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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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龍の王国に怒ったこと 3・新しい世界 注・ネタバレ

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 映画のトレーラーが公開されたときに、ヒロインのラーヤがエスクリマを使うと言うことがフックになったのですが、映画を観てみれば実際にはそれほどではありません。

 冒険に出ている間は彼女はクリスと言う刃渡りが蛇行した凶悪な剣を携帯しているのですが、これ、実は私が子供の頃に大好きだったアニメ、ガリアンの持っているガリアン・ブレードよろしく全体がバラバラに分解して鞭として使われる、どちらかと言うとインドのウルミンに近い物でした。

 ラーヤは素手の戦闘より剣が得意だと言っているのですが、さすがにディズニー・プリンセスが刃物で敵を切り刻むのはまずい。

 一方でライバルとなる悪役のプリンセスは、古式ムエタイをかなり前面に押し出してきてせめてきます。

 これらの東南アジアの武術というのは、以前にも書いた通り、侵食してくる西洋との軋轢の中で発展してきた物です。

 ウルミンを使うインド武術は、イギリス軍に反乱を起こして後、禁武政策を出されています。

 エスクリマは支配者であったスペインに対してのみならず、近代にいたって攻めて来た日本、アメリカとの戦いでも活用されました。

 以前に書いたアキノ氏暗殺事件から始まる革命の背景には、まさに東南アジア的な事情があります。

 元々の支配者であったアメリカの窓口として、マルコス政権が敷かれていたために、フィリピン人同士の分断が生まれて闘争が起きました。

 欧米からの支配とその代行者との間で、現地人同士が争ってきたというのが東南アジアの歴史です。

 クマンドラで、龍による守護の時代に忍び込んできたドルーンというのは、この時代の空気のような物が具現化された存在なのではないでしょうか。

 ラーヤが見つけ出した最後の龍神、シスーは、問題はドルーンそのものではなくてそれによって人間同士が信じあえなくなってしまったことなのではないかと語っています。

 平和を取り戻すためには、自分から相手を信じて贈り物を差し出してゆくことが良いのではないかと彼女は提案するのですが、それって朝貢なのでは……。

 こうなってくると、龍というのはちょっと別の見方も出来てきます。

 漠然と、アジア的な価値観、生き方と観るのが表の見方なのでしょうが、その裏には大中華帝国という物が存在していたということが浮き彫りに見えてきます。

 まさに、力を失った龍の復興という、現代社会から見るとちょっと不穏な部分が描かれているのです。

 おそらくは、実写版のムーランに続いて中国市場を意識したために、あえてそう見えるようにしたのでしょう。

 結局、ラーヤとシスーによって人々は信頼を取り戻し、新しい世界の在り方が始まると言うニュー・ノーマルへのパラダイム・シフトが描かれているのがこの作品なのですが、そうと見れば中国による発展途上国の支援とその勢力圏の再獲得という物が見えてきます。

 これこそまさに、自由主義各国が恐れていることではありますまいか。

 一方、その見方を取り下げてみるならば、ラーヤの奔走している世界という物がまた別に実に象徴的であることも分かります。

 というのも、この物語は旧来の強者不在の世界なのです。

 ラーヤの父親の王様はとうに石像になってしまっていますし、軍事強国の王者も兵士もすでに滅びてしまっています。

 ラーヤと争奪戦を繰り広げるのは、みんな女性なのです。

 高齢のある国の女王に、別の国の政治に長けた女王、その娘のムエボラン王女。

 最後の龍神のシスーだって女性です。

 男性権力者不在の世界での政治を描いています。

 ラーヤを支える仲間たちも、男性だけど障碍者とか、男性だけど難民の子供とかで、いわゆる社会的弱者ばかり。

 明らかに、現存のSDG’Sが進んだあとのニュー・ノーマルでの発展の軋轢を描いているのです。

 ものっすごい政治的な話なのですよ。

 なんか、ニュー・ノーマルってのはマスクしてディスタンス取って生活することだと勘違いしている人が居るかもしれませんが、違います。

 SDG’Sによる新しい価値観での社会というのがニュー・ノーマルの向かっている先です。

 つまり、かつての東南アジア支配から続く資本主義世界の後の世界です。

 

 なお、この映画ではラーヤは歌を唄って踊りません。

 いかにも西洋的な、ミュージカルという形にこの物語を落とし込んだら、まさに前の支配時代を描いた映画の代表である「王様と私」を彷彿させて気まずいと思ったのかもしれません。

 ポリコレ映画の代表であるアヴェンジャーズ・シリーズでさえ、チベットで修行をした聖人というのがホワイト・ウォッシュされている中で、これは実に骨太な姿勢なのではないでしょうか。

 現在、アメリカではアジア系に対するヘイト・クライムが問題となっています。

 これは、中国がCOVIDをばら撒いたというトランプ前大統領の陰謀論が引き金になっています。

「チャイナ・ウィルス」「武漢ウィルス」「エイジアン・フルー」と言うトランプさんの言葉を真に受けた人々が、アジア人のせいだという愚かな怒りのはけ口に、アメリカ人である黄色人種の人達に暴力を振るっているのです。

 そう。被害者のほとんどは、アメリカに移民した一世か、その血を引く黄色人種のアメリカ人です。

 中華系やアジア系の黄色い肌の色をしていても、中国人でもアジア人でもないのですよ。アメリカ国籍のアメリカ人です。

 同国人であるアメリカ人同士の間でこの分断と暴力が行われているのです。

 まさにクマンドラで起きていたのと同じことが起きています。

 すべては人間の心の問題だから、信頼を取り戻すことが大切なのだという映画のメッセージについて、我々はもっとよく考えるべきなのではないでしょうか。

 アメリカの人達のことだけではありません。

 Jアノンや、それ以外でも陰謀論にあっさり縋り付いたり、また物事が起きると即座に「〇〇が悪い」とはけ口になる相手を見つけ出す短絡思考をするすべての人間が反省しないといけない問題です。

 そのような人々に関して、アメリカの反知性主義ではこれを不安神経症という精神の病だとしているそうです。

 上智大学の前嶋和弘教授もやはり、これは病気だと発言しています。

 COVIDは確かに深刻な病気です。

 一方、大衆の精神の病もまた、深刻な問題として受け止めるべきだと私は受け止めています。

 ニュー・ノーマルというのは、そのような衆愚制を離れた正統な価値観によって世界を築いてゆこうという運動です。

 ラーヤと龍の王国というのは、そこに向かう姿勢を前面に押し出していた、実にしびれるような一作でした。


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