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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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強い人

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 私は今回のパラリンピックの開催にも、衛生的見地から非常に反対だったのですけれども、大会の意図自体には関心を持っています。

 すでに何年も昔から、パラスポーツ・アスリートの義肢は装着すれば四肢不全でないアスリートよりも高い記録が出せることが知られています。 

 これは、福祉分野における人体工学の発展に非常に重要な物であることは間違いありません。

 それにともない、より多くの人々が障害を負った後もより充実した人生を送りやすくなることは間違いありません。 

 乱歩の小説の中では四肢障碍者は蔑まれてそれを入り口に倒錯性愛に耽るくらいしかやることがありませんでしたが、すでにそれは遠い話となるように思います。

 パラリンピック開催期間中に、外回りの仕事で信号待ちをしていた処、歩行者の中に居た一人の女性に目が向きました。

 どうしてあの人に目が行ったんだろう、と思って失礼ながらそのまま眺めさせていただきました。

 ツバ広の帽子をかぶり、サングラスをして、オレンジに近い茶色のマキシワンピースを着ている。

 着衣のラインを目でなぞって気が付いたのですが、妊婦さんのようです。

 ノースリーブの肩から白い腕が延びているのですが、その右側は肘までで止まっていました。

 義手を付けるでもなくそのまま歩いている姿を見て、バランスは悪くないかな、転んだりしないだろうな、と心配になりました。私は妊婦さんやお年寄りをみるとすぐにハラハラする。

 しかし、余計なお世話など当然知る由もなく、彼女はさっそうと強い日差しの中に立っていました。

 自らの選択で突けていないのですからそちらの方が勝手が良いのでしょう。

 当たり前ですが、妊娠と言うのは性交の結果となる物です。例外はあるとは思いますが。

 性交の結果を大きく膨らませて、セクシーで格好の良いファッションで立っている彼女を見て、私はパラアスリートのことを連想しました。

 一肢の欠損と言う不便はあるのでしょうが、彼女はセクシーで美しく、力強く生命の気を発散させて生きています。

 気功学で言う精、性的なエネルギーに満ち満ちているようでした。

 ついつい忘れそうになるのですが、健康であることと不健康な部分があることは並立するのですよね。

 パラアスリートたちも、疾患由来の方々は感染症などに対する抗病体力が弱い場合はありますが、運動体力は非アスリートの人間とは比べ物にならないくらい高い。

 機を得たその力の活躍をして、美しい瞬間を生きる姿を私たちは観ることが出来ます。

 片腕の妊婦さんも、美しい性交を経て美しい生命を得たことなのでしょう。

 それらの美しさは、とても力強い物だと感じます。

 この人間の強さと言う物は、一体どこからもたらされる物なのでしょうか。

 先日、ある陸上のパラアスリートの話を聴きました。 

 この方は自己では無くて、病因で脚を切除された方で、パラリンピックの中でも珍しい両脚が無い方なのだそうなのですね。

 きっかけとなったのは小学生の時に、車いす生活をしている自分をイジメてくる子供を、両足を義足にすれば追いかけられるかもしれないと思ってのことだそうで、自ら選択して両足を切除したのだそうです。

 なんという強さでしょう。

 このように、苦境を自らの意思で好転させられる強さを持った人間がこの世には存在する。

 まだ幼い子供だと言うのに、いかにしてそれだけの強さを持ち合わせていたのでしょうか。

 昔、道場の後輩に言い訳ばかりしてマジメな努力を積み上げたり果断をして自らを成長させられない者がいました。

 それに「生まれつき強い人には僕の気持ちなんて分からないんだ」と言われたことがあります。

 しかし、私なんて生まれつき強い人間などではない。少なくとも、この車いすの少年に比べれば。

 両足に義足を付けた時、彼はいかなる気持ちだったのでしょか。

 あるいは子供らしく、改造手術で強くなったと思ったりもしたのでしょうか。

 そのようなことがあったのだとしたら私は少し救われます。

 その後、的に掛けた子供を追いかけてケジメを付けたのでしょうか。

 もしそうだとしたら、追いかけられた子供はさぞ恐ろしかったことでしょう。

 愚かな行いをしたものは、恐ろしい思いをして自らを悔いるべきです。

 何もわからない子供のこと、愚行を責めるべきではないと言います。

 幼いうちに過ちを悔い改める機会があったことは、この子にとっても幸いだったことでしょう。

 もしも怖い思いをして自らを恥じることが出来たなら、終生に渡って同様の愚かしさを繰り返さないように心に強く楔が打ち込まれたことでしょう。

 これらのお話は、私の心に物事が良い方向にと向かう例として、私に強い印象を与えてくれました。

 もちろん、人の人生は他人の教材になるためにある訳ではありません。

 それでもやはり、人の生き方に依って人と言う物は感銘を受け、自らの生き方に反映させてゆく物なのではないでしょうか。


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