なんか、最近聞いたんですけど、どうもいまの日本で一番人数が多いのは私たちの年齢だそうなんですね。
この周辺は俗に段階ジュニアと呼ばれているらしい。
でもってこの、団塊の世代という一番数が多かった世代の子供世代は当然数が多いと言うことなのですが、この我々がどういう社会を生きてきたかと言うと、ある人がいうには、バブル崩壊、派遣社員制度解禁、サブプライム・ローン事件、と完全に経済的に失敗のつるべ打ちにあった世代らしいんですね。
つまりは、いまの日本の経済の弱体化、少子化問題の具体を象徴しているような世代であるらしいと。
能力も発揮できないし、生きてゆくだけで精いっぱいだった世代ですよ。
そりゃあそっから実入りが無いんだから国は弱るわなあ。
つまりは、日本の少子化、人口減少、国力低下と言った諸問題のもろに曲がり角の世代が我々の世代な訳ですね。
世の中では「失われた30年」なんて言い方をすることもあるそうです。
これ、ロスト・ジェネレーションを代表する作家、フィツジェラルドの短編「失われた三時間」を引用してるんでしょうか。しゃれてるなあ。
この三十年が、世界的な政治経済の激震が起き、また日本政府は悪手に次ぐ悪手を打ち続けてこの時代に成人を迎えた世代の、二十歳~五十歳の期間な訳ですよね。
その前後の世代に関しては随分対策がされて居るのですけれども、この三十年のいわば被災世代に対してまったく国のケアは無かった。
近年になって救済措置の職業対策が始まりましたけど、そう、ちょうどパンデミックがやってきていまに至っています。
パンデミックの被害も甚大な訳で、この間にどうにか生き延びて暮らしの形を付けたロスジェネ世代の人は、また大打撃を受けている訳ですよね。
前の世代に対しては年金があって、後の世代に対しては予防措置が取られているのだけれど、中間世代に対しては相変わらず見殺しのままなんですよね。
なんなんでしょねこれ。
結果、この中間世代が割を食って、前後の世代を食わせているというような形にも受け取れます。
いまの年金を払っているのは国に見捨てられてきたこの世代の人たちが多いわけでしょう?
その老人たちはバブル世代で、いい時代を過ごしてきて、コピー機で刷るようにしてお札を手にしてきた人だって沢山いた訳です。
土地や投資で失敗したとか遊んで貯金しなかったとか、そんなこと知りませんよ。
中間世代は失敗する元金を手にする機会さえなかった。
この世代がぶっからかえした経済の破たんを埋め合わせをするためだけにすり減ってきたと言っては言いすぎでしょうか。
結果、それまでは当たり前だった自動車の購入数が減ったりとか、アルコール消費が減っただとか、そんなのは当たり前ですよ。
そりゃあ少子化しない訳がないでしょう。
最近、林真理子さんの新作がとても面白いのだと評判を聞きます。
タイトルは「8050」。
あれ、なんか聞いたことあるな、なんだっけな、と思っていたら、5080問題を扱った小説だそうです。
50代になった引きこもりを、80代の親が支えるというのがその問題なのですが、こうして小説に書かれるほど、この社会問題は起きているのですね。全国に引きこもりは百万人も居るそうです。
この、50代、60代の引きこもりがそうなったきっかけというのは、小学校受験や中学受験にある、ということがあるそうなんですね。
それきっかけで三十年以上問題が続いてしまっているのですよ。
ちょうど失われた30年と重なっている。
つまづいたところからの再生がそれだけ難しい社会だったということなのではないでしょうか。
先日、アメリカの識者が語っていたのですが、就職や面接で、新卒だけが重視されるのは日本だけなのだそうです。
40や50で失職してしまった人は、アルバイトでさえ高校生より採用率が低い。
そりゃあ生きづらいですよ。
アルバイトで言うなら、私がまだ高校生だったころは、時給1200円のマクドナルドとかがあったんですね。
でも、その後、800円台で大人があえぎながら暮らすような時代になりました。
三十年の経済不況と言うと、私が十七歳の頃からこのような状態が続いていることになります。
そこから今に至るまで、働いてもワーキング・プアだし、時給800円だ900円の仕事だって受からないんですよ。
私が20代の頃に正社員をしていた時の月給だって、十八万額面でそこから各手当を引かれていました。
だからそういう風に生きるのは辞めたんです。
その結果、いまに至っています。
海外とのレートを活用して、無理に社会に合わせず自分のやりたいやり方をする生き方を選んできました。
合わせるだけ無駄だからですよ。
でも、そういう決断が出来なかった人だってそりゃあ沢山いるでしょう。
そういう人たちの中で、力が尽きてしまった人たちが百万人居て、5080問題と言うのが起こっている訳でしょう。
社会に騙されちゃだめだ、ということなのではないでしょうか。
中流幻想を取り払うというのが、自分が道を変えた時に最初に取り組んだ難関でした。
人並みにやってたら「人並み」になんてなれないんですよ。
ちょうど最近になって、中流幻想なんてのは80年代までの物だ、ということをアナリストが語っているのを聴きました。
バブル崩壊以後、何十年そんな物に目くらましをさせて人生を無意味に空回りさせるのか。
いや待て、それでも普通に働いて家族を持ってっていう人達だっているじゃないか、という声はあるでしょう。
しかしね、そこに私は一つの邪推をさしはさみたいのです。
今振り返れば現実に、世界経済誌に残るような三十年の大不況という事実は間違いなくあるわけですよ。
その渦中で、なんとしてでも自分は生き残るのだと言う決意と生き方、荒木飛呂彦先生の言う「漆黒の悪意」のような物がそこにはあったのではないでしょうか。
他人を踏みつけ、欺き、現実を誤魔化し、隠蔽し、脅したり見せしめにしたりして私利を掠め取って生きてゆこうというライフ・スタイルが当たり前に世に蔓延した。
その結果が今日の政権の各種の運営方針に露呈しているということだと思われて仕方がありません。
そのようにして、官から民に至るまで、この国の人心は病み果てたのでは?
幻想に溺れ、人心は病み果てている。
この危機の時代に、せめて現実を突きつけられて目を覚ますべきなのではないでしょうか。