「少林拳術秘訣」の内容ですが、独自の用語として現在我々が使っているのとは意味が違う語がいくつかあります。
一つは「内家拳」「外家拳」と言う言葉です。
これは孫禄堂先生の表現が普及して以後、今に至るまで内家拳とは道家拳法、外家拳とは仏教系、という風に使われていますが、尊我斎先生はこれを内家拳=うちの拳法、外家拳=よその拳法、と言う様に単に主観的な視点からの表現として使っています。
よって、この書の場合には南派少林の身内の武術が内家拳、と表現されます。
それから柔術という言葉が出てきます。
これは日本武術の柔術ではなくて、柔に至った拳術のことを指しています。
それらの上で改めて技法を見渡すに、尊我斎先生の書いている技法と言うのは柔のレベルに至り、かつ気功を重視したものとなっています。
私が蔡李佛拳を公開し始めたころ、いわゆる剛拳の代表とされているようなこの広東系南派拳術を初めて見て、いくつもの驚きの感想をもらいました。
曰く、動きが柔らかいとか、こんなに気功を重視しているとは知らなかったと言ったようなことです。
確かに、60年代のブルース・リーの格闘技路線の影響以降、南派武術は武館にサンドバッグやグローブが置かれることも多く、日本人に知られる頃には格闘技的な物だと思われがちだったとは思うのですが、実際にはそのようなアレンジを加えず、師伝のままに行う物は極めてしなやかで伸びやかな物です。
これは軟とは違います。
しなやかで重さの伴った柔らかさを柔と言う。
この柔と言うことが尊我斎先生の文でも重視されていることが伺えます。
また、気功に関してですが、これに関しては台湾の名門の有名老師が90年代に書いた記事が参考になります。
この先生は北派の名拳を多く継承しており、特に長拳の研究に明るい方で、実力を疑う人間はこの業界には居ない位の高名な方です。
この方が自分の学生に長拳を教え始める時、まずは動作だけを教えると記事には書いてあります。
もし内功を伴った練習を希望されても、まだ早いと断ると言うのです。
対して、南派武術は初学の内から内功を教えると書いてあります。
動作と気功が一致しており、切り離されることはない。
このことをこの先生はきちんと認識されて発信しています。
この先生の同門の後輩であったM先生は「北派と南派では前後が逆になっていて、北では後で習うことが南では基本で習ったりすることがある」と言うことを書いています。
私も最初の内から内功と発勁について学んできました。
これによって、中身のない外形だけの動きをしてはいけないと言うことを強く意識してくることになりました。
この内外の合一性は、尊我斎先生の時代にはすでに一般化されていたようです。
冒頭の一文から“柔術門派は一般に技の多くを尊ぶが、終始かなめとなる基本原則は気功である”とあります。
そのための基本練習として站椿が紹介され、ついで剛柔の重要さが書かれます。
拳法と言うのは柔と剛が相まって上乗であり、そうでなければ中乗止まりであるが、これは旁門であると言うことだと書いてあります。
これはすなわち、正統な物ではない、と言うことです。
曰く、正しい門派を選ぶことが出来なかったり、師伝を継ぐことが無かった人の武術だと言うことです。
この下にさらに下乗と言う物があり、師法を学ぶことが出来ず、一拳半腿を学んだだけで自分が分かったと誤解して自己流や格技に走った物をそう呼んでいます。
私が平素うるさく言っていることと全く合致しているのですが、それは当然でこの考え方が尊我斎先生の頃からずっと南派武術の世界に通念として継承されてきたからでしょう。
この文の中で、相手がこう来たらこうする、とかカウンターをこう用いる、というような技法面に関しては、一定の価値はあるがやはり大したものではない、というようなことを明記しています。
それもやはり上乗の物ではないが、訓練段階では徳がある、という扱いです。
そしてその上乗の物でさえ、これは小道である、ということが大前提とされています。
そう。やはり、仏道の本質こそが大道であり、上乗の拳術などはそこに至るための行の一つでしかない。
完全に私が教わり、実践し、伝えて語っていることと同じです。
こういうコンセプトが百年以上続いていることだけ取ってみても、代々継承がなされているということが確認できるではないですか。