前回まで、伝統思想と現行の世界および社会情勢について書いてきました。
人類史を振り返ってみては改めて、私が受け継いでいる伝統思想において認識能力と自浄作用と言う物がどれだけ重要だとされているかが痛感されます。
孟子における小人と大人、あるいは君子、太夫などの「ひとかどの人物」の条件としては、おそらくこれがほとんどだと言っても良いのではないかとさえ思われます。
儒教の中に限定して言うならば、これは仁、義、礼の三語で現される物ですが、現状どれだけこの内の二つでも心得ている人に出会えることでしょうか。
よし詳細な言葉として仁義礼智忠臣孝悌と言ったような言葉もありますが、とかく初めの三目が重要です。
智=知識、智恵というのはそれに次ぐものとされています。
しかし、現代社会ではとかくこの中では智ばかりが重要視されがちです。
ですがそれでは孟子の規定した大人、すなわち精神労働階級者には至れません。
智だけでは肉体労働者、小人のままです。
この勘違いは孟子の発言の中で繰り返し厳重注意を勧告されています。
目先のことだけを考えるとえてして智で物を徹しがちだが、本当に大切なのは仁、義、礼の徳であり、徳治はすなわち法治にまさるという過激にも見えるモラル主義が語られます。
功利主義よりも道徳の方が本質的には有効である、という考え方は、現在でこそ先端の人々の間で問われるようになりましたが、このパラダイム・シフトまでは世界を覆いつくしているようにさえ感じられました。
かように劣勢を強いられてきた価値観の具体的な行として中国武術は存在してきました。
私はそれを人々に伝えて生きています。
しかし実際には、私の生徒さんの中にも知識が上がるばかりで自浄作用の向上に乏しい人がどうしてもいます。
それはやはり、失敗なのだといえましょう。
人の性はすなわち善であると孟子様はいいます。
孔孟の儒教は他の中国思想、仏教、道教と比べて圧倒的に武術や行との繋がりが少ないという印象があります。
しかし、論語ではそういう印象もありましょうが、儒教の聖典である四書五経に数えられる孟子では浩然の気という物が教えられています。
これ、老荘のような気功なんですよ。
北宋時代の儒学者、朱熹は儒教にもタオの思想を取り込みました。
その朱熹が編んだ朱子学が四書五経を設定しました。
四書の中に孟子が入っているのは、このためであると言っても良いでしょう。
性善説と浩然の気が孟子の二大特徴ですが、この二つを融合したところにすなわち、で健康な肉体と言う土台に性善は立脚すると一現代人である私は見立てます。
先天的な障碍者、後天的な発達障碍者、精神障碍者などは、この生まれ持った善性を欠いている可能性がある。
欠いたからこそ、障害と言うのでしょう。
そして現代医学の観点からは、現状、成人の半数以上が精神に病を抱えていると言います。
善性が十全に働く土壌はあまりに少ない。
ですが、それらが後天的な物である場合には、身体の行を通してこの障害を克服し、善性の働きを活性化しうるというところに中国武術の価値があります。
これは霊肉一致、すなわちメンタルとフィジカルの一致を唱えてそちらの方向から人の性の向上を求めてきた少林拳の本質に備わった効能です。
つづく