことでした。
中国武術では、四大兵器という概念があります。
すなわち、棍、刀、槍、剣の四つです。
これらは基本を養う大切な物だとされており、それぞれ養われる物があると考えられているようです。
我々の派では「刀は母、棍は父」だと言われており、拳術はそれらの動きを素手でしたものだとされています。
また、槍は短兵の王、と呼ばれている、実戦では非常に重要な物だと言われています。
短兵とは攻城兵器などの大きな兵器を除いた、手持ち兵器のことです。
その王だと言うのだから、一人前の拳術家と言えば槍の腕を問われるというのが北部での常識としてあるようです。
神槍と称される名人が多いのはそのためであるようです。
槍と似た形の棍は、南方では槍棍と総称されていて、同じ要領の兵器だと見なされています。
私たちの蔡李佛でもそのように考えていますが、より細分化された北方の武術観では棍は百兵の首である、という言葉があるそうで、すべての兵器や武術は棍を基本とするものだ、とされているようです。
また、百日刀、千日槍、万日剣という言葉もあって、それぞれの日数が習得には必要とされる、という意味であるようです。
だとしたら、千日を要する槍より十倍体得にかかるとされている剣はと言えば、これは「君子の器」だとされています。
これ、面白いのは歴史的には以前も書いた通り、剣が古い。
刀が出来たのはもっと鋳造技術が進んでからだそうです。
これは恐らく、金属の棒の先を突きさし用にとがらせるよりも、片面前部に刃を付けることの方が技術的に難しかったからであるようです。
老師が曰くには、元々古代の歩兵の時代には剣がメジャーな兵器だったそうなのですが、匈奴が攻めて来て騎馬戦が行われるようになったときに、刀が普及したのだそうです。
確かに、同じ高さで足を止めて打ち合うなら剣で良いのですが、馬で走りざまに叩き切るには刀の方が適していそうな感じがします。
このような歴史的転換点もまた、剣に対して古代的な神聖視が強まり、刀に対しては実用の物だと言う見方の土台を支える要素になっている気がします。
つづく