中国武術の世界では、その門派のアイデンティティは起勢にあるということを言います。
だから、見たことの無い套路であっても、そのスタートの仕方を見ればそれがどの門派の物かが分かる。
日本式に言うなら「構え!」のあとの構えへの入り方というと分かりやすいでしょうか。
この国では、最初に入ってきた中国武術は現地でも当時人口が多かった物、いわば希釈された「薄い」部分がある物でした。
つまり、広く門戸が開かれている派です。
多くは近代になって作られた門、もしくはそれに等しいくらいの大規模改訂がその頃に行われた門です。
古くからある真伝の部分は一握りの上位者だけが確保しておいて、薄い部分を広く開放している。
それらの門は、当時の体制についていた物が多い。
体制側だからこそ、一般人にお金を取って浅い部分を公開していた訳です。
しかし、中国武術史を見て見れば、多くの門派というのは体制への反逆の要素が高いのですね。
体制側は徴兵して大量の兵馬をしつらえて数に物を言わせればいいから、あんまりハードコアな武術は必要としていないんですよね。
それらと戦う、民間の武力としての役割が中国武術を支えてきました。
私の研究対象である回族武術は現代に至るまで行われている民族弾圧の中で育まれてきた物ですし、社会の構造から解脱しようとする仏教のコンセプトを背骨とした少林武術も反社会(反権力)的な物です。
また、海賊武術となるともういわずもがな。
これが見て取ることが出来るな、と思うのが、冒頭に書いた起勢なのですが、体制側の武術の物は割にあっさりしている。
ただなんとなく膝を曲げて手を少し上げて少し下げるだけとか、文字通りただその門の構えに入るだけとか。
しかし面白いのは、その中にちゃんと門の根幹となる物が表現されているところです。
ある先生曰く「一番大事な物が表現されている」。
形意拳なら構えとなる三体式が、独自であり、かつそのままでいれば站椿功になるという重要な物です。
格闘技的に解釈するならただファイティング・ポーズを取っただけにも見えますが、そうではなくてその中に回族の武術からやってきた文化と歴史、極意が入っており、アイデンティティの証明であると同時に極意の練功になります。
構えとしての意味で言うなら、形意拳の名人たちは一様に「構えは要らない」と説いていますので(出典「拳意述真」)、その表層的な要素は実は優先度が低い。
やはりそこに大事な物が詰まっている訳です。
太極拳で言うなら、重心の浮きと沈みが表現されています。
世間ではそれを気だと言う先生が多いようですね。別にそう表現したいならそれでも良いでしょう。
意識して重心を上下させて操作することが太極拳の要諦であると噛み砕くことは、門外漢の私がすれば出すぎた不敬でしょう。
そういうインチキ先生のようなことはしてはいけません。
しかし、私の大師から伝わった気功の視点からすればそれは充分に理にかなった解釈です。
男性の気は身体の後面から上がり、前面から降りてきます。
女性の場合は逆。お腹側から登って背中側から降りてくる。
これは、お腹側の気の流れを任脈というのですが、これは妊娠の妊と同意であるというので、女性の気の流れが前の方が強いということに由来しているようです。
気功学では身体の前側を日の当たらない面だとして陰とみなし、背中側を日の当たる陽とみなします。
陰の気が強い女性は、前側の気が強いと解釈する訳です。
これは先天の気が宿っている命門の場所にも関係してくるようです。
命門はおおむね身体の真ん中あたりにありますが、実際は個人差があり、性差があります。
女性の場合は子宮がそこだと言う説があり、そう解釈するならばこれは活発に働いている時は前側に張り出します。
女性周期での張りや、妊婦さんを見るとそれが分かります。
反対に、男性の命門器官である精巣、睾丸は身体のほぼ真下に垂れ下がります。
任脈と背中側にある督脈の境界は下丹田、下腹部にありますので、それより後ろである真下は督脈の管轄となります。
この二つの脈を繋ぐのが小周天です。
なので、女性の場合は下腹部から前面をさかのぼって背中側と経て、またスタート地点に戻る。
男性は睾丸から始まって背中を通って前側から降りて来てまた睾丸に帰結します。
この上下の一周が小周天。
大師はこの小周天を基本構造とした武術を伝えており、その太極拳は世界的に知られています。
ですので、私自身は太極拳師ではありませんが、その基本構造は理解が出来うるというお話です。
もちろん、そこから詳細な用法や変化の追求があって一つの拳になるのだとは理解しています。
起式には本質が現れる、ということを語る程度にはでしゃばることを許してください。
ちょっと長くなってきたので、つづきは次回といたしましょう。
つづく