我々のタオの思想の根本を成している荘子でも「説剣篇」というパートがあるくらいです。
まぁ、包丁の牛刀の話もありますが。
それこそ我々が求める物だと師父に教わりましたが。
それはそれとして、説剣篇ですが、これ「天下無敵」という言葉の元になっているものです。
荘子曰く、世の中には三種類の剣術があるのだと言うことです。
一つには、軍鶏の喧嘩のようなただの闘争のための小人の剣。
二つ目は、英雄や賢臣が地を収める諸侯の剣。
最後に、天下を治めるための天子の剣だそうです。
この、最後の剣こそが天下無敵の剣だと言うことなのでしょう。
剣の精神性や神聖さに結び付く故事です。
武林の客には、三種類の物があると言います。
ひとまずの形を人に教えられるレベルの武術家を把式と言うのだそうです。
文字通り、形を掴んだ人ということでしょうね。
まぁ、現代式の武術や表演競技の人などはここどまりでしょう。
それから、侠客という物があります。
これは仁侠や武侠と言った侠の道を生きる武術家のことです。
侠とは「法に照らし合わせると正しくはないが、別の形の正しさを持っている」ということです。
長い間、私が大切にしてきた言葉です。
最後に剣客と言う物があります。
上の言葉に合わせて言うなら、これこそが法に寄り添う武術家、剣の精神性を求める武人の姿という処でしょうか。
私もまた、達磨剣を学ぶことで、その高みを目指すことが出来るかもしれません。
そのことを非常に楽しみにしています。
つづく