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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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労働者社会の薄っぺらさ 後

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 なぜ、身もふたもない薄っぺらな世の中になってしまったのか、ということまでを前回は書きました。

 これは恐らく、世の中の価値観が経った二つに集約されたからだと思うのですね。

 それは、金と出世です。

 それ以外のことを、私たちの世代はほぼまったく、実施的に教育されてきませんでした。

 金持ちになって、出世するというのが物差しのほぼほぼすべてでした。

 少なくとも、この物差しは他の物差しとは比べ物にならないくらいの太い主流でした。

 金持ちでなければ出世もしてない人がまっとうなことを言って世の中の問題点を指摘すれば「でもお前、貧乏じゃん」と言われるのがあたりまえでした。

 また、巨悪の問題点を指摘しても「でもお前、あいつより成功してないじゃん」と言われました。

 つまり、物事の是非よりも金と出世が優先されると言う価値観です。

 挙句の果てには親や教師からは「それを言うならまずおまえが偉くなってからにしろ」などと言われた物です。

 これ、つまりは裏から透かし見るならば、金も無ければ出世もしてない奴は発言するな、という価値観ですよ。

 さらに具体的に言うなら、発言してもいいけどなんの力も持たせない、というコンセンサスの表明です。

 だから、正しいことをしたければ金持ちになって出世しろ、ということです。

 仕方ないのでそうすれば、みんな揃って競争社会です。

 自浄作用がどんどん失われて行くんですよ。それって。

 そうやって世の中を塗りつぶして行ってしまったから、最初の就職でつまづいただけの選良の若い子が自殺をしてしまうような世の中になったのでしょう。

 正しいことをしたり、物を考えたりするのに、財産や社会的地位は関係ないんですよ。

 正しいことは独立して正しいことです。

 間違っていることは独立して間違っていることです。

 行う人の財産や地位で変わるものではありません。

 その当たり前のはずの事実が、みんなでないことにされるという世の中になってしまった。

 そりゃあイジメや炎上問題が起きますよ。

 ことの是非そのものが無いことにされるんですもの。

 これでは生きると言うことの中身が備わらないのは当然です。

 この、論理性と倫理性を放棄した考え方というのが、場当たり主義の近視眼的な物しか生まないのは当然のことです。

 いまの日本の経済や少子化問題、世界的レベルで観た持続性の問題と言うのは、みんなこの大衆の傾向から起きていることでしょう。

 愚民社会です。

 そして、これを行ってきたのが愚民化教育です。

 金と出世だけの方向に誘導してきた教育が原因でしょうね。

 だからいま、現実に間近に来て肉眼で確認できる状態になってから、ようやく一部の人たちがこの問題が自分事なのだと気づき始めた。

 金と出世だけで生きてきた世代の人たちの大多数はね、いずれそれらが尽きるということ、そしてその時に自動的に安全対策など用意されてないことをいま、直視していると思うんですね。

 この長い不況の中で、金と出世だけ考えて生きてきた世代の人からも多くの人がリストラされました。

 あるいは会社が無くなった。

 そのような憂き目を避けられた人も、いい加減定年ですよ。

 老後資金が無いんですよ。

 一流企業の役員レベルでもない限りは、時給数百円とかせいぜい千円のバイトから人生やり直さないといけない。

 その時になって、なんでこんな世の中なんだ! と思ったとしても遅い。

 その世の中作ったの、お前なんだよ。

 この流れを、自分がそこに落ちる前で変えないですすってきた結果、今度は自分が吸われる側になる。

 完全に自業自得であるとしか思えません。

 少なくとも中年期くらいの段階で気づいて、このままだと自分たちもやられるなと思って流れを変える方向に力を注ぐべきでした。

 場当たり的にその時のことしか考えないで生きてきたからこうなる。

 金と出世しかなかった人間が、その二つとも無くして時給千円のバイトになったときに、何が残りますか?

 腰痛とか胃腸虚弱とかそんなもんだけでしょう。

 自分の身体と精神を養ってきてないから、本来人間が持っている財産が使いつぶされてしまっている。

 残りの人生、バイトして死ぬだけって道にしてきたのは自分自身ですよ。

 こういう、自分の世話を見ることが出来なかった人たちの価値観を、その後の世代が規範とする必要はありません。

 中年世代に人気のあるネット上の発言者たちを見ていても、明らかにこの古い価値観の焼き直しでしかない。そんな発言に追従している人達はきっと同じ轍にはまることではないかと言う気がします。

 カリスマもスピリチュアルも、結論として金と社会的成功を語っているなら、結局は同じ思想の塗りなおしでしょう。

 私に言わせれば、緊急事態宣言下で遊び歩いていた連中も、そういう人間をツルにしていたイベント開催軍者も同じです。

 自分たちの手に世の中を変える機会があったのに、使うことの無かった人間は同じ穴のムジナに見えます。

 音楽やイベント業界の人達の中で「このままでは業界が滅びる」と無理に興行をしようとしていた人たちが居ましたが、いくら言葉を飾っても結局は既得権益にしがみついていただけでしょう。

 いまはそこは手放して、人手が足りないエッセンシャル・ワークに力を貸して世の中を支えるのが後の自分のためなのではないか、ということをうるさく書いてきましたが、案の定、感染者が減少傾向のいま、労働力不足が反映してガソリンや小麦、半導体などの基本資源が足りなくて高騰が進んで問題になっていますでしょう。

 また、水道施設の老朽化による事故やメガバンクの技術上のトラブルも同様です。

 みんな根っこは同じことのように思える。

 そういう失策の繰り返しをする必要はありません。

 目先の損得に囚われず、先を見て世の中に参画することは、必ず後々自分のためになるはずです。

 アジアにはもともと、出世主義の儒教のカウンターとして、老荘の思想があったり、また現世主義に対して仏教の思想と言った「一歩引いた視線」というスタンスがずっとある訳ですよ。

 金と出世以外の物に目を向ける生き方が。

 もう一度、そこに目を向けてみる方がいいのではないでしょうか。


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